夫婦生活と他者依存の矛盾(続き3)
こんにちは、Rioです。
この記事を見てくださってありがとうございます。
前回までの話はこちら。
私は切り出した。
この問題は2つの要素がある、と。
1つ目は育児ノイローゼのような精神的な悩み。
2つ目はあなたに他の相手がいるという夫婦関係の問題。
1つ目については、無理に育児を続ける必要はない。
幸い実家も近いことだし、しばらく別居でもして静養しながら再び母親として子供たちと接したいという気持ちになれば解決するだろう。
この件については、自分にも多少なり責任がある。
というのも、パートナーがこのような精神状態になってしまったのは子供たちの振る舞いにあるというのだ。
過去の記事で書いた通り、自分は宿泊を伴う全国出張が日常的に発生する仕事をしており、何日かぶりに家族と会って話をするなんてことはザラにあった。
勿論、出張の間に電話をしたりTV通話をしたりとコミュニケーションを取ることは怠らなかった。
ただ、私が自宅へ戻ると、今まで居なかった反動からか子供たちは自分に寄ってくると、「今日~をした」とか「一緒に、風呂に入りたい、一緒に寝たい」と離れていた時間を埋めるように触れ合いを求めてくる。
私はそれが普通だと思っていた。
それは自分だからと言うような俗人的な話ではなく、片方の親に会えなければ会いたいという感情が生まれてくるのは対象が父親であれ母親であれ小さい子供にとっては当たり前のことだと思う。
なので私も出張で不在にしていた罪滅ぼしではないが多少のわがまま、と言っても寝る時間を少しオーバーしても絵本を読んであげるとかその程度のことだが、そのくらいは許容して付き合ってあげていたのだ。
しかし、彼女にとってはそれが疎ましかったようなのだ。
見方を変えれば違った風に見えるものである。
一人で子供たちを看ながら仕事もし、家事もし、、なのに帰ってきたら子供たちは父親の方へ寄っていき、自分の存在価値は一体何なのか。。
そんな感情が芽生え始め、心の中でどんどんと膨らんでパンク寸前までになってしまった結果がこれなのだという。
当然子供たちが悪いわけでもなく、行動や感情を親がコントロールできるわけもない、いわば生理的な行動に近いものだ。
私自身も、先述の通り不在していた間の任せていた家事の部分を、家にいるときには可能な限りこなし、彼女の手が空くことで母と子供たちとの触れ合いの時間を確保してきたつもりではあった。
しかし、これについて特別言葉にして感謝を表現する事は無かった。
色々な事を全て含めて不在にしていた期間のお礼を述べるという程度で済ませていたのは事実だ。
そのため、彼女が感じていた精神的な負担や空虚感というものには全く気付かずに、誰にも理解されない感情を押し殺してしまっていたのだろうかと今では感じる。
また、子供たちの躾についてもベクトルが違っていたことが問題を大きくしている一因でもあった。
私はどちらかと言えば甘やかされて育ってきたと実感がある。
実家で暮らしていた時代は世話焼きの母親が子供たちのスケジュールに合わせて朝起こしに部屋に来たり、食卓にドカッと座っていれば黙っていても食事が運ばれてきていた。
当然、高校を卒業して大学、そして社会人となれば自分自身を律して親の助けをなるべく借りないように過ごしていたつもりではあったが、それでも私の家族観はどちらかというと無償の愛が強いのではないかと今更ながらに感じている。
困ったときに相談するのはまず家族からという考えが全員に浸透している感覚がある。
そのためなのか、私は子供たちに対して細かいことをとやかく言う事は無かった。
第一子が幼稚園のお迎えバスに遅れそうなときも、自分で支度が出来るように黙って見守っていた。
結局バスには乗り遅れ、泣きじゃくるわが子を自転車の後ろに乗せて幼稚園まで送り届けたりもした。
自分の経験をもとに考えると、失敗してみないと事の重大さには気づかないものだ。
だから自分の教育方針は失敗を先回りして子供を助けてあげるより、失敗してからどうやって次を成功させるか本人が考えられるように経験させてあげることが重要だと思っている。
極端な話だが、死や重篤なケガなどの危険性が無いような事についてはある程度リスクをとっても子供には経験をさせるべきだと自分は思っている。
一方、パートナーは私が考えているほど我慢が出来る質ではないので、子供に注意をするのは大抵彼女の方だった。
おまけに子供たちが言う事を聞けない時には大きな怒鳴り声をあげて叱ったりもしていた。酷いときは子供と同レベルで言い合っているようにも見えてしまうような時もあった。
私は感情のコントロールできなくなった彼女を一時的に子供から引き離してお互いが落ち着いて話をできるようになるまで仲裁をする役回りだった。
そうして図らずも常に生活を共にし、子供たちへ口うるさく注意する母親と不在がちな怒らない父親という構図が出来上がっていた。
別に子供に好かれようとあえて甘くしていたわけではない。
ただ単に、声を張り上げて怒るほどでもないような事なので、冷静に落ち着いて教えてあげることが子供にとって最適だと思っていただけだった。
育児に関する本や記事などを参考にしても必ずと言っていいほど、親が子を大声で怒ることに対してネガティブな影響があるという内容が載っている。
なので子供の言動についてストレスを感じてしまうのは子供の問題ではなく、親の問題なのだというのが持論なのだが、この認識のズレが今回の問題を引き起こした一因だったという事が分かった。
前置が長くなってしまったが、私は彼女に対して別居による静養、それから育児ケアやメンタルヘルスケア等、今の悩みを相談できる外部機関への受診を提案した。
そして2つ目の問題については、今になって考えると言った本人でも驚きの提案を投げかけたのだった。
ここまで読んでくださりありがとうございます。
長くなってしまったので別の記事で続編を書いていきます。