普段、自分の好きな短歌を布教する機会がなかったので、好きな短歌を100首挙げようという、毎年恒例の記事です。去年のはこちらです。興味のある方は、併せてご覧ください。
1~10
すべりだい滑り落ちてく楽しさを大人になっても忘れていない /笹塚心琴
歳が増えても覚えていたいこと、身体感覚がまだ年齢についてきていたらいいな、と思う。滑っているあの一瞬の快感。笹塚さんの「拍手ってうるさいじゃないみんなして手を叩くのってうるさいじゃない」も好きです。好きな子を明かしあうときブランコは遠くへゆける乗り物だった /小泉キオ
照れ隠しで風になってしまえばいいんだ、って気づかせてくれる歌。遠くに行けば、バレずに済む(たとえ、バレたって私は逃げおおせるのだ)という変な自信が湧いてくる。小泉さんの「参道のまんなかをゆく神さまの手つきで寝る子の眉間をなぞる」も好きです。蒲公英を踏まずに駆ける虎だつた誰かのために怒るあなたは /小金森まき
怒っているあなたの深い胸の内に気づいた時、どうしたって愛だったと。守ってくれていたのだと知って泣きそうになる。小金森さんの「少しだけ生きやすくなる自転車の空気を入れたあとの世界は」も好きです。
海へ行く約束をしたそれからのすべての日々が海までの道 /水町春
海が約束になって、海に行けなくとも存在する全ての道がそこを歩いている気分になって。だから、少しだけ潮の匂いがする今も本物だと思う。水町さんの「好きならば触れたいらしい 好きだから触れられないと思う波際」も好きです。子はみんな誰かの子 けどはぶられてジャングルジムですごい角度の子 /小池耕
宙づりになったり、反り返した体勢になってそれでもジャングルジムから離れようとしない子の光景がすぐに浮かんできて、我を通す強さとその眩しさが良くって。きらめくような幼少期を「すごい角度」という言葉で掴む凄さ。人を幸せにする嘘の果てにあなたが手に入れる月の放映権 /暗い部屋で
月をスクリーンにするなら、何を流したいと思うだろう。それは一種のサプライズの用途として使えるかもしれないし、企業が買い取って広告になってしまうかもしれない。そんな嘘。暗い部屋でさんの「接尾語に合わせるだけの相槌で花が咲いたら綺麗だろうか」も好きです。好きと言えば好きと言うほどあなたから嫌われるっていう手品です /谷川電話
「手品」と言える強さとユーモア、だけど現実は寂しくて、鳩を飛ばしでもすれば気を引くことができるだろうか。白組のスパイのきみが颯爽とゴール手前でバトンを落とす /木下龍也
それも実は計画の内だったのか、という驚きと運動会に似つかわしくない「スパイ」という響きが一気にシリアスを加速させて想像が膨らむ。少しだけ怒った時に僕というあなたのうつくしい表記揺れ /鳥さんの瞼
真面目な、いたって真剣な抗議ゆえににじみ出た一人称がこんなにも心を打つ。いつもは「俺」としておちゃらけていて、それが恥ずかしくもあったのかもしれない。鳥さんの瞼さんの「館内で生きるイルカがはじめてのジャンプで知った空の触れ方」も好きです」。弟の対義語として兄になりそれで明かせる夜があること /古月もも
「弟の対義語として」というところが凄くて、そこには最初から上下なんか無くて、ただ対等に接し合える・相談し合える関係があるんだと吹き飛ばされるような気持ちになる歌。11~20
死ねという言葉に意味はないけれど殺してやるには愛を感じる /アゲとチクワ
これは本当に不思議な感覚で、だけどすごく分かる。「殺してやる」っていうのは「勿論、私がね」という意味上の主語(英文法でしか聞かない言葉)が存在しているからこそ「愛」を感じるのではないか、と思ったり。人間はしっぽがないから焼きたてのパン屋でトングをかちかち鳴らす /岡野大嗣
なんとなく手持ち無沙汰な時にトングを持ってかちかちしたくなるのって、実はそうだったんだと妙に納得させられる歌。人間ってかわいい。岡野さんの「平日のイオンモールをきみとゆく嫌いな奴の名を言い合って」(逃げ出したかった世界があり、悪口を言い合える仲であり、だからこそ「平日」がこんなにも輝いて見える瞬間だと気づく歌)も好きです。中三の男子言い争ったあと「ごめん」の「ん」はかすかなる音 /早川晃央
どうしても言い出せない言葉がある。だから謝るってすごい難しくて、勇気のいることで、その一瞬の音にも気持ちが確実に乗っていることを忘れないでいたい。ゆっくりとオレオを剥がす知りたいと壊したいは少し似ている /あひる隊長
子供ながらの好奇心って実は残っていたりするもので、サンドされた断面から中身を当てたり、開いてみたりするけど、壊してしまうのはわざとでなくて……。知る行為と同時に得る「真実」の共存にはっとさせられる歌。あひる隊長さんの「晴天に迷惑そうな顔をするそういう点できみは紫陽花」「やわらかな充電だろうケーブルのように繋いだ手のひらに熱」も好きです。セーターを脱ぐとぱちぱち鳴っていて、帰宅を祝う拍手だろうね /暗がり
静電気を「拍手」と呼ぶところに思わずほっこりして、ああ今祝われてるんだと発想に飛ばせる(くらい疲れているのか)ところに、その音を聞いて疲れが吹き飛びますように、と祈りたくなる。暗がりさんの「六秒を我慢するため5つまで指を折ったらグーだし殴れ」も好きです。とん、とん、と値引きシールを貼っていく子を眠らせるようなリズムで /梅鶏
夕方の店員さんにフォーカスして、その優しい動作を的確に写し取る比喩。想像しただけでお弁当、お惣菜が忽ちあやされて見える世界の変化にふふっと笑みがこぼれる歌。梅鶏さんの「泣き声がロビーに響く嗚呼これは私を父にするファンファーレ」も好きです。子の喉の突起が凶器にならぬようなるべく優しい言葉を託す/秋山ともす
