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セブ島滞在記 幸せすぎて怖い
「こんなに幸せでいいの?」
「幸せすぎて怖いよー!」
「もういつ死んでもいい」
いままでに感じたことがない喜びや、感動した時、こんな表現をすることが多いのでしょう。
現在、セブ島のリゾートホテルに滞在しています。
ゲスト全てに、
くまなくもてなしてくれるホスピタリティー、
見るもの全てが美しく、
心を豊かにしてくれます。
そんな時、
「幸せすぎる〜」
と発するのでしょう。
この心理について考えてみたいと思います。
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幸せとはなんだろう?
この質問を考えたり、思考をまとめてnoteに書くことが好きで続けています。幸せを探求するために、セカンドライフを開始した背景もあります。
1つの結論として、
”幸せになるのではなく、幸せでいる”
このことが私の幸せの定義の1つです。
フィリピン人の友人たちがホテルを見て、食事をしながら、
「幸せすぎる〜」
と発言した事は、過去にない経験をしたので、幸せになった表現の1つなんだろうと思います。
🇵🇭 🇵🇭 🇵🇭
”幸せになる” とは、幸せになっていない状態から、幸せになったことを表す表現です。
不幸せとは言わないものの、幸せではなかった状態からの変化度が、幸せ閾値に達したときに、”幸せになる” と表現するのでしょう。
その変化度が大きければ大きいほど、幸せになったことを「幸せすぎる」と表現していると考えられます。
一般的には体験した幸せが、非日常的であればあるほど幸せになったと表現できますが、一方、幸せベースラインが低すぎる場合からの変化も、幸せすぎると表現しています。
今回の友人たちの場合、とってもおいしい料理を南国リゾートで食べたこと、これに該当します。
幸せベースラインについては、下記記事で書きました。
参照記事→ ”毎日幸せ” をマズローで説明、”幸せベースライン” が重要!
🇵🇭 🇵🇭 🇵🇭
問題なのは、幸せベースラインは一定ではないのです。
今感じている、とてつもない「幸せすぎる」感覚は、数日後には、その状態がレギュラーの幸せベースラインになってしまいます。
リゾートホテルで得た満足がベースラインになってしまうと、同じ状態だと幸せを感じられなくなってしまいます。更なる幸せを求めるためには、今以上のレベルの高級リゾートホテルに泊まる必要があります。
さらに数日後には、その高級リゾートホテルも幸せベースラインとなってしまい、次の幸せのためには、超高級リゾートホテルに泊まる必要があります。
つまり、幸せになるために、周囲に何かを求めると際限なく、グレードアップしなければなりません。
これがドパミン的幸せ。
ドパミン的幸せは下記記事で書きましたので、参照ください。
参照記事→ 精神科医が見つけた 3つの幸福 最新科学から最高の人生をつくる方法/樺沢紫苑
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私はセカンドライフを過ごす上で、この幸せベースラインをコントロールすることを考えています。
幸せベースラインは上がりっぱなしではなく、下がることもあります。
今なんとなく思っている事は、時間が経過して、自宅でいつも通りの生活をしていると、ベースラインはいわゆる自分のレベルに合わせて降りてきてるような気がします。ホメオスタシスみたいな感じ。
リゾートホテルの例をとると、興奮状態を保つためには、始めの1週間は普通のリゾートホテルに泊まった後は、次の1週間は高級リゾートホテルに泊まり、そしてその次の1週間は、超高級リゾートホテルに泊まる必要があります。
そうではなくて、インターバルを取ることによって幸せベースラインが通常通りの体に戻す必要があるんです。
現在、私はセブ島のホテルに宿泊していますが、前回訪問した時から4ヶ月が経過しております。
このぐらいのインターバルを取ると幸せベースラインが元に戻っているので、新たな感動が生まれて豊かな気持ちを得ることができています。
刺激と言うのは、慣れてしまうと刺激ではなくなってしまうから。
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