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母とクリスマスの思い出。

クリスマス、我が家には、母が遺した飾りでいっぱいになります。
パッチワーク、木のオルゴール、サンタさんのお人形。。
どこを見回しても母の手作り作品が目に入ります。
それは、一度も孫たちと過ごすことのなかった私の母のことを、長男・長女に少しでも感じてほしいと思っているからかもしれません。

私が大学生になった頃。
母は入退院を繰り返すようになっていたのですが、徐々に病院で過ごす時間が増えていきました。

正直なところ、どれくらいの間隔で母が入院したり、家に帰って過ごしていたのか、憶えていないんです。
あるのは、断片的な記憶だけ。

病院での長い一日は、退屈な時も多かったと思います。
手先が器用で、よく手芸をお友達と集まってしていた母なので、
病室でできるちょっとした工作を楽しんでいた時期もありました。

ねえ、ビーズを買ってきてくれない?

素敵な色和紙でちぎり絵をしようと思うの。
ビーズは小さくて、目が疲れちゃって。

色鉛筆、持ってきてほしいな。

そんな感じで。

大学の帰り道、すこし大きな文房具屋さんであれこれと考えて選んで病室へ行くと、「いいわ~♪」と喜んでくれるのが、嬉しかったです。

その頃、クリスマスっぽい飾りが何かほしいと頼まれました。

病室は、季節感がないから寂しくて。
何か、小さいクリスマスツリーみたいなのないかな?

すごく悩んで、色々探して。
小さなガラス細工のクリスマスツリーを選びました。

10センチほどの、白い(透明?)のツリーに、色とりどりの丸い飾りがついていました。これなら、ベッドサイドにおいてある物置台に置いても邪魔にならないし、綺麗だなと思いました。

母に見せると、とても喜んでくれました。
「素敵!」と何度も言ってくれました。

ベッドに横になったまま、母は小さなガラスのツリーを包んだ両手を天井に向かって伸ばしました。

見て、こうやったらキラキラして万華鏡みたい!

ありがとう、いいの見つけてきてくれて。

そうやって、私が一生懸命考えた気持ちをちゃんと受け取ってくれる母がとても大切で。有難くて。まだここにこうしていてくれることが、嬉しくて。

けれども、クリスマスにそんな小さな幸せしか共有できないことが、寂しくて。家で家族と過ごすことも、ケーキを分けて食べることも、プレゼントを贈り合ったりすることも、もう、きっとできないことは分かっていて。

「気に入ってくれて、よかった」

嬉しい気持ちと、せつなくて悲しい気持ちがいつも入り混じっていました。

足が不自由になり始めた頃、少しでも明るい気持ちになるようにと当時では多分珍しかった柄入りの杖を見つけて買ってきました。
手描きのチューリップがたくさん入っていて。
見た瞬間、これだ!となりました。

これも、すごく喜んでくれました。
お母さんが死んだら、これに乗ってみんなのところを見て回るわ♪
「魔法の杖みたいに?」
そうそう。

そういってお母さんは笑ってたけど、やっぱり私は苦笑いしかできませんでした。

私は、不安と恐怖に押しつぶされそうな気持ちのまま日々をどうにか過ごしていたのに、母は、きちんと病気と向き合って、その先にある死とも向き合っていました。

いなくなった後の話なんて、まだ、聞きたくないよ。

私に、何ができるのかな。
何か、できることはあるのかな。
たとえ、それが母の病を打ち倒すことがないとしても。
どれほどがんばっても、生にはつながらないのだとしても。

それでも、お母さんが、少しでも喜んでくれるなら。
笑ってくれるなら。

私には、何もできないけれど、でも何かをやるしかないんだ。
そんな気持ちで、過ごす毎日でした。

読んで頂き、ありがとうございました。
プレゼントと一緒に、あたたかな気持ちが贈られますように。



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