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野崎歓「カミュ」講義〜放送大学Web面接授業体験記

筆者は、放送大学教養学部に所属していて、今回放送大学初の試みであるWebでの面接授業を受講したので、その模様を報告しようと思う。受講科目は野崎歓教授による「人間の学としてのフランス文学」であり、その中でも野崎歓教授の熱が最もこもった「カミュ」の回を取り上げることにする。

放送大学面接授業とは

放送大学は、授業形態によって放送授業、面接授業、オンライン授業の三つに分けられている。そのうち面接授業(他では「スクーリング」と称されることが多い)は、全国57の学習センター・サテライトで、年間3000もの授業が開講されている。

面接授業は、90分授業が8コマで、土日に4コマずつ行われるものが多いが、これは教える方も教わる方も中々ハード。中には毎回1コマで8週続けてというものもある。テーマは広範にわたり、専門的に突っ込んだものも少なくない。

2020年度、新型コロナウィルス感染症による影響

4月22日付けの放送大学学園本部の文書で、2020年度第一学期面接授業の全国一律一斉閉講が発表された。その後6月3日の文書によって、学園側の努力の末、Web面接授業の開催が通知された。第一学期の授業に当選している人、今年9月卒業を目指す方への救済措置として設けられたものであり、条件を満たさない人は受講を許されなかった。初めての試みなので、Zoomを使うのは初めてという人ばかり。その為、実際にZoomを使っての練習回が何度も開かれたが、質問が絶えなかったようだ。

野崎歓教授の放送大学における初の面接授業は、対面式ではなく、Zoom方式だった。

野崎歓教授が放送大学に赴任されたのが昨年2019年4月であり、今回初めて面接授業を受け持つことになった。当初は福島学習センターで開講する予定だったので、筆者は泣く泣く面接授業申請は行わなかったのである。

それが急に降って湧いたような、Zoomでの面接授業の開講決定。その中に野崎歓教授の「人間の学としてのフランス文学」を発見し、飛びついた訳である。当のご本人は、初めての面接授業が対面でなかったのは、残念であり、直接学生の反応が感じられないのでやりにくかったと嘆いていた。

しかし、筆者は、チャット機能をふんだんに活かして、計14回も質問させて頂いた。その場で先生が回答してくれるので、濃密な授業を体験することができ、大満足である。対面式だと、各コマの最後にちょこちょこっと質問できるだけで、質問自体よくまとまらず、歯痒い思いをするものだ。それが今回は、質問内容を熟考の上、しっかりと相手に伝わっているので、期待しているような回答が返って来たという点に、Zoomのメリットを大きく感じた次第である。また全国どこにいても受講出来るというのも、嬉しい。

実際の授業内容

第 1 回:文学の国フランス:フランス的な文学のあり方の特徴を探り、文学と社会・歴史との関連を考える   第 2 回:恋愛=文学の誕生:吟遊詩人(トルバドゥール)たちの詩作品をとおして、12 世紀における愛の主題の誕生を概観する                      第 3 回:情熱恋愛の神話:『トリスタンとイズ―』の物語における愛と死の主題を取り上げ、その後世への影響を考える                      第 4 回:「わたし」の思想:モンテーニュの生涯と作品を紹介し、「わたし」を根拠とする彼の思想のあり方を分析する                      第 5 回:懐疑と肯定:モンテーニュ『エセー』のいくつかの章を読み、現実を鋭く批判しながら生を深く肯定する彼の英知を学ぶ                   第 6 回:革命への道:ルソーの生涯と作品を紹介し、『告白』にうかがえる「自己革命」とは何かを考える    第7回:反抗から連帯へ:カミュの作品を貫く「不条理」の思想を検討し、反抗から連帯の倫理へと至る軌跡をたどる                        第 8 回:まとめ:フランス文学の歩みを総括し、それが今日のわれわれにとってもつ意味を考える

仏文好きには、なんとも言えない内容である。ただ総花的で、一つのコマの内容で、一つの面接授業が成り立つくらいのテーマだ。この内容が毎回2コマずつ、4回に分けて行われた。適度な量で、受講者も咀嚼しやすい。

今回は、これらのうちのカミュ論について取り上げたい。

野崎歓教授のカミュ論(本題)

前置きが長くなったが、ここからが本題である。その一方で、どのような環境でなされている講義なのかは、決して疎かには出来ないものとも思っている。

以下は筆者が取った講義録として、読んで頂きたい。

(1)総論

カミュを理解するには、最低でも『異邦人』と『ペスト』は、読まなくてはならない。カミュは「不条理」の作家であるという面が強調されるが、『ペスト』に至って「連帯」も重要な概念として出てくる。もちろん不条理な場面も散りばめられてはいる。カミュにとっての「不条理」とは、人生観というか肌感覚であることも指摘出来よう。

野崎歓教授には、一つの傾向があるように思える。翻訳作品をそのタイトルから再検討することである。例えば『星の王子さま』を、『小さな王子』(原題: Le Petit Prince)とした例や、ボリス・ヴィアン『日々の泡』が『うたかたの日々』(原題: L'Écume des jours)となった例もある。映画の研究もされている学者の面を感じさせられる。

