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Y医師のストックホルムの街角から~#6 忘却力仮説

 もう随分前のことなのですが、Y医師との間で面白いやりとりがありました。

ある同級生

 その前に、ちょっとおさらいをしておきます。

 高校生時代のYちゃんについて、忘れることのできないできごとがあります。
 おそらく1年生のころだったと思うのですが、クラスの中に一人の男子生徒がいました。彼も頭は良いほうだったのですが、何かにつけて鼻にかけて、あまり態度がよろしくないタイプの生徒でした。その他の男子生徒からは嫌われ、仲間はずれにしようかとしていたときでした。
 Yちゃんはわれわれ男子生徒の前に出ると、「仲間はずれするようなことはよくない。私はそういうことをする人は嫌いだな」とはっきり言いました。男子生徒たちは皆Yちゃんの言葉に従い、彼に謝ってことなきを得たのでした。Yちゃんは間違った方向へ進もうとしていた私たちを、救ってくれたのでした。
 Yちゃんは正しいことを正しい、間違っていることは間違っていると、きちんと言葉にして言える人でした。心の中にしっかりと正義を持っており、またそれを男子生徒たちの前に立って言える強さと勇気を持った人でした。
 自分にとって、メリットがあるかわからないこと、デメリットになるかもしれないことでも、正しいと思ったほうに動く、正しいと思った行動をする。当たり前のことのようでなかなかできることではありません。その時の彼女の心に葛藤のようなものがあったのか、私には窺い知ることはできませんが、そういうまっすぐな人柄を持った人でした。

Y医師のストックホルムの街角から~いきなり番外編|https://note.com/prospector_sasa/n/nd96711c263ca?magazine_key=mb67ab02b47fc

 このエピソードを発表してすぐのことです。チャットでこんなやりとりがありました。(──に続く部分が筆者の発言)

すごい不思議だったのが
人の記憶って色々違うんだなーとその男子生徒の件、記憶がゼロ笑
誰のことかも全く見当つかない。
誰なんだろーそんなこと言った?
おもしろいね。
やはり事実でも、人によって記憶として残るものが違ってくるし解釈も違うんだね。おもしろいな。

──Yちゃんでも覚えてないことあったかー。そりゃその出来事のインパクトって人それぞれだから、しかたがないよね。でも僕にとっては道を踏み外さずに済んだ出来事だったし、強烈に印象に残ってたんだよね。きっとYちゃんにとってはごく当たり前のことだったんだと思う

ね、その男の子って誰だったの?
全然考えても誰だかわからないけど、なんか興味あり!

──B君覚えてる? 彼だよ。彼も賢い人ではあったよね。ただ、Yちゃんは相手が誰であれ、同じ行動をしていたと思う。

Bくん?全然覚えてない

──B君は覚えてるよね? 出来事を覚えてないだけだよね?

恥ずかしながら
その人はもしかして、I町のB?

──そーそー、I町だったはずだ

ごめん、彼は覚えてるなんとなく。でもさ、××科だった?

──××科だったよ。じゃなきゃ僕が知ってるはずがない

やばい
そこはぬけてる
彼がいた記憶がゼロ、ゼロだよ!

Yちゃんとのチャットより

 感動的なエピソードなのに、そのエピソードだけでなく、Yちゃんがかばった男子生徒の存在自体がYちゃんから消えていました! 3年間も一緒にいたのに! しかも同郷! 申し訳ありませんが、大爆笑してしまいました。いやー、私の存在がYちゃんから消えてなくてよかったよかった。28年も会っていなかったのに。ありがたいことです。

 それではチャットの続きを覗いてみましょう。

──すごい、余計なことに記憶のリソースを割かないスタイル。僕もそうなりたい

というか、前言ったように物忘れがひどいのと、記憶の欠落がひどい
旅行いっても、いったこと覚えてもみたものや食べたもの全部忘れて毎回初めてのような感じだから
認知症だよ

