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草彅シャイロック②
演者が列をなして歩いてきたなと思ったら、舞台奥のベンチに座る。どんな風に始まるのか見守っていると忍成修吾さんのアントーニオが立ち上がり、言葉を発し始める。
そこからは、座って奥から舞台を見守る演者も気にしつつ、話に集中していく。
とは言っても草彅くんが気になるわけで。どんな様子で出番を待つのか、役になった時にどこから変わるのか興味津々で待つ。
アントーニオやバサーニオが語るシャイロックは、高利貸しの嫌なユダヤ人。彼らの信じるキリスト教からすれば、裏切り者の汚いやつ。顔を歪めながら語られるシャイロックの人物像は悪役そのもの。
草彅くんは、自分の出番まで舞台の演者の様子を観るともなく眺めているようだった。このひとがシャイロックなのかといった穏やかな顔で。
それが、変わる。
立ち上がり、自分の立ち位置に向かい出すと、歩き方も表情も、普段観ている草彅剛でなくなっていく。
そして、発した声が、シャイロックだった。
圧倒される。
あとはもう魅せてもらったという感じ。
演じ終わると、また元いた場所に戻るんだけど、話が進むに連れて、シャイロックにとって辛い場面が増えてくるのと比例して、草彅くんがシャイロックから戻らなくなってきてるんじゃないかと思った。はじの席で顔を上げず俯いてる姿には、苦しさとか怒りとか哀しみが漂う。
裁判の場面から、勝利に浮かれるバサーニオ達の祝勝会のような場面に変わる。
私はずっともやもやしていて、シャイロック以外の人たちが笑っているのが、すっきりしなくてちょっと怒りのような感情も燻っていた。
誰かの不幸の上に幸せがあることがそんなに嬉しいのか。シャイロックだけが悪かったのか。そもそも借りたものを返さずに、亡くなったあとは、財産も全て取り上げられる。改宗もさせられる。そこまでの事を彼がしたのだろうか。取り上げるという宣告をしたのには、自分のためというのが多分に入っていて、都合のいいようにすり替えているのではないか。
シャイロックの泣き笑いの声がいつまでも残る。
悪役だった。
でも
ただの悪役ではなかった。
善人と言われる人も
誰かにとっては悪人であったり
若さゆえに見えないものがあり
自分の信じるもののみが
善だと信じて疑わない危うさがあるのだという事。
草彅シャイロックは
ひとの感情を揺さぶって
問題提起をしていった。
彼にそんな意図はなかったとしても
あんなもの魅せられたら
ずーっと考えてしまうよ草彅くん。
カーテンコールは草彅くんだった。手を振って、にこにこして。
そこも凄いなと。
プロフェッショナルってこういう事なんだな、をみせつけられました。
だから
彼の舞台はまた行こうと思っちゃうんだよな。次はどんなか楽しみだし、期待してしまうから。
草彅シャイロック
素晴らしかった。
もちろん他の演者の方達や演出があってこそだと思っていて、素晴らしい舞台を観れた事に感謝です。