その流れで『異邦人』は「よそもの」と表現されている。

原題は、エトランジェ(L’Étranger)であるが、『異邦人』と訳すのは、余りにも高尚で、流石フランス文学と言わせるような硬い単語になっているのだそうだ。étranger には単語の意味として、辞書に、よそものという訳も出ている。比喩的には、部外者、異分子、変人という意味で使われているのは明白だと彼は言う。

(2)カミュについて

1913年、フランス領のモンドヴィ(現ドレアン)近郊に生まれる。父はフランスから渡って来た農場労働者、母はスペイン系のカトリーヌ・サンテス。1914年、父はマルヌ会戦で戦死。母と息子たち(兄リュシアン)はアルジェ市内の母の実家に転居(祖父・祖母)。(中略)1930年より結核の徴候が現れ喀血。1932年アルジェ大学文学部に入学。卒業後、『アルジェ・レピュブリカン』記者となる。1940年『パリ・ソワール』紙編集部で働きながら不条理三部作『異邦人』『シーシュポスの神話』『カリギュラ』を執筆。1942年小説『異邦人』、エッセイ『シーシュポスの神話』を刊行。1943年パリでサルトル、ボーヴォワールと知り合う。1947年、『ペスト』刊行。1952年、エッセイ『反抗的人間』でサルトルと論争。孤立を深める。(中略)1957年、短編集『追放と王国』。同年、43歳でノーベル文学賞を受賞。「私は正義を信じる。しかし正義より前に私の母を守るであろう」。1960年自動車事故により死亡。(以上授業レジュメより)

「1913年生まれ」「アルジェリアで出生」という二つがカミュ理解には必要である。

翌年に父が戦死したので「父の記憶なし」、「植民地生まれ」であるということには大きな意味がある。アルジェリアではフランス本土と同じく、教育は無償であったが、環境としては、小学校で終わりであった可能性もある。教師に守られて大学にまで行っているのである。カミュは一言で言うと、エトランジェ!白人社会の中では最底辺にいて、何時どこへ行っても、「よそもの」なのであった。

また、若くして結核(当時は不治の病)で喀血し、常に「死の影」をはっきり感じて生きていた。その中で学問に励んでいたのである。カミュはしっかりと古典文学を読んでいるという点では、古典主義である。古典文学の古い伝統が刻み込まれており、それは作品中にもちらほらと見え隠れしている。それ故、文章にも会話にも、いわゆるアルジェリアなまりのフランス語は出てこない。一方貧民街の出身で、その言葉の世界の影響で、文章構成が単純で分かりやすく透き通っている特徴を持っている。文体は、流暢で筆が走り、多少の矛盾は飲み込んでしまう。そしてルソーのような「わたし」を前面に出すことはしない。

(3)『ペスト』について

講義では『異邦人』も豊富な引用をもって、詳細に語られていたが、ここでは写像する。

一言だけ記しておくと、『異邦人』は全体構造が謎であり、文中で不条理、不条理と出て来る訳ではない。一方『シーシュポスの神話』では、不条理が連呼されており、これが『異邦人』の解題ともなっているとのことである。

『ペスト』は、フランスでは時代の世相ごとに具体的に現実に沿った読み方がなされて来ている。それだけの強い強度を持っている作品なのである。我が国で、今回の疫病の影響から多くの人がカミュ『ペスト』を手に取り、現実に当てはめて読まれているということは歓迎すべきことであろう。今年2020年4月6日には、カミュ『ペスト』の総発行部数が100万部を達成したとのことである。それまでは年平均で5000部位しか出ていなかったとのことであるが、今回は出版が追いつかないと言う現象もあったようだ。

不条理(absurde)なものとしての世界/宗教的権威なきあとの「聖人」としての医師

「不条理」の先駆としてのロジェ・マルタン=デュ=ガール『チボー家の人々』(Les Thibault: 1922-1940)を取り上げることができる。主人公アントワーヌは小児科専門医であった。彼はまたドストエフスキーの影響を受けている。カミュは、ニーチェの思想の影響も強く受けているのだ。

『ペスト』は、反抗と連帯の寓話である。ペストに襲われた都市アルジェリアのオランは、ナチス占領下のパリを表してはいない。ロラン・バルトは、『異邦人』を絶賛するも、『ペスト』には、大批判を展開した。バルトの批判に、1955年2月にカミュが答えた表現として、「ヨーロッパにおけるナチズムに対するレジスタンスが明白な内容となっている」と言うものがある。

「『異邦人』と比較したとき、『ペスト』は孤独な反抗の態度から共同体の認識への移行を示している。それは連帯と参加への転換である」

バルトは、『ペスト』は、歴史性の欠如がおり、「闘志ではなくお友達の世界」に過ぎないと語っている。

以下、レジュメに書かれている豊富な引用をなるべく最低限にし、話の筋とその解釈を中心に記していく。

冒頭で、「通常の町」におこった「けたはずれの事件」について、話を展開していく旨が述べられている。

ドラマの始まりは、こうだ。「四月十六日の朝、医師ベルナール・リウーは、診察室から出かけようとして、階段口のまんなかで一匹の死んだ鼠につまずいた。咄嗟に、気にもとめず押しのけて階段をおりた。...」(p11) これはおぞましいものの出現であり、「抑圧されたものの回帰」(フロイト?)なのではないだろうか。

