何かに依存しないと人は自立できない
昨日、職場の上司からのすすめで
「ずっとやりたかったことをやりなさい」
という本を読んだ。
自分の中の創造性を呼び起こすためには
どのようなことをしたら良いのか?
これを具体的に書かれてあった。
要約すると日記を書いて自分のことを正しく認識し
その日記を礎に、妨げとなる要素を1つずつ取り除いていく。
思い込み、酒、異性、情報、仕事、、などなどだ。
そしたら創造性が作られていくんだと。
今思えば僕がこうして文章を書き始めたもの
「日記」がきっかけだった。
3月からずっと文章を書き続けているが
やはり思考がどんどん研ぎ澄まされていくのが分かる。
自分を正しく認識し、行動することができるから
どんどん自分の本音に気づくことができた。
今はこうして世に出し始めたが
これも1つの「創作」であり「自己表現」だ。
ここまで文章を書き続けられてるのは
自分の中の創造性に気づくことができたからではないか?
この本を読んでそう思った。
僕は文章で自分を表現するのが得意だが
人によっては
絵かもしれないし
音楽かもしれないし
映像制作なのかもしれない。
この本には真の創造性が書かれていると思うので
気になった方はぜひ目を通して頂きたいです。
さて今日のテーマは「自立」だ。
あなたは自立と聞いて何をイメージするだろうか?
僕はこれまで
何にも頼らずに、自分で自分のことを
しっかり律することのできる人。
そう思っていた。
今の会社に入って
僕より2つ上なのに執行役員になってる人
1つ上なだけなのに、マネージャーをしてる人
この人たちは自立してるように見えた。
もう社会人10年目くらいの顔つきをしてる。
僕とは経験したきたものが違う
どうしたらこのようになれるのだろう?
その若い歳で。。
これも今の会社に入った理由の1つだ。
やはり自立してそうに見える人は
輝いて見えるし
かっこよく映る。
しかし最近気づいたことがある。
自立とは依存なんだと。
なぜなら人はみな弱いからだ。
強そうに見える人も弱い。
だから人は人を必要とする。
食物連鎖で人間は頂点にいるが
人はマンモスをかりに行くときは
必ず「集団」で行っていた。
頭脳を使って、
人間1人では到底かなわない
マンモスをどう捕まえるか?
これを積み重ねた結果
現代では人間は食物連鎖の頂点にたった。
ここから考えると原始時代から
人は弱いということを自覚し
その上でどうするか?を
考える頭脳があったんだと思う。
しかしこれが
「俺は強いからマンモス1人でもかりに行けるぜ!」
と言って、かりに行った人間はどうなっただろう?
100%死ぬ。
これは自分が強いと過信をして起こることだ。
いつだって生き残り続けたのは「弱者」
自分が弱いと自覚してものだけなんだと思う。
原始時代から人は人に依存をして生きていた。
ここから考えると、
現代人も何かに依存しないと生きていけない。
「依存」と聞くと悪いイメージがあるかもしれないが
依存にも悪い依存と良い依存があると思っている。
悪い依存は
1つの手段にどっぷりつかってしまう事。
これは刺激的な手段の場合がほとんど。
恋愛、酒、セックス、ギャンブル、ポルノ、、
ここワーカー大量にドーパミンという快楽物質がでる。
だから人はこれらの高刺激な手段にハマりがちだ。
これらに依存してる人は多いだろう。
他にも
ゲーム、お菓子、スポーツ観戦、SNS、、
などなど上げるとキリがない。
世の中にある「すべての手段」は
依存する可能性になりえるのだ。
一番厄介な依存先は「仕事」だと個人的に思う。
仕事は人生で一番費やすことであり
仕事を頑張っていると周りから称賛される。
仕事に依存してる人のことを
「ワーカーホリック」というらしいが
このワーカーホリックにかかってる人が
一番厄介だ。なぜなら仕事だから。
仕事を頑張ることは
世間的に良いことだとされてるから。
特に男はこれにハマりがちだと思う。
では「いい依存」とは何なのか?
僕は以下の3つではないかと考える
①複数の依存先を持ってること
➁自分がその依存の手段で「心地いい」と感じてること
③自分は依存してるんだと自覚があること
この3つの条件がそろえば
「いい依存」だと言えると思っている。
僕も今も依存しまくりだ
タバコ、職場の人、母親、ブレスレット、スケボー、、
この文章を書くことも依存の1つだ。
でも僕はこれらすべてのことに
「依存している」という自覚がある。
それゆえに今は「心地い」と感じてるから
なんとか自分を保つことができている。
もちろん今は心地いと思ってても
のちのちにそうじゃない場合もある。
僕の場合は「筋トレ」と「酒」だった。
酒はうつ病時代は毎日飲んでた。
そしてその習性は社会人になって
半年が体がるころまで続いた。
本当に「酒」という1つの手段に依存してた。
その自覚だけはあった。
酒を飲んでないと
自分を保つことができなかったから。
しかし「筋トレ」を始めたことで
酒はきっぱりやめることができた。
今は1人では絶対に飲まないし
基本的に飲みに誘われたときだけ飲む。
依存から解放されたのだ。
また「筋トレ」は最初の半年間は
ハマりにハマった。
自分の体が変わっていくのが楽しかった。
でも体重70キロに到達した時から
違和感を感じ始めた。
筋トレには正解がきっちりある。
それを忠実に守っていれば
基本的に誰でも筋肉はつく。
加えてジムは狭い。窮屈だ。
これらに僕は「不自由」を感じていた。
加えて僕は「トレー二ー」と呼ばれる人達を
基本的に気持ち悪いと感じてた。
もちろん「いいトレーニー」もいた。
でも気持ち悪い人の割合が圧倒的に多かった。
だからトレーニング仲間は1人もできなかった。
なぜそう感じてかというと
自分は筋トレに依存してる自覚がないのに
「筋トレしてる俺はかっこいい」
と思い込んで、それをよしとしてたから。
本来はもっと向き合うべきことがあるのに。
これが良い悪いの話ではない。
本人が納得してればいい。
でも僕は「気持ち悪い」と感じてしまった。
今思うとスケボーのように
トレーニング動画は一切見てなかった。
筋トレにそこまでの熱量がないのも
原因の1つだったのかもしれない。
こうして依存する手段が
「筋トレ」から「スケボー」に
変わったのだ。
このように手段が変わってもいい。
手段は変わっていくものだし
そんな簡単に「いい依存先」を
見つけることは、できないんだと思う。
そして「いい依存」をしたときに
人は本当の意味で自立することができる。
そう思う。
依存は悪いことじゃない。
むしろ生きていくためには必須なんだ。
だから安心して、色んなものに
ドンドン依存しよう。
依存先が全く無くなってしまったら
それはそれで人生楽しくないと思う。
人間みんな弱いんだからさ。
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