善行は誰かが見てるっていうのは割とそう|『愛に乱暴』
最近のちょっとした善行は自分が倒したわけではない自転車を起こしておいた事です。
はにわです。江口のりこ主演、森ガキ侑大監督の『愛に乱暴』を見てきました。遅筆すぎて見た日からこのnoteの投稿まで2週間近くラグがあります。
吉田修一のベストセラー小説を原作とした緊迫感に満ちたヒューマンサスペンス。公開終了間近に観に行ったこともあり、他に観客のいない一人きりの映画館で鑑賞しました。贅沢な経験だ~。
※ネタバレ注意※
他人から自分を蔑ろにされることで人は少しずつ心を死なせていく。
そんな姿を全編通してじわじわと見せられ、身体の奥底のあたりがひたすらに痛くてたまらない作品でした。
誰も悪意を持って傷つけようとしているわけではないけれど、相手の中での自分の価値の低さを少しずつ突きつけられ、それでいて代わり映えのない日々は続いていく。
前半では誰かの言動で傷ついた桃子がお気に入りのカップを大切にすることで自分の心を癒やすような描写が挟まっていると思うんですが、カップが欠けてしまってからはもう戻ることなく狂っていき、江口のりこの怪演が光るほどにその姿が痛々しくて苦しかったです。
冒頭では鮮やかな青緑色だった桃子の服が、物語が進むにつれて少しずつ淡い色、そしてくすんだ色になっていく。人が壊れていく様を演出含めて丁寧に描いており、どんどん気分が沈んでいきました(褒めてます)。
チェーンソー振り回す楽しそうな桃子は見てて楽しかったです。
「一緒にいて全く楽しくない。お前が楽しそうにすればするほど楽しくなくなる。」
↑(ニュアンスですが)こんなん言われたら立ち直れない
でも桃子が直近で夫に見せていた楽しそうな姿って無理してた姿なんだろうなというのもわかるので……。空元気な人は見てて辛い。いや不倫の免罪符にはならないですけど。
映像作品ならではの叙述トリック(という表現が合ってるかわかりませんが)も面白くて回収される度になるほどね!と声が出かけました。もう一回最初から観たいな~。
「私ね、わざとおかしいフリしてあげてるんだよ。」
この台詞で桃子が本当に狂ってしまったのか、おかしいフリをしているうちにフリではなくなってしまったのか、それとも本当にただのフリだったのか、私には判断がつかなくなりました。
今考えると桃子は人一倍他人から見た自分についての意識が強いのかなと思うので、「いつの間にかフリではなくなってしまった」が一番しっくりくるかなとは思いますが。
というのも、私がこの映画を見ていて一番印象的だったのは桃子の善性や倫理的な部分だったので、最初はおかしいフリだったのかもしれないな、と。(映画の時間軸より前にしてることを考えると倫理的ではないですが(小声))
愛人の家にスイカを持って押しかけるシーン。家を飛び出すと物音が聞こえて一瞬振り返り、一度はそのまま去ろうとするけれど結局安否を確認しに戻ってしまう。狂ったように見えても残っている桃子の善性が垣間見えるシーンで大好きです。
余談ですがスイカ持ってたのは出産が「鼻の穴からスイカ出すような痛み」と言われるからなのか、胎児とスイカって重さ大きさ同じぐらいなのかな~とか考えてました。何の比喩だったんだろう。
冒頭から何度もあるゴミ出しのシーンでも、毎回必ずゴミ捨て場を掃除する桃子。そんな姿を見ていてくれたのは無愛想に感じていた外国人の店員だった。
あまりにも救いがない展開が続きすぎてもうやめてくれ~(好き)と思ってたら最後の最後で救いがあって本当に良かった。
明らかに様子のおかしい桃子に、あのタイミングでリーが「ありがとう」を伝えたのはなぜなのか。サイレンの音が聞こえていて状況を察したのかもしれないし、ただずっと言うタイミングを伺っていただけかもしれない。何にせよ間違いなく桃子は救われ、観客にとっても桃子の善性が誰かに認められていたことは間違いなく救いだったと思います。
善行を見てる人が必ずしもいるとは限らないけど、割と見てるもんだよね。
「ありがとうって言ってくれてありがとう。」
桃子~~~~~~~~!!!!
泣きました。ありがとうはどんどん伝えていこうな。
ラストで赤い服を着て縁側で棒アイスを食べる桃子の姿に笑みがこぼれたのは私だけではないはず。好きな服を着て好きな物を食べて、好きなように生きてくれ。
原作もそのうち読みたいです。良い映画だったので円盤なり配信なりきてくれ~!
ありがとうございました。