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子育ての結果は、老後になってわかるのかもしれない②障害の環境調整と偏見。

さて、①の続きになります。
今日は、障害というものをどう捉えているか、というお話を。


障害がある人の意見はきかないの?

環境調整という考え方があります。
障害があることで出てくる「困り事」を、適切な環境に調えることで小さくしよう、という考え方です。
この概念は、医療系の職種の方なら多くの方がご存知かなと思います。
教育系の方もそうでしょうか。

『こころと社会のバリアフリーハンドブック』(国土交通省)より引用(一部加工)   健常者を前提として作られた現代の社会環境は、障害のある人に上記のような「障壁(バリア)」をもたらす。これらを社会全体の問題として捉え、取り除くのは社会の責務であるというのが「障害の社会モデル」の考え方。(参考:「障害」は個人ではなく環境にある

このうちの意識上のバリアについてなのですが、
前回の記事でもご紹介したように、聞き返されたりすることが増えたり、相手に思っていることが伝わらないことが続けば、話すのが億劫になってしまいます。
コミュニケーションをとることを、諦めてしまうんですね。

そうなってしまうと、周囲の人は

       「何を言っているかわからない」もしくは「何も言わない」
                 ↓
          「どうせ聞いても答えられないだろう」
                 ↓
            「意見を聞く必要はない」
                 ↓
          本人の意思を確認せずに、色々なことが進む。

ということになりがち・・・なんだそうです。
自分の中では絶対にしない選択なので、実はこのケースがよくあるのかどうかわかんないなー、とちょっと思っていました。

だって、医療系の知識やら何やらを除外して普通に考えても、ですよ。
自分のことなのに、「きっと解らないだろう」とか「答えられないだろう」とか決めつけられて意見きいてもらえないなんて、嫌じゃないですか。

若年性認知症当事者による本。

でも、ちょうど図書館で借りた本にたくさんの事例がありました。

2021年の出版です

著者の丹野さんはご自身が若年性認知症と診断されてから感じた”理不尽さ”について、また認知症の当事者をとりまく環境についてご自身の体験からたくさんのことを書かれています。

認知症について、当事者のご家族も、また当事者自身も正しい認識を持っていないため、人権侵害と言ってもいいケースに発展することが多々あるようです。。

この中で「ああ、父もそうだった」と思ったのが、
認知症になったら終わり、と発症前に当事者が言っているケースです。
父は以前から、

認知症になったら終わりや。
あんなんなったら家族に迷惑かけるばっかりやからな。
そんなんならんと、ピンピンコロリが一番ええ。

と言っていました。

それを私は内心苦々しく思いながら聞いていました。
そういう老後、最期を願う父の気持ちも分からなくはないです。
でも、それって、めちゃくちゃ偏見ですし、毎日奮闘している当事者やその家族にとって失礼じゃないですか。

・・・父のそういうことを平気で言ってしまえる部分が、私には理解できないところなんですけれど。
それを、STの私の目の前で言う?!
そういう日々がんばっている人たちの応援をする仕事をしてたんですけど、私。
悪く言わないでほしいな、って。

なんでしょうね。
そういう話もしたことありますけれど、父はなんというか、、
他者の意見って聞き入れません。
どんなに言っても。
自分の好きなようにしかしないんですよね、結局。
俺の言うことをきけ、みたいな亭主関白ではないんですけど、
こちらが色々言っても全部暖簾に腕押し、みたいな。

そういう考えのまま、障害を抱えることになったら。
自分が終わったな、と思うことでしょう。

自分が今まで(知らずに?)偏見を持っていた人の立場になるんですから。

実際、診断を受けた当初は
「朝起きたら奇跡が起きてないかなあと思う」と毎日のように言っていました。「〇んだ方がましや」「なんでこんな病気になったんや」と。

それを聞く方も結構辛い、と思いつつ。
うん、うん。。
と聞いていました。

父は体が丈夫で、スポーツも得意で、大きな怪我もしたことがありませんでした。入院だって、一度もしたことなかったんです。
だからこそ、余計にショックも大きいのだろうと思います。

退職して、悠々自適に暮らしていこうと思っていた矢先でしたからね。

うーん。
でも悠々自適には、ずっと暮らしてたのかな。
母が亡くなって、その後は独身気分でしたから。。
それも娘としては、とっても複雑ですけどね。

障害を正しく認識することは、救いになる。


その障害について、本人がどういう認識を持っているか。
そして、
周囲の人たちが、その障害をどういうふうに認識しているか。
この二つはとても重要だと思います。

良くないイメージや誤った理解で障害を捉えていると、
ご本人も、周囲も必要以上に落ち込みますし、
なにより本当は目の前に開かれている可能性に気づくことができないということが、とてももったいないと思います。

今現在、当事者でない方には、
要領を得ない話かもしれません。
でも、決して関係ない話ではないと思います。
父も、まさか自分がこんな病気になるだなんて想像もしていませんでした。
父のそれまでの障害を抱える人に対する認識が、父自身を今苦しめている、
ともいえるのではないでしょうか。

障害があると「不便」だったり「できない」ことが多いです。
でも、その姿をみて自分よりも「劣っている」とは感じないでほしいです。

ただ、フラットな目線で。
この人は、こういうことが難しいのだ、でも、こういう方法をとれば
その障害はクリアできる、コミュニケーションがとれるのだと知ってほしいです。

障害や、違いについて正しく理解をすることは、
差別や偏見を小さくしますし、場合によってはご自身をも救うのではないでしょうか。

次は本題に入れるかな。
前置きが長くてすみません。

読んで頂きありがとうございました。
みんなそれぞれ違いはあるけれども、偏見ではなく受け入れられる社会になりますように。

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