──でもさ、忘れちゃうから写真とか撮るんだよ、きっと。僕みたいに覚えてなくていいことばっかり覚えてても、何の役にも立たないよ。脳の容量は無限じゃないんだからさ

そかそんな考え方もあるね
視野が広くてうらやましいよ

──それに、僕が忘れててYちゃんが覚えてることもあるじゃない? それは、やっぱり物事のインパクトの強さとか重要性は人それぞれである証拠で、忘れちゃってもいいことは忘れちゃうんだよ、きっと。

こういうのっておもしろいよね。
事実は人によって異なるっていうかさ

Yちゃんとのチャットより

 私は記憶の専門家でも何でもありませんが、「人がものを忘れるメカニズム」には興味があります。
 そこには、「忘れるべきことは忘れる仕組み」が備わっているように思えてならないからです。

ある怪談

 私は怪談が好きで、折に触れて怪談イベントに参加したりするほどなのですが、ある興味深い話を聴いたことがあります(はい、いつの間にか自分語りが始まっておりますよ)。
 以前、伊山亮吉さんという怪談師の方が、友人A氏が子供のころ、ビデオを録画しに誰もいない我が家に帰ったところ、女性の幽霊に遭遇したという話をしていたのです。それ自体はよくある怪談なのですが、それには後日談があります。大人になったA氏が実家の母親に「そういえば昔こんな話があったよね」と、この怪談を振ってみたところ、母親からは「ああ、四つん這いになった女の幽霊に追い掛け回された話ね」という答えが返ってきたのだそうです。A氏は四つん這いになった女の幽霊に追い掛け回された記憶はなく、伊山氏に対して、「人間って、本当に怖いことは記憶から消してしまうものなんですね」と語った、というものでした。

 また、昨今の怪談界をリードする怪談社の糸柳しやな寿昭としあき氏が、ある怪談番組で、披露された怪談に対する感想として、「最近、肝心なところで気を失ったという話がとても多いんですけど、あれは一体どういうことなんでしょうねぇ」とこぼされているのを耳にしたことがあります。実際、幽霊に遭遇し、恐ろしいことが起きている最中に気を失ってしまい、気づいたら朝だった、という話がたくさんあります。
 しかしこれも、実は気を失ってなどいなくて、耐えられないほどに怖い体験をしてしまった場合、その記憶を脳が封印をして、その体験を思い出せないようにしているのだとしたら、体験者にとっては「そこで気を失って気づいたら朝だった」という記憶に置き換わっている可能性があるのではないか、と思うのです。

 これが、「忘れるべきことは忘れる脳の仕組み」なのではないか、と。

ある認知症高齢者

 さて、自分語りついでに、もう一つ記憶の面白い話を。
 私がデイサービスに勤めていた時、そのデイサービスには私のおばが通っていました。おばはバリバリの認知症高齢者で、昔のことは実に細かく覚えているのに、最近のことはまるで覚えていない人でした。私のことも甥だとは思っていなかったでしょう。
 当時のデイサービスには「問題児」がいまして、面白いおじいさんなのですが、とにかく女性器や男性器を意味する言葉を連発して、女性に対して卑猥な言葉を躊躇ちゅうちょなく投げかける人でした。そのおじいさんは胸やお尻を触ったりすることはなかったのですが、通りすがりに女性の肩をポンと叩くことがありました。
 これが女性には評判が悪く、常に卑猥な言葉をしゃべっているおじいさんに触られるのはとても気持ちの悪いことのようでした。
 私たちはなるべく、おじいさんと女性との間に割って入るようにし、おじいさんが女性に触らないようにしていたのですが、それでも限界があり、触られてしまうことがありました。
 私のおばも例外ではなく、何度か肩を叩かれたことがあったようなのですが、他の記憶はとっ散らかっていても、そのおじいさんに対してだけは、とても嫌そうな顔をして「私、あのおじさん嫌い」とはっきり言うのでした。

 他のことは新たに覚えられなくても、自分に危害を加える(かもしれない)相手のことはしっかり覚えられる。これは、たとえ認知症になっても、自分の身を守るために必要な機能は最後まで残りやすい(自分の身を守るために必要でない部分から抜け落ちていく)のではないか、と感じた出来事でした。

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