長井風天

底流下等遊民、反抗的人間、ナガノ者。 氷河期世代の人事屋です。

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  • THE LOST GENERATION(無料版)

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    ニュースからサブカルまで、氷河期世代に関するトピックをお届けします😄

最近の記事

氷河期世代 アルバイト地獄変(3)

無茶な撮影所入り泥沼ロケでひどい目に遭ってしまったものの、「大部屋俳優」というバイトに興味と関心を持ってしまった私は、事務所社長から次の撮影依頼が来るのを楽しみに待っていた。 社長から電話があった。「明日、撮影をやるから撮影所に来て欲しい」という依頼である。撮影会社S竹のスタジオがあるのは京都市内の帷子ノ辻(かたびらのつじ)で、太秦のT映の隣の駅のすぐそばにあった。社長の話は続く。「明日は朝6時半に撮影所入りで」。 私「社長、大阪からでは6時半には間に合いませんよ」。 社長

    • 氷河期世代 アルバイト地獄変(2)

      ロケ地へGO!真冬の京都。すっかり日は落ちていた。撮影内容を全く知らされないままに私たち大部屋俳優は移動することになった。「まぁいいか」という適当な気分で先輩方についていくと、20人乗りほどのマイクロバスが停まっていた。どうやらこれでロケ地へ行くらしい。 ロケバスに乗り込んだ瞬間、私の目に入ったのは車内一面に敷かれていた青いゴミ袋であった。イヤな予感がしたが、鬘(かつら)と衣装を付け、小銃や刀などの小道具を準備をしているのだからそうそう無茶なロケはないだろう、というのが私の予

      • 氷河期世代 アルバイト地獄変(1)

        30代になってアルバイトをした理由両親からの強い説得と、母の病気、私のうつ病という事情があり、私は東京から大阪の実家に帰った。正社員として内定していたIT企業での職を辞退してだ。 帰郷前の両親は「ゆっくり療養に専念すればよい」と言っていたが、いざ帰ってみると、「就職活動はしないのか?」「いつ働くのか?」と圧力をかけてきた。とてもゆっくり療養どころではなかった。 しかし私の「心の状態」は、正社員として働くには少々不安定だった。私はひとまずアルバイトや派遣社員で日々の糧を得ようと

        • 氷河期世代の”わたしの履歴書”

           私は大学を1997年3月に卒業しました。いわゆる就職氷河期世代です。1995年の晩秋から1996年の夏が就職活動の日々でした。当時はまだインターネットは普及していません。学内の就職部や新聞等で情報を集め、200社以上に手書きの資料請求ハガキを送り、30社以上の会社説明会に参加して、書類選考が通った企業の面接を受けました。1996年の7月に2社から内定をもらい、東京に本社がある外資系IT企業に入社することにしました。苦労はしましたが、なんとか新卒で正規雇用の会社員になることは

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