いつか自分が使った言葉が、自分に返ってくることがある。「子の喉の突起が凶器にならぬよう」という言葉があまりにも愛に満ちていて、扱う言葉(そのものが子どもと同じように)だってワレモノ指定されうる(言葉を選ぶ緊張)可能性を常に孕んでいるのだと肝に銘じたい歌。秋山さんの『パパとしか呼ばない息子の作文に澄ました2Bの「父」を見つけた』も好きです。あの人のおさがりだった口癖を私に恋したあなたに渡す /村人ちゃん
「おさがり」という言い方がかわいくて、だけどそれを「渡す」ところで一気に切なさと愛しさが込み上げてくる。所有者を悟らせないまま手放していく口癖が今もどこかを漂っていると信じて。やわらかな心のひだに引っかかる形をしてるあなたの八重歯 /ナカムラロボ
「心のひだに引っかかる」という、なんとも綺麗な言い方。そしてそれが「八重歯」という、笑った時に見えた(はず)の今でも見たくてたまらない存在感の大きさが私を深い沼に沈める、あなたの罪深さとなる。本当に、忘れられないんですよね。忘れたくても。ナカムラロボさんの「脱衣所で蜘蛛を見つけて俺の眼が命をはかる天秤になる」も好きです。歯ブラシを咥えてふおいえーと言う きみがすごいねえ、と訳する /あの井
日常の微笑ましいシーンって、こういう「伝わるか分からない微妙な発声」の中に「聞き手」(訳者)がいることで成立して、なおかつそれが詠まれることで伝わっていくんだなぁとふと感慨深く思えるような歌。21~30
謝らせるためだけに積み上げられた言葉の塔のぐらつきを見て /遠野鈴
正論のようでいて実はそうでなかったり、言い訳だったり。ああ、だからこの人は私に「頭を下げさせたいだけなのだ」と。どこか納得しながら冷たく干上がるような気持ちになる。それを『塔のぐらつき』と呼ぶ的確さに冷徹な眼差しを感じた。再婚の意味を知る子と知らぬ子が砂のトンネル開通させる /神谷小百合
砂場という平和な遊び場に、今日引き合わされたであろう子供同士が作ったトンネルの不釣り合いさ。不穏でいびつなんだけど、その光景に面白さがあって、ホースで水を通したくなるような。この歌の景の先がどうにも気になってしまう。主人公、鼓動、足踏み、海、世界、夜、夜明け、朝、ひかり、眼差し /笠原楓奏(ふーか)
口に出すだけでもう楽しくて、主人公の担う視界なのかな、冒険が始まる合図なのかな。と夢想しながら読むことができる歌。呼名簿に一人ひとりの名を書けばぐんと夜になる小会議室 /千葉聡
卒業式の前日、担任の先生が生徒の名前を間違えないよう読み上げる練習をしたり、紙に書いたり。前夜のひとの姿がこんなにもかっこ良く見えて、1年間の思いを背負っていて……。思わず背筋がすっと伸びるような歌。性別がなかった頃の木登りのなんてひかりに満ちたてっぺん /神岡風
「性別がなかった頃」という言葉に強く惹かれ、この言葉が指すのは男女の分断が無かった・お互いを意識することの無かった年齢の自由さ、遊びの奔放さだと思っていて、だから手を伸ばして支え合えた木登り。そのてっぺんは、いっとうひかって見えるんだと。光より光ってみせるから見てて 失敗しても友達でいて /ねむけ
「失敗しても友達でいて」という言葉が刺さって、今年一年間ずっとずっと抜けなかった歌。ちょっとでも失敗したり怪我したりすれば、馬鹿にされたり、友達でなくなったり、離れたり、怒られたり。だから、友達って子供の時は簡単にできたりするんだけど、その簡単さがひとを、過去を締め付けることもある。勇気づけられて、痛くて、泣いて、それでも忘れられない。もう一度、友達でいてくれるなら成功してみせたい、と強く強く願ってやまない。ねむけさんの「大丈夫 大丈夫屋で買ってきた国産の大丈夫だからね」「クレイジーソルトで消えたなめくじがサイケな夢を見ていた刹那」も好きです。いつかふたりになるためのひとりやがてひとりになるためのふたり /浅井和代
ひらがなの優しさを感じる、「ひとり」と「ふたり」のボーダーラインを突き詰めた歌。ああ、「ひとり」っていうのは状態で、いつかふたりになって、だけど別れが来るもので。すごい雨。ってきみがわらう明日だって明後日だってわたしがすごい雨になるからわらって /藤宮若菜
多少見栄を張ってでも喜ばせたい、っていう気持ちがあるから、思わず勢いで言ってしまうことがある。その瞬間は誰よりも自分が輝いていて、「わらって」の祈りにも似た言葉の強さに目がくらむ。終点で一度も降りたことがない めちゃくちゃ虚言癖なのにない /高遠みなみ
乾いたユーモアというか、自慢したいんだけど素行と相まって「またまた~」と笑い飛ばされる覚悟で口にする事実に現実味を帯びさせようと吐露する「めちゃくちゃ虚言癖なのに」と最低アピールするところがシュールで好き。温かいビュッフェのトレイどこまでも騙されている気がして好きだ /岩倉曰
東横インで朝食を取る時にいつもこの歌を思い出してしまうくらいに好きな歌。「騙されている」って思うところがすごくって、トレイの温められる都合と渋々受け入れるスタンスの提示、だけど世界や衛生を疑っているのに「好き」に結びつける最後がキレッキレで。岩倉さんの「小用の背中が外から見えている世界の構造上の問題」は壁が無い公共トイレに入る度に思い出してああまだ差別って存在するな、と嘆くスタンスになり、「お前寿司を横にするなよ!という声が響いているコストコの駐車場」ももう今まさにコストコにいたかのように感じるくらいリアルな歌で好きです。31~40
あだ名はたまに衍字のようで特定の声以外では意味を成さない /神無よわ
「ああ、この人の声で呼ばれたかったんだ」と気づく瞬間。他に代わりのいない役目を実は声が担っていたことに気づくのに「あだ名」がこんなに耳に慣れすぎていたとは。春の書架 うすいひかりにつらぬかれ翻訳は顔のないひとがする /石村まい
