どうする、介護業界
遅々として進まない筆に散々うなった翌朝に見たニュースがこれだ。いずれ起きることだろうとは思っていたが、ことは意外と深刻なようだ。
訪問介護事業者なので、その他の業態については事情はわからないが、経営が苦しいのはどこも似たようなものだろう。
そして、介護職員とケアマネジャーとの間での賃金の逆転現象も起きているのだそうだ。
介護業界の人手不足は以下の記事で指摘していた。
しかし、「自分がその年になったら」「親が施設に入る頃には」といった見通しは悠長に過ぎた。もう問題はまさに「今」なのだ。
介護業界に勤めていたとき、会社の偉い人から「いずれ近いうちに高齢者の数が減り出し、サービスの悪い施設から潰れていく」と聞いていたが、その前に人手不足で潰れていくとは、予想もしていなかったのではないか。その会社は大丈夫だろうか。働く人たちを大事にしている会社ではなかったから……。
人手の掘り起こし
人手不足は介護業界に限った話ではない。今私は病院に勤めているが、看護師もコロナ禍を経て不足している。介護・医療に限らず、人手不足はどこでも同じであるらしい。
私はこの人手不足の原因の一つに、「年収の壁」があるように思えてならない。特に、社会保険の106万円の壁と130万円の壁だ。106万を超えると社会保険料がかかる場合が出てきて、130万を超えると扶養から外れて社会保険料を払わなければならなくなるというものだ。
社会保険料は本人と会社の折半だから、双方にメリットがあって、労働の調整が行なわれている実態は続いている。
このことは逆に言えば、年間200万円も250万円も稼ぐポテンシャルがあるかもしれない人を、130万円の労働に縛り付けているということだ。働く能力と時間のある人にはバリバリ働いてもらった方がよいに決まっている。
私は、事業主による社会保険料の出し渋り、労働者による社会保険料の出し渋りをなくすためには、あらゆる労働・賃金に一定割合を乗じて社会保険料を徴収するしかない、と考えている。
北海道であれば、健康保険は40歳未満10.29%、40歳以上12.11%を報酬月額の多寡に関係なく単純に報酬額に10.29%か12.11%を掛けて徴収する。厚生年金保険も単純に18.3%を掛けて徴収することにする。そうすれば、「社会保険料を払わなくて済む年収の壁」などというものはなくなる。年収の壁を取っ払って、働けるのに働きに出ていない人、働けるのに実際に働ける分だけ働いていない人を、掘り起こしていくのだ。
潜在介護職員、潜在看護師などは、まだまだ世の中にたくさんいるはずなのだ。いくら賃金など労働条件を良くしてみても、たくさん稼ぎたいわけではないので、人は集まって来ない。純粋に労働条件で労働市場を動かしたいと考えるなら、「めいっぱい働かないことのメリット」をなくすしかないと考えている。
ケアマネ不足とケアマネの質
ケアマネジャー(ケアマネ)は2018年の受験資格の厳格化で受験者数が大きく減り、ケアマネ不足が起きているのだという。しかも、介護職員への手当てが手厚くなったおかげで、ケアマネから介護福祉士への鞍替えといった現象も起きているらしい。
ケアマネはケアプランを作る職種だから、ケアマネがいなければ要介護者がサービスへとつながっていかない。
ただ、こうした受験資格の厳格化というのも、ケアマネの質から考えれば仕方のない部分もあるのかもしれないな、と思ってしまう。
私がデイサービスで経験したことの中から、少し脚色を加えて紹介してみたいと思う。
寄り添うことしかできない人
認知症で非常に暴力的になるTさんという男性がいた。怒ると手が付けられなくなり、そこら辺にあるものを手当たり次第に投げる。初めはいつ怒りのスイッチが入るかわからないから、大変に困ったものだが、そのうち「一人にしておくと怒る」というのがわかってきた。一人にしておかなければ、たとえ怒ったとしてもなんとか対処できる。しかし他のスタッフは平気で(あるいは怖がって)Tさんを一人にしておくので、仕方なく私がずっと隣にいるしかなく、Tさんが来る日はトイレにもいけないというのが普通になってしまった。
デイサービスでは他にも利用者がいるから、他の利用者に危害が加わらないように配慮しなければならない。Tさんの家に迎えに行っても準備ができていないことも多いし、「お父さんがボーっとしてお父さんじゃなくなるようだ」と勝手に朝の薬(精神を落ち着かせる薬)を抜いたうえでデイサービスに送り込むこともあった。そろそろ自宅での介護も限界が来つつあるのではないか、どこか施設入所を考えた方がいい、このまま酷くなればどの施設にも断られて精神科への入院しかなくなる、とケアマネには訴えていた。
しかし、だ。家族(Tさんの奥さん)は、自宅でのTさんしか見ていない。そこには他の利用者もおらず、奥さんと二人で暮らせる自宅では穏やかでいる時間もずっと長いのだろう。奥さんは事態をそれほど重大に受け止めてはいなかった。奥さんは引き続き自宅での介護を希望した。
Tさんのケアマネは、結局、“奥さんの意思を尊重する”と自宅での介護を続けることにし、私たちの負担は引き続き増大していくのだった。
Tさんのケアマネは、「家族の気持ちに寄り添うことしかできない人」だった。家族の気持ちに寄り添うのはとても大事なことだ。基本中の基本であるかもしれない。だが、家族の気持ちに寄り添うだけならば、誰にでもできることだ。専門職であればこそ、あえて厳しい方針を示したり、引導を渡したりということができたのではないだろうか?