「彼らは人間中心主義(ヒューマニスト)であった。つまり、天災などというものを信じなかったのである。天災というものは人間の尺度とは一致しない。したがって天災は非現実的なもの、やがて過ぎ去る悪夢だと考えられる。ところが、天災は、必ずしも過ぎ去らない」(p56)                      非人情的なものの出現、それに対する「反応」が浮き彫りにするものは何かと、常に考えながら、読み進めたいものである。

『ペスト』は、「スキャンダル」(顰蹙、憤激、醜聞、恥辱、言語同断、躓き)にして「ファルス」(笑劇、茶番、いたずら、愚弄)、じつは悲劇の開幕を告げながら、進んでいく。群像劇としての長編小説であり、いくつかの対立軸がある。それは以下の通り。         ①オラン/外部: 市門の閉鎖。「長い追放の期間」追放(exil: 流刑・流讁・亡命)の運命を負わされた共同体。 新聞記者ランベールの脱出の試み: 個人的利害から共同体のための貢献へ。                ②病気/健康: 医学対宗教の図式、さらにそれを超える「虐殺」との闘い。 主人公リウー、神父パヌルー(疫病は神の怒り)、オトン判事(幼い息子フィリップが罹患)、タルー(次席検事の息子、政治活動家、死刑廃止論者)のあいだの葛藤と連帯            ③生/死 無垢なものの受難: 子どもの死(世界の不条理が最も極まる点である)

①についての引用                「僕はこれまでずっと、自分はこの町には無縁の人間だ(J’étais étranger à cette ville)、自分には、あなたがたはなんのかかわりもないと、そう思っていました。ところが、現に見たとおりのものを見てしまった今では、もう確かに僕はこの町の人間です。自分でそれを望もうと望むまいと、この事件はわれわれみんなに関係のあることなんです」(p307)            新聞記者ランベールの言葉である。ここに連帯の目覚めを感じられる。

②についての引用(余りにも有名な箇所)     「自分が殺害者の側にまわっていたということが、死ぬほど恥ずかしかった。われわれは人を死なせる恐れなしにこの世で身振り一つなしえないのだ。(・・・)まったく、僕は恥ずかしく思い続けていたし、僕ははっきりそれを知ったーわれわれはみんなペストの中にいるのだ、と。今後はもうペスト患者にならないように、なすべきことをなさねばならぬのだ。そういう理由で、僕は、直接にしろ間接にしろ、いい理由からにしろ悪い理由からにしろ、人を死なせたり、死なせることを正当化したりする、いっさいのものを拒否しようと決心したのだ。」(p 375-376)
タルーの言葉である。

「われわれはみんなペストの中にいるのだ」というくだりは、物凄い比喩であって、拡大解釈されがちである。この論理はどこまでも繋がっていくので、この本を手にした日本の若い人が、幸福になってはいけないんだ、と思ってしまう危惧すら感じられるものである。

神父(人類の救済)と医師(人間の健康)の絆: 「『僕が憎んでいるのは死と不幸です。そうして、あなたが望まれようと望まれまいと、われわれは一緒になって、それを忍び、それと戦っているんです』リウーはパヌルーの手を引きとめた。『そら、このとおり』と、パヌルーの顔を見ないようにしながら、彼はいった。『神さえも、今ではわれわれを引き離すことはできないんです』」(p324)とリウーは言う。これは手を握り合うしるしである。また最後のフレーズは、いかにも実存主義に響き合うものである。

対立図式を超えてー「友情の記念に、いいことをしようか?」: 夜の海でともに泳ぐリウーとタルー(p381)海へ入ることはもちろん禁止されていた。そしてこの間にセリフはなく、男同士の友情が強く感じられる。カミュは、液体に包み込まれる感覚が大好きなのである。

絶望から愛へ、カミュの向日性          「人生への絶望なくして人生への愛はない」(Il n’y a pas d’amour de vivre sans désespoir de vivre)「出典: カミュ『裏と表』1937年、『カミュ全集1』高畠正明訳、新潮社」

この言葉に象徴されるように、カミュはあたたかい人であり、だから人はカミュを読みたくなるのだ。カミュは、ちょっと光が見えるだけで、幸せを感じられる人で、「自然人」なのかもしれない。ポジティブ体質なのであろう。

『異邦人』では、アラブ人に名前がないので、ポストコロニアル批評からの問題提起があるし、『ペスト』には、女性が登場しないので、フェミニズム批評からの問題提起はなされている。

最後に、この講義がどうしてカミュで終わるのかを述べておきたい。野崎歓教授は現代作家の作品を多く訳しているので、不思議に思われるかもしれないが、彼はこよなくカミュを愛し、それより先には行けないのだ、とのことである。

(以上)







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