一読した時の「翻訳は顔のないひとがする」という衝撃。こう表現できてしまうのか、と打ちのめされたと同時に美しさも秘めていて。遠い誰かが訳した言葉に思い馳せて、顔のないひとのことを考える。石村さんの「うつぶせたままに鏡を運ぶときシーラカンスの肺のくらがり」も好きです。紙おむつが自分ではけたCMの大人の笑みは子どもと違う /といじま
CMの笑顔をいう着眼点のすごさ。満足感や「自分で履ける」という実感は子どものそれとは違うだろうし、そこに年齢という影が落ちる。この歌の雰囲気とは打って変わりますが、といじまさんの「浴槽で百を数えて跳ね上がるハシナガイルカは遠ざかり凪」も好きです。ラーメンのジェスチャーなのに素麺と分かって、夏で、あなただからだ /藤井
すする、という動作を説明なしに通じ合える関係性がまず成立している上での「夏」、そして「あなた」だから分かるんだよという尊さ。ラーメンだったら「あつっ」なんてアドリブを入れたかもしれない一瞬がこうもきらめいて見える歌。藤井さんの「本、手紙、花、傘、記憶 開くとはいつの日か閉じるための決意だ」も好きです。耳の穴こしょこしょ指で掻いてやる猿の母さんのような気持ちで /俵万智
まさか「猿の母さん」にまで発想を飛ばすとは思わなくて、なんて心温まる場面だろうかと。膝に頭を載せて耳掃除をしてもらう行為として当然のように人間を想定していたのでこの裏切り方に掴まれました。俵万智さんの「一枚のタオルケットを分けあえばつぼみの中の雌しべになった」も好きです。洋楽を大音量で聴いている老いへの感情がややこしい /たろりずむ
これはすごい歌で、遅れてくる感動がありました。音が聞こえなくて音量を上げているのか、洋楽を楽しむ(原曲のボリュームが元々小さい、あるいはジャズのようなものである)ために気分で大音量にしているのか。若者の流行について行きたくてとりあえず上げようか、となった末に「うるさいな」と冷めていくような、望んだもの・聞きたかった音楽ってこんなものだったっけ?と疑問を感じ始めるような気持ちを「ややこしい」と締める。すごい歌。だよね的な僕らは愛していた的な喧嘩別れじゃなかった的な /二木秀造
面白くて、つい口ずさみたくなる心地良さ。事実を受け入れたくなくて、現実逃避をするかのように誤魔化しの効く「的な」でまとめてしまう所が切なくて、でもすごく分かってしまう。「……的な感じですよね?」と確認したくて、でも直視できない。だから、もどかしい。思い出し笑いは説明をともない盗み出せなかった香水瓶 /ツマモヨコ
ぎゅっと締め付けられて離さない気持ちが詰まっている。思い出し笑いは過去に存在していて、同時にどういう状況で誰と喋っていたかまで記憶しているから「説明」が生まれる。でもあの時の雰囲気・人・それに結びつく香りまでは盗めなくて愛おしい。苦しい。ツマモヨコさんの「うんていを終えてこんなに手は痛み崖であなたを助けられない」「恋よりも恋みたいなとこあるよねとじゃがりこ減らしながら笑った」も好きです。「おんなのこなら良かったね。」ほほえんで端から崩してゆくレモンパイ /うすいまゆ
この「ほほえみ」がどんなに苦しくて、どんな思いで(どうやっても逃げられなかった結果生まれた)つくった表情だったのか。決して和らぐことのない痛みを、言葉で傷つけられる思いを、崩すこと。それも丁寧に端から。素手でかじりつきたかったかもしれないレモンパイ。何もかもが嫌になった瞬間であっても、非情にも手にはフォークを持っていて、それを大人として毅然と処理する義務があるということ。一読して、思わず泣きそうになりました。41~50
もう好きじゃないって言えない口の中鋭くなってゆくパインアメ /毛糸
鋭いパインアメ、という言葉に不意に口の中でリアルな感覚としてよみがえってくるすごさ。言いたかった言葉を飲み込めなくて、だから舌の上で舐めるしかなくて、決して砕くことは無い。だから、最後まで残ったパインアメは鋭利で、まるで自分を傷つけているかのようにもとれて、苦しい。ガムでいう吐き出す紙を探している瞬間にも近くて、でも消えた(溶けたかのように見える)痛みはガムと違って、共有されない。そこがまた主体を苦しめることにも繋がって、言えない辛さをより強調する。毛糸さんの「この部屋にお風呂あがりのきみがいてちいさな加湿器みたいでうれしい」も好きです。解剖学実習の晩ひたひたと手に絹どうふ吸い付いてくる /霧島あきら
何気なく感じていた「吸い付き」が急に実感としてたち現れる日が来ること。命に触れたことが実生活に侵入してくる感じをこう表現するかと、衝撃を受けました。その吸い付きを離れたくないという未練のようにとらえたのか、道連れのように命として「扱われる」側に引き込まれたように感じたのか。気持ちの引き締まる様子が浮かびました。霧島さんの「あきらめるって気持ちよかった人類の帽子が似合わないわたしたち」も好きです。生まれた日わたしは生まれていないけど思っていたよおめでとうって /奥村真帆
おめでとう、と自分に言えることは本当に素晴らしいことだと思う。そして、自分をもっと祝ってあげてもいいんだよ、と。祝福する側の、見送る側のスタンスを続けていると急に見えなくなる世界があって、本当に大切にすべきものをいつか失うかもしれない。だから、おめでとうだって言えるうちに言わないといけなくて、「わたし」が生まれていない世界でだって「おめでとう」と言ってくれていた人が沢山いたんだ、って気づく。それは、自分から自分に向けてしかるべき最大の祝福。奥村さんの「予想より文字がまるくてちいさくてあなたをもっと知りたくなった」も好きです。正解が「後悔」になる問題を「君」を使わず作れないほど /真ん中
