氷河期世代 アルバイト地獄変(1)
30代になってアルバイトをした理由
両親からの強い説得と、母の病気、私のうつ病という事情があり、私は東京から大阪の実家に帰った。正社員として内定していたIT企業での職を辞退してだ。
帰郷前の両親は「ゆっくり療養に専念すればよい」と言っていたが、いざ帰ってみると、「就職活動はしないのか?」「いつ働くのか?」と圧力をかけてきた。とてもゆっくり療養どころではなかった。
しかし私の「心の状態」は、正社員として働くには少々不安定だった。私はひとまずアルバイトや派遣社員で日々の糧を得ようと考え、色々な仕事をしてみようと思っていた。
エキストラ募集
ある年の11月頃、アルバイト求人サイトを見ていると、映画・ドラマのエキストラ募集という記述を見つけた。これは面白そうだと思い電話してみたところ、すぐに社長と名乗る人物から面接に呼ばれた。事務所に来て欲しいとのことだった。
倉庫が事務所?
応募書類を持って事務所に行ってみると、所在地とされる場所には倉庫のような建物があるだけだった。不審に思いつつ呼び鈴を鳴らしたが、誰も出て来ない。再度所在地を確認したが間違いではない。誰も出て来ないので仕方なく、社長の携帯に電話をしてみると「すまん、すまん、ちょっと遅れてる。ちょっと待っててくれるか」とのこと。
スーツ姿でしばらく路上で待っていると、総髪(そうはつ)に作務衣姿の初老のオッちゃんがやって来た。社長であった。「事務所(なか)で話そう」と言われ、建物内に入ってみると、靴置き場の玄関があるだけで、あとは畳が敷き詰められた「道場」のようなところだった。
面接(雑談)と日本刀
道場の隅にあったテーブルを挟んで面接が始まった。といっても志望動機や職務経歴についての質問はなく、いきなり「俳優になりたいんか?」という想定外の質問が出て来た。私は内心「えっ? 俺はエキストラのバイトの面接に来てるだけやんな」と思ったのだが、社長の問いかけに合わせ、「はい、年齢的には大変だと思いますが、やっぱりなりたいと思っています」と適当に答えてしまった。
すると社長は喜んでしまい、自分のこれまでの経歴やら経験をずっとしゃべり続けていた。時間はどんどん過ぎていたが、気にしていないようだった。社長の話から想像すると、普通のドラマのエキストラではなく、どうも時代劇専門の俳優事務所であることが分かった。
そして「ええもん持たせたるわ」と社長が持って来たのは、日本刀(刃の入った真剣)であった。抜き身の真剣を持つのは初めての経験だったのでうれしかったが、「ここはヤバい事務所ではないか」という懸念も抱いてしまった。
結局、面接(というか雑談)は4時間以上もあった。
社長曰く「出演作が決まったら連絡するから、よろしく」とのことだった。
すぐに仕事の依頼
私は「俳優なんて未経験やから、仕事なんてないやろうな」と思っていたのだが、社長からの連絡は2~3日後にあった。「京都のS撮影所でドラマを撮るので午後2時に現地集合。着替えを持って来るように」とのこと。「着替え」というのが気になったが、真冬の京都の撮影所まで荷物を持って私は出掛けた。
ただのエキストラではなかった…
電車を乗り継いで京都へ向かい、撮影所に着いた。この時、事務所の先輩から仕事についてのレクチャーがあった。楽屋、衣裳部屋、メイク室、着物の着方、メイクの仕方、鉢巻の付け方等々を教えてもらった。ここでようやく気が付いたのだが、これって普通のエキストラではなく、いわゆる「大部屋俳優」やんか!であった。
楽屋は広さが4畳半ほどで、そこに10数人の「俳優」が控えており、そこで着替えもするので狭くてタイヘンであった。着替えが終わると鬘(かつら)とメイクである。プロの俳優さんは座っていれば床山さんが鬘付けもメイクも全てやってくれるのだが、我々は自分達で羽二重(はぶたえ)を付け、床山さんにお願いして鬘を付けてもらうのである。自分で顔にドーランを塗り、濃い茶色の塗料で適当に汚れを付け、完成である。
あとは出演まで待機である。
しかしこの後、どのような撮影が待っているのか、私は全く想像していなかった。
(続く)