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トキメキ、来たる未来。衝動的。
こんばんは。最近はきのこの炒め物かさつまいもしか食べてません。岩上魁星です。秋の味覚って感じだよね〜。かぼちゃも食べたいけど火を入れるまで億劫なんです。
もう今年も2ヶ月ちょっとか、って考えるとこの一年で何を成し遂げたんだろうってついつい考えてしまいます。そして、何も成し遂げていない。気がする。
といってもあとから振り返れば一瞬たりとも無駄な時間なんてなくて、僕の人生を語る上では欠かせない準備期間だったと美化されるんだろうけど、その道すがらに立っている現状はすこし暗い。
きっと何をやっても満たされないと思ってる。というか満たされてはいけないと思っている。現状維持は後退で、満たされるってことは衰えを意味するから。いつまで経っても上には上がいて、自分がとってもちっぽけで。じゃあ足元見てたら満足するかって言われたらそんなことは一切ない。
きっと生きていける。選択肢を捨てていけば。なりたい姿、やりたいことを捨てていけば、きっと生きていける。
でもそれって本当に生きているって言えるのかな。
生きるということはつまり、色鮮やかな感情の移り変わりだと思う。喜怒哀楽を全身で表現して全身で体験してこそ生きていることを実感できる気がする。泥水に足元をすくわれて、生い茂る草木をかき分けて、隙間から差す光を目指してくたくたになりながらボロボロになりながら歩いていく。生きている。
今も、まだ“生きている”と思う。あれやこれやと悩んで、考えて、落ち込んで。好きなことに没頭して、寝る。起きる。同じような日々の繰り返しだけど、気持ちはいつも新鮮でいる。大丈夫。“生きている”。
そう言い聞かせないと、不安になってしまう自分もいる。今は準備期間なんだと言い聞かせている自分がいる。常に前に進んでいると思わなければ崩れていってしまう気がして。それと同時に、現状に甘んじて転機を待つ自分もいて。葛藤。
おいおい、いつまでも待っていたって誰も見てくれちゃいないよ。
目に見えるものがすべてとは限らない。何者にもなれなくたって、何も残せなくたってきっと生きた証はどこかに残るんだと思う。それこそビッグデータの大海原に。でもそうじゃないんだよなぁ。遺品を残したいんだよ。
伊坂幸太郎さんの『死神の浮力』に出てくるサイコパスは、自身のことを憶えていてほしいから犯罪に及んだ。(これネタバレね。ごめん。)
これがどうも他人事に思えない。手段は賛同できないとはいえ、その気持ちは痛いほどわかるから。たった数十年の人生だけど、その中で数百年遺るなにかを作り上げたいんだ。本当は教科書に載りたいもん。歴史としてその中に残りたい。
誰かの記憶に残る人生を送れているのだろうか。これからも誰かの人生に影響を与えれるような衝撃を残すことができるのだろうか。ふとした時に思い出して懐かしんでもらえるような。欲張りなんだよなぁほんと。
子供ってその点いいよね。成長しなければならないからこそ、いつも懸命に“生きている”。目指すべき姿。天衣無縫。
ひとりひとりが懸命に生きているって知っているんだよ。計り知ることのできない感情の揺らめきが存在しているのだって知っている。僕もそうありたい。
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