「~しなければならない」という強い文言を含む選択肢は間違いになる可能性が高い、といった現代文の問題でいうところの「後悔」という一語が含まれた問題文においては「君」の存在を疑え。というなんて美しい表現だろうと思わずため息が出そうになる歌。「君がいなかったら……」という甘い台詞かと思いきや負の感情の占める割合が実は大きくて、だから忘れられない。真ん中さんの『雨が止むことを「あがる」と言う人の少し淋しそうな横顔』、『トイザらスの「R」みたいに斜に構え 目を引きたかった思春期の俺』「でも、警部。これから消えるという人が服を裏返しで干しますかね。」も好きです。風船を手放すことも「飛ばす」だと国語辞典になぐさめられて /ヒトコト
あーあ、と思わず手を放してしまって寂しくなる風船にありがちな光景を「飛ばす」とポジティブに考えられる言葉に、良いなと。シャボン玉や竹とんぼ、紙飛行機だって飛ばすのだから、手放すことだって悪い意味だけじゃないよと背中を押してくれる。そんな気づきを与えてくれる歌。やさしくはないけど誰の悪口も言わない人の放電加工 /涸れ井戸
あーいるよね、そういう人と頷きたくなる。特に親しい訳でもないし嫌いな人でもない感じの距離感。でも、そういう穏やかな人は素っ気なさ・差し障りのなさを努めて演出し、それが良かれと思ってやったどんな小さな干渉でも関係を壊してしまう可能性を孕んでいることを誰よりも分かっている人だからこその、態度だったりする。そのことを忘れないでいたいし、それを「放電加工」と譬えた美しさに感服。きみに会うまでの道のり日を浴びてガラス戸ぜんぶが姿見になる /大野恭敬
「大丈夫かな? 髪とか乱れてないかな」とチェックしがちなデート日の会うまでの心浮きたつ時間をこうも上手に「ガラス戸ぜんぶが姿見になる」と言えるなんて。身に覚えのある人はきっと多くいるだろうし、レッドカーペットの上を歩くくらいの緊張に近いのかもしれない。どの人もさん付けで呼ぶ触れすぎた桃から腐る箱庭だから /牧角うら
これは、すごい歌。友人間でのあだ名は(いじめを助長するため)禁止すべきだというニュースが話題になりましたが、だからこそ「さん付け」にすれば傷つく人もいないだろうという対応。学校という箱庭もまさに出荷される農作物の入った段ボール箱にも思えてくる。「さん付け」が徹底された世界は農薬を撒かれた状態に近いとも言え、摂取する側はその美味しさをどう評価するのか。○○さん、と包んでおけば無菌化できると同時に、心の隔たりや真に友だちだと言える関係ってどういうものだろう、と考えてしまう歌。いなかったみたいに生きていきたいなシーツのへこみをならす手のひら /文野やよい
「いなかったみたいに」という言葉が衝撃でした。通常、ベッドメイキングがされて美しい状態のホテルのシーツも一度寝れば皺になる。そういう皺やへこみが無い状態は「いなかった」時であり、人間といった何かが介在してしまって乱れるのなら、前の状態を望んでいるという。強い願望がひしひしと沁みだしてくるこの歌に完全に打ちのめされました。コマ割りがうまいと言われる漫画家のせいで僕らは出会えないまま /初(うい)
読み手を焦らす展開を作る作者に対して、メタな思いをぶつける試み。恋路を阻んでいるのが実は漫画家であることに気づいていて、「~のせいで」と言いながらも怒りはそんなに無くて、いつか出会えると信じて「そういうのもういいから、本編早く進めて」みたいなスタンスを感じて思わずくすっと笑ってしまう歌。足跡で君だと分かり足跡で君が一人でないと分かった /雲海ギャルズ
とっても好きです。何度も口に出して唱えてしまう歌です。足跡、って見つけたら嬉しいものなんですよね、普通は。例えば、薄氷を踏む時の浮き立つ気持ちや月面に着陸して人類初の足跡をつける行為も正の感情を伴っていて、そこに「誰かがいる・いた / その証を残した・見つけた」っていうのが嬉しくてたまらなかった経験を抱えている人は多いと思います。でも、この歌は「君」に喜びながらも、悪い方向に進んでしまう「足跡」の発見という本当に切ない歌なんです。でも、好きです。主体だけが「一人」なんだ、と気づく瞬間。少しでも世界がひかってみえたらいいなと心から願っています。この歌が好きすぎて、雪の上に書いてしまったくらいです↓↓
足跡で君だと分かり足跡で君が一人でないと分かった
(皆さんも雪が積もったら、好きな短歌を書いてみましょう)51~60
遠くから手を振ったんだ笑ったんだ 涙に色がなくてよかった /柳澤真実
「涙に色がなくてよかった」ってすごい言葉で、透明だからこそ遠くからなら見えないだろう、どんなに流していても(気づかないだろう・気づいてもらえないだろう)という感情の動きが読んだ瞬間に一気に流れ込んできて唸りました。満月をかじる 僕らは足の爪を切る体勢で生まれてきたから /栢山ヤカ
足の爪を切るたびにこの歌を思い出してしまうので、満月をかじっているという謎の実感を得ています。胎内の様子をそう表現してしまえる美しさと、あのまんまるなお腹の中で浮かんでいる・いた状態は満月みたいで、月の満ち欠け(齧られる)に伴う時間経過がそこにあるという。両親は指示語で互いを呼びあってリビングに這うさわれない川 /汐見りら
「あれが」「これが」と人を呼ぶとすれば険悪な状態になっていて一本の川として断絶にあるととれる歌なのですが、「あれ取って」「その話したじゃん」と笑い合ったり、言わずとも通じ合える状態にあった二人だって川がまだ増水してなかった、水遊びの場として触れることのできた川もあったはずで。歌として負の景を詠んでいるものであったとしても、「かつての景色」が見えてしまうから、こんなにも愛おしくておもえてしまって、読んで泣きそうになりました。だから、指示語によって繋がった関係だって一見浅い川のように思えてしまうんですが、深いと思うんです。浅いと思って思わず足を踏み入れて、でも意外と深くて抜けなくて溺れそうになって、いつしか嫌うようになる。また好きになる。その一つの過程を歩んでいるように感じた歌です。汐見さんの「生きるとは名もなき歌の増えることスタッカートで刻む青葱」も好きです。落ち込んで海に行くとか最後まで優等生なきみの恋愛 /さぼてんの天ぷら
