おじさん・ザ・エッセイスト 第13回 〜"本能"を考える〜
"よそはよそ、うちはうち"
こんにちは。
おじさんです。
ここ数日、ワイドショーは某有名女優の不倫騒動に関するニュースで持ちきりですね。
近年ではLINEや私信のリークなど、極めてプライベートな部分へ踏み込んだ過激な報道がやたらと増えたように思います。
芸能界では毎年のように誰かしらが不倫騒動を起こし、その度にネットでも物議を醸しています。
一度火が付けば、全てを燃やし尽くすまで止まらないのが昨今の炎上騒動です。
火中の栗を拾うようですが、この不倫に関する一連の騒動について少し思うところがあるので語っていきます。
今回のテーマは「本能」です。
◾️不倫とは
不倫は民法上の不法行為であり、刑法には抵触していません。
そのため、行為自体を罰するには民事訴訟をして慰謝料を請求する必要があります。
裁判ともなると慰謝料だなんだと非常に際どい問題になる上に時間もお金も要し、また、ヒビの入った夫婦関係を修復することが不可能であれば離婚にまで発展することもあるでしょう。
まぁ悪いこと尽くめといった感じです。
芸能人であればそれに加えて、(報道の仕方や世間の反応にもよるでしょうが)自身のもつ社会的信用を著しく損なうことにも繋がります。
とにかく発覚した時に失うものがあまりに多すぎて、リスクに見合った行為とは言い難いのが不倫です。
にも関わらず、何故不倫をする人間が後を絶たないのでしょうか?
◾️本能には逆らえない
生物には、生まれ持った本能というものが備わっています。
虫や魚が誰に教わるでもなく餌を獲ったり、巣作りをしたり、繁殖活動を行ったりするのと同様に、我々ヒトもまた、身体が大人になれば自ずと繁殖行動(≒セックス)を求めるように遺伝子レベルでインプットされているのです。
映画やドラマなど、フィクションの世界では不倫は禁断の恋などと表現されることは多々ありますが、現実で行われる不倫は愛だの恋だのではなく、シンプルに欲からくる行動です。
あるいは、スリルや背徳感を愉しむという人もいるでしょうか。
いずれにせよ、本能からくる欲望に忠実になった結果だといえます。
男女で明確な差こそありますが、ある程度高齢になっても繁殖活動を行うことができるのがヒトという生き物です。
結婚してパートナーと子を成しても、必ずしもそれでお終いとは限りません。
生殖機能に限界が来るまでは、我々は常にその本能と共にあるのです。
◾️男の本能、女の本能
所謂「正の性欲・負の性欲」的な話です。
一人でも多く子どもを生んでもらい、自らの遺伝子を残そうとするのが男の本能、
妊娠による身体的なリスクに見合うような優秀な子種を欲するのが女の本能と言えるでしょう。
生殖に関して男と女で比較した時、女は10ヶ月もの間、胎内で子を育てるという極めて重要な役割を担う訳ですから、パートナーは慎重に選定する必要があります。
男が女に求めるものは健康な子どもを産めるかどうかくらいのものであるのに対し、女はせっかく腹を痛めて産む子どもが軟弱であっては困るため、さながら足切りの如く弱い男の種を拒絶・淘汰する。
これが男の本能、女の本能の根本的な違いです。
小学生の頃、足が速い男子がモテたというのはよく聞く話ですが、あれはまさしく優秀な遺伝子に女が惹かれる構図を表しています。
また、モテている人間は多数の女から支持を得ている、つまり相対的に優秀な遺伝子であるという理由で、これまたモテます。
モテるということはつまり優秀な遺伝子ということが間接的に証明されている訳ですから、有名人・芸能人、アイドルに狂信的なファン達が群がる理由も自ずと分かりますね。
女にとって価値が高いのは、誰かが持っている物や欲しがっている物なのです。
彼女が出来た、結婚したら何故かモテた…というよくある話もまた、これを裏付けています。
似たケースに、凶悪犯罪等で捕まっている囚人に対して、他の男たちと一線を画す存在であるという点で優秀であると錯覚し、惹かれてしまう「プリズングルーピー」なる現象も存在するというのだから恐ろしい。
そして前述の通り、生殖機能の限界が来るまで本能が告げるものは変わりません。
よって、男は常に妊娠できる女を求め、女は常に強く優秀な遺伝子を求めるのです。
◾️本能と倫理
パートナーに「浮気願望は?」と問われると、咄嗟に「無い」と答えてしまいがちですが、そういった願望は寧ろ無い方が不自然で、不埒な願望を抱くことだけは許されて良いのではないかとおじさんは考えます。
だって、それは本能から来るもので、倫理的には正しくなくとも、生物としては当たり前のことなのですから。
パートナーを愛することと、パートナーとは別の誰かを求めることは両立し得るのです。
本能の声を抑えつけ綺麗事で取り繕う、またそうさせるのは真の理解とは程遠いのではないかと思います。
許されざる行為に対しては相応の罰が与えられて然るべき、おじさんはそう思っています。
ただし、それはあくまで当事者間の問題であり、許すか否かはパートナーの一存に委ねられるべきです。
義憤に駆られて微塵も関係のない第三者が家庭の事情に口を挟もうなど、筋違いもいいところです。
話題性ばかりに偏重し、プライバシー完全無視で火に油を注ぐメディアのやり口、そしてそれに扇動されるがままに騒ぎを大きくするネットの低俗な民衆。
まさしく「踊る阿呆に見る阿呆」です。
処罰感情に身を任せて誰かを叩き溜飲を下げるのも、自らを正当化せんとする本能から来る行動なのかも知れません。
それでは、今回はこのへんで。
author, P
2023/6/22
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