キラキラ介護の末に
私が勝手に「キラキラ介護」と呼んでいるものがある。最新のトレンドはどうなのか知らないが、私が在職していたころは住み慣れた街で、住み慣れた家で、最期まで暮らすというのが流行していた。
ある家族は、認知症のきつい父とやはり認知症のある母を、嫁さんが主に世話をするという状況だった。認知症のきつい父は暴力をふるってしまうことがあり、そのときは精神科に入院中だった。やがて父も母も自宅では面倒を見きれないとなったときに、ケアマネは「少しでもいいから家族がそろう時間を作ってあげたい(キラキラ☆彡)」と言い出したのだ。
そして、ろくな下調べもせずに(シェルターなどの暴力を受けたときに避難する施設の所在や連絡先など)、サービス担当者会議にあろうことか警察を呼んだのだ。会議に警察を同席させた私は凄い(キラキラ☆彡)くらい思っていたのかもしれないが、警察は「ドメスティック・バイオレンスの可能性があるので直ちに夫婦を引き離します」とにべもなかった。それはそうだ。警察は犯罪を防止する立場なのだ。何か起きたときに保護してね!☆彡 と言われても困るのだ。押し問答のすえ、警察には「なにか犯罪に発展しても警察には頼りません」と一筆を書かされ、警察はそのまま帰っていったという。
社長は電話で「警察の人も少しくらいこちらの意図を理解してくれてもいいですよね」などとのんきに話していたが、もし暴力をふるうかもしれない父を同居させている間に、父が傷害事件や殺人事件を起こしてしまったとしたら、どう責任を取るつもりだったのだろうか。「少しでもいいから家族がそろう時間を作ってあげたい(キラキラ☆彡)」という軽い気持ちが、夫婦を犯罪者と犯罪被害者にしたかもしれないということに、多分今でも気付いてはいないだろう。
注意を払えない人
社長の奥さんという人は、介護福祉士でケアマネの資格も持っている人だった(ケアマネとしては働いていなかったが)。利用者のKさんという男性ははしばしば血圧の低下から意識の消失を起こすことがあった。それはスタッフの皆が知っていることだった。
ある日、Kさんが利用される日のこと。私は事務仕事の手を止めて、午後からのお客様にご挨拶でも、と降りて行ったときのことだ。まずバイタルを見る。Kさんの血圧が明らかに低い。Kさんを見る。周囲にスタッフはいない。居眠りをしている。マズいと思ってKさんのもとに行き、Kさんの名前を呼んだが案の定返事がない。
あの、バイタルを測った時点でこうなることは予想できましたよね。なのにどうして放置なんですか。初任者研修しか受けてない私でもわかることですが何か。
結局Kさんは社長と社長の奥さんによる適切な処置で事なきを得たのだが、不注意が過ぎるのではないか。
まあ、ここだけの話にはなるが、コップに冷たい麦茶を注いだ時にコップの表面が結露するのを見て、「水がしみ出してきてる」と言ったくらいの人だから、ケアマネの程度などというものは推して知るべし、なのかもしれない。
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