優等生だから、ドラマに出てくる展開でなぞらえたように「海に行く」という選択肢を取るのが単純なようでいて、本当にそう実行するのかというか。斜め上の発想にも思えてならない「真面目さ」がとても良くて、でもそうでもしないと本人は納得できなかったりするのだろうと。白い薔薇は手抜きと呼ばれて僕たちは塗り絵の中でも息ができない /小松百合華
分かってもらえなさ、と同居する塗り絵の寂しさ。「白い薔薇なんだよ」「だから塗ってないんじゃないんだよ」と説明することにさえ自分の中の何かが削られていくようで、平和に思える塗り絵の世界にも(塗るのには相応しくない色・これは○○色じゃなきゃ)といった間違いを規定する要素が含まれているのではないか、とはっとさせられる歌でした。小松さんの「バンザイと声を出し合う脱衣所の洗濯かごにひかりは溜まる」「おまじないみたいに二回紐をひく 豆電球はやさしいおばけ」も好きです。すこしだけ男児の母の顔をして司書は絵本を棚に戻せり /斎藤君
「母の顔」と「司書」さんの対比に心を掴まれました。(この本読んであげたら喜ぶかな)と(この本はおすすめできる)という気持ちが溢れて、共に子ども・読み手のことを考えて選書する姿勢、そしてその戻す仕草(そっと優しく本棚に差し込むであろう)、柔らかな表情まで全部目に浮かびました。あ、花火している家庭眩しくて顔を逸らした夜道の暗さ /水口夏
花火に照らされて明るくなる地面と、そっちじゃない側の道が急に暗くて、今歩いていて、でも何も灯っていない寂しさは花火(とそれに伴う人の集まり・動き・会話・ムード、もはや「夏」を包み込む全ての要素)に対する否定へと変わっていくような、自分が何も持ってなくて、照らされていない側だと気づく瞬間。水口さんの「なんかもう隣の芝生青すぎて光ってるから警察呼んだ」も好きです。補聴器をし忘れた君に話すとき推敲できる一拍がある /小田優子
「推敲」という言葉がとても良くて、普通は紙に書いてより良い文章へ直していく作業を、口頭で(どんな言葉を選べば、より伝わりやすいか)(より簡潔に説明できるんじゃないか)と頭をフル回転させるような瞬間。これって本当に思いやりにあふれる感情で、行動で、その「一拍」の重さを切り取った歌。寝転んで草のにおいを受け入れるきみと象形文字になりたい /宇野なずき
寝転んでそれをメタ的に「象形文字」だと思ったことが無い人生だったので、一読してびっくりしました。草のにおいが原始へと結びつき、「きみと象形文字になりたい」ってもはや告白なのではと。宇野なずきさんの「感情の仕組みはトランシーバーで向こうが泣いていると泣けない」も好きです。「耐えている」ことを「できる」と見做されて鯨の長い長い息継ぎ /桐島あお
長い長い、に込めた怒りに近い感情を向けたい・でも向けたことが無いからこそ表出した言葉に救われた一人でした。誰かの我慢を、押し殺した気持ちを踏んでいないか・見落としていないか考えるとともに、水面に上がることのできる一助になりたい。そう強く思いました。 桐島さんの「カマキリに喉を喰われたハチドリがさかさまに見た空の暗転」もやりようのない気持ちが歌にこもっていて、でもその空がきれいだったらいいな・水面に上がって見れた世界がどうか良いものでありますようにと。61~70
ケンタウロスを恋人にすればケンタウロスの境目をいつでも撫でていい /布野割歩
撫でることが許される、そこに到達できるという少し不純で(それが目的として恋人になった訳ではないが)、その特権としての贅沢を感じたいという気持ち。しかも、境目を。境目によって人間との混在を意味していて、だから動物なら「飼う」気持ちも含みつつでも好きだと表明する主体の行為が「撫でる」ことなのかもしれない。でも君は異性が好きで付箋紙の粘度で肩の触れているバス /哲々
付箋紙の粘度、という絶妙な比喩に息が苦しくなりながら読みました。くっつく手段として糊が存在していて、時間が経つと剥がれてしまう。そんなぐらつきのある気持ちで相手を思っていて「でも君は異性が好きで」という諦めは最初から主体にある。だから、この思う気持ちは、距離は、密着(に伴う感情の動き)は不正解なのかもしれない。だけどそれを隠してとりすました顔で横並びに座っている主体への近日点がこの歌の読み手となることだろう。哲々さんの「下の歯と呼べばいよいよ噛み締めるように奏でるグランドピアノ」も好きです。こっくりさんに何かあるといけないから静電気除去シートを触る /タカノリ・タカノ
「何かあるといけないから」という配慮がこっくりさんに向くという裏切りは優しさを感じさせるし、その発想が怪談上の存在としてではなく、ちゃんと「いる」ことを一番意識している側にしか起こり得ないものだという。タカノリ・タカノさんの「二重跳びできない少女に見せつけるように飛び立つ公園の鳩」も好きです。南極に親指を入れ中骨にそって北極へと開きます /森屋たもん
まさかの地球を調理工程としてとらえることがあるのか、とびっくりする歌。でも何となく想像はついて(なぜ?)、違和感なく受け入れられてしまうのは「地球」にみかんの如く親近感を覚えているせいなのだろうか。地球儀が一家にひとつあるわけでもないのに。僕がもし新聞紙なら花束を守る役目が欲しい、かみさま /錦木圭
