Y医師のストックホルムの街角から~#6 忘却力仮説
もう随分前のことなのですが、Y医師との間で面白いやりとりがありました。
ある同級生
その前に、ちょっとおさらいをしておきます。
このエピソードを発表してすぐのことです。チャットでこんなやりとりがありました。(──に続く部分が筆者の発言)
感動的なエピソードなのに、そのエピソードだけでなく、Yちゃんがかばった男子生徒の存在自体がYちゃんから消えていました! 3年間も一緒にいたのに! しかも同郷! 申し訳ありませんが、大爆笑してしまいました。いやー、私の存在がYちゃんから消えてなくてよかったよかった。28年も会っていなかったのに。ありがたいことです。
それではチャットの続きを覗いてみましょう。
私は記憶の専門家でも何でもありませんが、「人がものを忘れるメカニズム」には興味があります。
そこには、「忘れるべきことは忘れる仕組み」が備わっているように思えてならないからです。
ある怪談
私は怪談が好きで、折に触れて怪談イベントに参加したりするほどなのですが、ある興味深い話を聴いたことがあります(はい、いつの間にか自分語りが始まっておりますよ)。
以前、伊山亮吉さんという怪談師の方が、友人A氏が子供のころ、ビデオを録画しに誰もいない我が家に帰ったところ、女性の幽霊に遭遇したという話をしていたのです。それ自体はよくある怪談なのですが、それには後日談があります。大人になったA氏が実家の母親に「そういえば昔こんな話があったよね」と、この怪談を振ってみたところ、母親からは「ああ、四つん這いになった女の幽霊に追い掛け回された話ね」という答えが返ってきたのだそうです。A氏は四つん這いになった女の幽霊に追い掛け回された記憶はなく、伊山氏に対して、「人間って、本当に怖いことは記憶から消してしまうものなんですね」と語った、というものでした。
また、昨今の怪談界をリードする怪談社の糸柳寿昭氏が、ある怪談番組で、披露された怪談に対する感想として、「最近、肝心なところで気を失ったという話がとても多いんですけど、あれは一体どういうことなんでしょうねぇ」とこぼされているのを耳にしたことがあります。実際、幽霊に遭遇し、恐ろしいことが起きている最中に気を失ってしまい、気づいたら朝だった、という話がたくさんあります。
しかしこれも、実は気を失ってなどいなくて、耐えられないほどに怖い体験をしてしまった場合、その記憶を脳が封印をして、その体験を思い出せないようにしているのだとしたら、体験者にとっては「そこで気を失って気づいたら朝だった」という記憶に置き換わっている可能性があるのではないか、と思うのです。
これが、「忘れるべきことは忘れる脳の仕組み」なのではないか、と。
ある認知症高齢者
さて、自分語りついでに、もう一つ記憶の面白い話を。
私がデイサービスに勤めていた時、そのデイサービスには私のおばが通っていました。おばはバリバリの認知症高齢者で、昔のことは実に細かく覚えているのに、最近のことはまるで覚えていない人でした。私のことも甥だとは思っていなかったでしょう。
当時のデイサービスには「問題児」がいまして、面白いおじいさんなのですが、とにかく女性器や男性器を意味する言葉を連発して、女性に対して卑猥な言葉を躊躇なく投げかける人でした。そのおじいさんは胸やお尻を触ったりすることはなかったのですが、通りすがりに女性の肩をポンと叩くことがありました。
これが女性には評判が悪く、常に卑猥な言葉をしゃべっているおじいさんに触られるのはとても気持ちの悪いことのようでした。
私たちはなるべく、おじいさんと女性との間に割って入るようにし、おじいさんが女性に触らないようにしていたのですが、それでも限界があり、触られてしまうことがありました。
私のおばも例外ではなく、何度か肩を叩かれたことがあったようなのですが、他の記憶はとっ散らかっていても、そのおじいさんに対してだけは、とても嫌そうな顔をして「私、あのおじさん嫌い」とはっきり言うのでした。
他のことは新たに覚えられなくても、自分に危害を加える(かもしれない)相手のことはしっかり覚えられる。これは、たとえ認知症になっても、自分の身を守るために必要な機能は最後まで残りやすい(自分の身を守るために必要でない部分から抜け落ちていく)のではないか、と感じた出来事でした。
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