新聞紙は習字の時に書いた半紙を挟んだり、水で浸してくちゃくちゃ千切って窓を拭いたり、と色々な使い道がある中で「花束を守る」という何とも素敵なシーン(でいて「活用法」として思いつきにくい、何気なく見過ごしているもの)に焦点を当てていて良いなと。わたしから逃げ出したのに誰にでも懐いて連れ戻される犬だった /伽戸ミナ
これ、すごいですよね。犬に対する感想として、すごくモヤモヤした複雑な気持ちというか。飼い主として私の元にいるべき犬が、どっかに行って方々でお世話してもらい(ねぇなんでわたしを差し置いて赤の他人に懐いてるの・そして愛されちゃってもう!)とでもいうか。結局家に戻ってくるんだけど愛情ゆえに気持ちの整理がつかなくて、わたしが拗ねてるという。伽戸さんの「落ち椿の腐り方記録係から天界の出世コースがはじまる」「くたびれたスプリングコートの前を開け小学生ぶりに四年生になる」も好きです。「そういうとこ行かないよね」って決めつけられて誘われない人生 /斌
この歌を読んで、でも決めつける側にもなってしまうかもしれない怖さを思いました。誘いたくて「でもあの人は行きそうにないね」と自分にストッパーをかけている状態も確かにあるはずで、だから翻って誘われてこなかった日々を思うように。もう二度と踏まれたくない雑草が対策として花を咲かせた /山下ワードレス
花、って分かってもらえば踏まれないから。目立たなくもいい、生き延びることさえできれば。雑草がそんな思いで生きているとするのなら、コンクリートの裂け目にだって目を向けて歩いてみようと思えるような。急に世界が広がって、忽ち違って見える歌。明日また教室で会うための顔をつくるのがふたりの宿題だ /山階基
学校の外で会った時の、あるいは家の中で一緒に遊んだ時の楽しくさ・嬉しさ・なんだか違う異様さは(クラスメイトの前では隠しておきたい・秘密を共有しておきたい)不思議さに駆られる感じがすごく伝わってくる歌。山階基さんの「友人が嘔吐している 友人はわたしの前で嘔吐ができる」も好きです。器用には生きられなくてYOASOBIのあーの部分もきちんと歌う /ただのり
器用に生きられたのなら、細かいことにだって目が向くことはなくて(ここで言う器用はたぶんやり過ごす、に近いから)、指示に従うだけで、ひとの意見につっかからなくて、不評も買わなくて、だから「あー」なんて気にしない人生だったかもしれない。「きちんと歌う」って全然悪いことじゃない。気が乗れば誰だって歌う、でも歌詞を意識しないほどの器用さを持ち合わせてないだけで、色々合わないと感じ始めるようなそんな瞬間。ただのりさんの「好きじゃない人の匂いは忘れると逆説的につぶやいた愛」「見なくても歌える歌詞をカラオケで見ちゃうみたいに目で追っていた」も好きです。71~80
別の世界線のわたしがなんどもなんども首を品る理由がまったく分からなかった /からすまぁ
気づき、を求めて「生きている」世界線を探すも、気づくことができない。いや、その結論に至るまでに本当は「気づいていて」、でも目を逸らしたくて生きられなかった自分を俯瞰して見ることの苦しさ。「まったく分からなかった」という言葉が、すごく刺さった。自分としては生きることを望んでいるのかもしれなくて、でも首を吊っている自分に呆れ・怒り・悔しさ・痛さ全部の感情が持っていかれる。生きろよ、と叱っていて、それが許せなくて、「分からない」のかもしれない。言葉が見つからない。「トムとジェリー」が「ジェリーとトム」で無いようにいつもあなたは右手を握る /かきもち もちり
「で無いように」という比喩がかちっとハマる感じがとても分かりやすくて、確実に見分けてしまえる・「あなた」であると照合できる何かがあることで得る安心がある。じゃんけんでいつも最初に出す手を決めている人がいるように、あなたは右手を握ったのだと。じんわりと心に沁み込んでいく。同じく「握る」ことを詠んだ歌で「手を握る 握られていた頃とまた違う形の同じ幸せ」も主体の手への思いが読み取れました。かきもち もちりさんの「映り込む月を抱き抱えるようにサイドミラーはたたまれ眠る」「ジャイアンと呼ばれる前のたけしくん心の友はおぼえているよ」も好きです。ほどほどの善意をしまう ゆずっても座ってもらえなかった席で /袴田朱夏
ゆずっても、の気持ちに胸が痛んで「分かる」と思いました。座ってもらいたかったのは本音で、でもそこに満足すれば善意なんだと自覚してしまう。本心からの行為にも、「あの人の為だった」と思ってしまうくらいに残念がったり、責めたり。じゃあもう次からはゆずりたくない。拒絶と優しさは実は表裏一体でいかに折り合いをつけるか。そんなことを考えさせられる歌です。袴田さんの「悔しさをバネにせよって言う人のバネは強くてわたしをはじく」にも刺され、はじかれてそれでも強くあれるだろうか、と考えていました。他人には負けたとしても自分には勝てた「ごめん」と言えていたなら /静句かも
自分に勝つ、っていうのはハードルさえ下げれば勝てると思いがちで、実は勇気のいることだと。どういう状況からは読み手の想像によりますが、もし(何かの勝負で相手に負け)その負け惜しみで道を踏み外したとして、「ごめん」と言えたのならそれは強さで「勝ち」であるのではないか、と。おはようを言わない人におはようと言えば私のための晴天 /吉村のぞみ
これは強い心の持ち主だと思います。おはようと言わない相手なら、こっちから言ってあげたくないのが常ですが、それでも言う。しかも「私のための晴天」と。なんて立派なひとで、素敵な言い方で、明るい考え方なのだろうと。たぶん、主体はあえて言ってやるんですよね。(また挨拶してきた……)と 吉村のぞみさんの「寒いから会いたいなんてふるさとを返礼品で選ぶみたいに」「めんつゆと水の比率で揉めながら二人の夏を擦り合わせてゆく」も好きです。うれしい わたしはあなたに会えたことが紙吹雪のなかの始球式 /温
うれしい、の伝え方がこんなに目に浮かんで紙吹雪が舞っていて始球式のテンションでわくわくするんだって。しかも、「あなたに会えたことが」という最大限の愛の言葉なのではないかと。みんながみんな死にたいわけじゃないんだと言われた今日の湯船の深さ /田村穂隆
その設計に改めて気づいてしまうような、死にたいと思い至っていた主体が言われて気づく「死ににくさ」みたいな部分があったとして、帰宅して浴槽で直面する事実よ。湯船で簡単に溺死できない。その深さに気づいた瞬間。僕たちは世界を盗み合うように互いの眼鏡をかけて笑った /近江瞬
身長の違いでも見える世界が異なるのだから、もしお互いが眼鏡をかけていて、その度数が違ったらそれはたぶん楽しいことに違いない。盗み合うという言葉が良くて、魔法がかかったようにも思えるだろう。ごめんねと言ってスッキリしてんなよ後攻どうぞみたいな顔で /富井嫉妬
後攻どうぞ、という言葉がとても的確で面白い。謝ったら「ね、これでいいでしょ?(もし文句あるんだったら今言いなさいよ)」という雰囲気が一気に伝わってきて、どうにかやり過ごしたい謝った側の「逃げ」に対する怒りが滲み出てくる歌。自転車を押して歩いている人が段差でリンと鳴らしていった /工藤吉生
この何でもないような場面で、でもすぐにイメージが浮かぶ歌。自転車を押していて段差をがんっと上り下りした時の自転車のふとした一瞬の音にスポットを当てたすごさ。しかも、リンって。その音さえもかわいく思えてくる。81~90
中にいる子どもの頃の僕が言うねえそんな顔したらだめだよ /おばけ/金田冬一
「そんな顔したらだめだよ」という言葉がすごい。子どもの頃の僕、というのは翻って(あの頃は嬉しがっていたのに)(もっと楽しそうだったじゃん。どうしたの?)と現在のの主体に言われているようで、胸に刺さる。もう戻れなくて思い出せない感情を一つ一つ拾っていきたいと願うような、「だめだよ」という何てことのない優しい指摘がより切なく感じる。鳥の名をひとつ覚えてまた少し空に近づく右の手のひら /古川柊
すっ、と空に手を掲げてみたくなるような気持ちになる歌。鳥の名前を覚えて、何だか空に馴染みがあるような気がして。爽快感がある。〈弱い〉って書く手を弓のとこで止め〈強くなれる〉に変えて記す日 /ニイナ
弱い、って書いたら本当に弱くなったような気がするから。せめてもの気持ちで自分を奮い立たせたくて、選んだ言葉が「強」。弓のところまでは同じ一語でも真逆の意味を持つところ。字から得るイメージは大きいから、少しでも希望を持てますように。いい人、と姉はきのこの毒の有無みたいに言って写真を見せた /葉村直
きのこの毒の有無みたい、という比喩だけで伝わる温度感。図鑑で見て確認するように、まだ手探りの段階なのかもしれないし、表面的なことは気にしない性格なのかもしれない。北風と太陽は今は悪友で三寒四温ってバンドやってる /遠藤ミサキ
本当にありそうで、無いんだけど、ありそうな感覚と言葉遊びが楽しい。「今は悪友」っていうところにあの頃はまだ……だったんだけどという匂わせのニュアンスも入っていて。月光で妊娠しない いつ見てもテレビはカラフルな砂嵐 /芝澤樹
月光という言葉からSF的な提示かと思って、でも事実としては現代で、テレビに映るのはいつも砂嵐という。ディストピア的な感じがする不思議なこの感じに引き込まれて想像が膨らみます。もめごとは嫌い 傷つくのも嫌い 反対車線の渋滞は好き /川島薪
ああ~この日常の解像度。ユーモア。誰が悪いって訳ではないんだけど、人が集まったがゆえに生まれた出来事として「もめごと」そして「傷つく・傷つけられること」はちょっとねぇ……でも「反対車線の渋滞」は見るぶんにはそれを通り抜ける時のあの優越よ。川島薪さんの「一日に百万食を売るというランチパックの耳の行方よ」「人類は無力だ ティッシュ一枚に蹂躙されている洗濯機」も好きです。利き腕でない手で描いた絵のやうに旅の余白を埋める寄り道 /紺野水辺
すごく言いたくてでも言いづらい感覚を言葉にしてくれてありがとうございます、と思いました。利き手じゃない時の操作性って少し手持ち無沙汰で、なんでこう書きづらいんだろう・もっと上手く書けるのにというむず痒さを抱えているからこそ、(何か足りない・まだ遊んでいたい)という旅を終わらせるもんかという余白まできっちり楽しむための寄り道というか。帰りのパーキングエリアがちょっと楽しく感じるような。そんな気持ちに溢れる歌です。紺野さんの「星空を泳いだジンベイザメたちが今も着ている光る保護色」「数票の差でオオルリがカワセミをかわした青い鳥総選挙」も好きです。スプーンの背でオムライスの肩を撫で私の「好き」がただ味になる /ナド
スプーンの背、オムライスの肩という言葉がもう良くて。そして好きが味になるという。残ったのは味だけで、先ほどまで撫でていたのに口に入って実体として無くなることの虚しさをこう表現したのか、とびっくりしました。食べるに至るまでの情動が全部詰まってる。オムライスが食べたくなります。熱すぎるお茶を飲んだら胃の位置がわかったみたい今となっては /由良伊織
胃の位置って普段意識しないもので、だから熱さって猫舌以外でこういう時に反応するのかと。例えばかき氷を食べてキーンってくる感じのように、「今となっては」と顧みる視点もすごくて、夏だったから食べたよねかき氷となる(熱すぎた)ことへの思い出しまでひとセットなのだと。91~100
“放課後”の単位を落とした僕たちは、インターネットで補習を受ける /漬けている
学校で習わなかった・習っていないことって意外と多いものだと大人になってから気づくもので、それを学び直すように「インターネットで知る」ことを補習と譬えたところが良い。はい、のなかにわずかにゆらぐひびきありごめんなさいを聞いたことにする /大松達知
「はい」の言い方をどう表現するか、その謝り具合、反省した顔からも窺える(たぶん、本気でごめんなさい)と思っているのであろう主体による汲み取りが、なぜか怒られて「はい」と発していいた過去の自分に響いてくるような。そんな歌。恋は前節でアルデバランで闇討ちでハロゲン・ヒーターで浜の焚火で /正岡豊
これはもう言葉の重なりとしての美しさで、声に出したい歌。才能だけで生きたい!ペンギン王国の魚のかたちのクレープ屋さん /緑川すに
初手からのフルスピードでやって来る言葉の剛速球というか。何の才能か、と紐解けばペンギン王国でクレープを作って経営するときた。もうそれだけで楽しいし、たぶん大儲けして売れるんだろうし、水族館の常設メニューにしてほしい。この歌は、ずるい。両方の靴を飛ばしたぶらんこに座り尽くせば大人になれる? /佐藤研哉
座り尽くせば、という言葉に執着が読み取れて、意地でも大人と主張したい(でも、ぶらんこに乗っていたくて抜け出せない気持ち)みたいなのが透けて見えてきて、「大人だったらまず座る」こと自体無いんだ、という無言の圧力を、もしくはその言葉をこちら側から暗に引き出そうとしているかのような言外を悟りました。「完成したパズルは微かに膨らんでみんな辞めたいと言えないのだな」「そこに血が通っているのかパーカーのフードは永遠に乾かない」も好きです。かくじつに射止めてくださいはずしたらきっと消えない傷になるから /Tavi
これは心にきます。射て、と言われそして(かくじつに射止めて)と言われたのは軽く傷だけで済んだのならそれはそれで苦しいからで一息でやってくれと。久々に会えてうれしいルマンドのかけらは払えばいいよ /晴架
これは、すごい歌。「払えばいいよ」という言葉が何とも良くて、それが公園のベンチのような屋外で食べていると分かる。そして、「またこぼしてる。勿体ない」「だからお皿の上で食べなさいって言ったのに」という台詞なんかではなくて「払えばいいよ」という点からも(外だし気にしてないよ。まだ残りあるから食べなよ)という優しさを持っている・それを言ってくれる関係性であることも推察できて、そんなひとと久々に会えたということ。そりゃうれしいよね。と。号泣のさなかのぬるい「ありがと」を聞きたいあまり差し出すティッシュ /シノノメユフ
ああ、この「ありがと」に聞くためにというなんたる不純な動機よ。でも悔しいけど、この気持ちが分かってしまう自分もいて。しかも、形式的な感謝をされたくてではくて、たぶん(それを言おうとしてる時の顔が見たい)までがセットだと思うんですよね。……となると、この「ぬるい」という言葉の意味合いも変わってきて。消し跡に胴上げされているような文字が並んだあなたの手紙 /中村 杏
胴上げという比喩がすごくて、びっくりしました。消しゴムで消した跡は、何度も書き直した証で、だから頑張って書いた勲章のようなものでもある。そんな手書きの文字。そして、それが主体に向けて書かれた、たった一人の自分のための手紙だと。その表現の温かさにほっこりしました。でも雑よなどと笑って品数の多さは義母(はは)の生き方なのだ /塩本抄
品数の多さってそれはもう愛で、並んだおかずは見るだけで心躍って。「でも雑よ」という言葉にはきっと謙遜いや照れ隠しが含まれているのかもしれない。そんな姿が目に浮かぶ。
〈番外編〉~モチーフごとに短歌集めてみよう~
市バスから雨を眺めて穏やかなザトウクジラの視界を想う /ナカムラロボ
息継ぎのようにとりおり立ち止まり人を吸っては吐き出す市バス /ナカムラロボ
市バス短歌寂しさのうかんむりなど傘にしてひとりで雨を凌げば淑女 /秋山ともす
でも凪はかぜかんむりを捨てきれず離婚できないわけじゃなかった /ツマモヨコ
かんむり短歌傷ついたあなたを少し休ませるため靴紐はたまに解ける /猫背の犬
ひらがなで呼び合うような関係でいようね紐は解いておくね /あきの つき
紐短歌折り紙を二枚一緒に折る舟のどこからずれていたんだろうか /うすいまゆ
5歳児が祈りのように折り紙の手裏剣のかど丸めてしまう /外村ぽこ
折り紙短歌手探りで子らの寝相を確かめてパズルのピースみたいにねむる /小金森まき
一万年眠り続ける土偶かも おかしな寝相の子を掘り起こす /小松百合華
寝相短歌「突沸を防ぐ」みたいに明確な存在意義を僕もください。 /真ん中
沸騰石を目に押し込むのは羨望の最もこざかしい殺し方 /ツマモヨコ
沸騰石短歌だとしてもスイミーが生まれ変わるとき赤がいいかは聞いてあげてね /水上歌眠
「スイミー」と声がハモって水槽の魚のようにきみと群れたい /真朱
スイミー短歌【賞味期限切れ 気にしない人用】のコーヒーの方がよく減る世界 /岩倉曰
相方に賞味期限が切れている食品を盛り子供を守る /こじょう
賞味期限短歌ルービックキューブの一面だけ揃うようにひととき分かり合えたら /三上麦
四隅には神が宿ると聞いてからルービックキューブが騒々しい /紺野水辺
スピードを競うようにして出した答えは整い過ぎてカチコチ /はるき
二度ともう戻せないようぐちゃぐちゃにしておくような失恋だった /真ん中
ルービックキューブ短歌くくくくと電波時計が帳尻を合わせるように大人になった /真島朱火
ちちちちとチャリを停めればぬるい陽に父母の眉毛を思い出す /ツマモヨコ
○○○○短歌
以上、今年も私の好きな短歌100首(&番外編)を選ばせていただきました。もっと多くの人に今回紹介した短歌が読まれますように……。ありがとうございました。&作者の方にもこの記事が届きますように!!