どんなに想像力の富むSFも宇宙を捉えきることはできない
Author : Micheal Strauss
Translator : Kaisei Iwagami
宇宙物理学を専門としているのだが、もっとも現実離れしたサイエンスフィクションでも結局は人間的要素に帰結していくという事実にいつも驚かされる。どれだけ地球とかけ離れた星が舞台だとしても、いくら常識が通用しないとしても、サイエンス・フィクションでは人間の(もしくは人間的な)関わり、問題、欠点、困難が主題に据えられていることがほとんどだ。この主題にこそ我々の心は突き動かされ、そして何よりも理解することのできる内容なのだ。つまり、見知らぬ惑星や宇宙船が舞台であったとしても、殆どのサイエンス・フィクションは比較的馴染みのある設定の場合が多い。設定を作り上げる上での一番の壁は、宇宙の持つ圧倒的規模感を維持しつつも、物語を我々の感情や、指標、感覚にすり合わせることだ。
実際どれほど宇宙が広大なのか理解するなど到底できたものではない。観測可能な宇宙は以前と比べて100億光年も膨張しているとよくいうが、この規模感を我々の範疇で理解するには、地球の大きさに対する直感的な尺度を知るところから始めて、いくつか段階を分けて考えるしかない。ドバイ発サンフランシスコ行きの直行便はおよそ1万3000kmの距離を移動する──これは地球の直径とほぼ同等の距離である。太陽はもっと巨大で、その直径は地球の100倍にも及ぶ。そして地球と太陽の距離は太陽の直径を100倍した長さになる。つまり約1億3000万kmだ。この太陽から地球の距離は天文学において基本的な単位の一つとして扱われている。天文単位、もしくはAUと表記されることが多い。例を挙げると、1977年に打ち上げられたボイジャー1号は毎秒18kmの速度で移動し、現在は太陽から137AU離れた場所に位置している。
しかし地球から見える星は更に離れたところにあるのだ。地球から一番近い恒星であるプロキシマ・ケンタウリでさえも約270,000AU、言い換えれば4.25光年も離れている。太陽からプロキシマ・ケンタウリの間には3000万のも太陽を並べることができる。ダグラス・アダムスの『銀河ヒッチハイク・ガイド』(1979)に登場するヴォゴンは人類が地球解体の公示を見るためにプロキシマ・ケンタウリ恒星系へ1度も降り立ったことがないことに驚いていた。ケンタウリ恒星系までがいかに馬鹿げた距離であるかをネタにしているのだ。
天の川銀河に存在する恒星は互いに平均して4光年離れており、太陽系も例外ではない。なんと膨大な空間が広がっているのだろう!天の川銀河には3000億もの星が存在しており、銀河全体の大きさは直径でおよそ10万光年にも及ぶ。過去20年で明らかになった事実の中でも特段ワクワクする発見は周囲を公転する惑星を持つ太陽という存在がなんら特別ではないというものである。天の川銀河内では太陽と似た性質を持つ恒星のほとんどが同様に周囲を公転する惑星をもっており、中には大きさや親星からの距離などが地球と同じように生命活動に適している惑星も多く存在している。
しかし、そのような惑星に着陸するというのはまったく別の話になる。ボイジャー1号がプロキシマ・ケンタウリに到達するには7万5000年もかかる。これは最短距離で移動した場合の話だ──もちろんそんなことはあり得ない。SF作家はいろんな手法を用いてこの恒星間距離の問題を解決している。たとえば長距離移動している間は搭乗者を仮死状態にさせるだとか、(アインシュタインの相対性理論で予想された時間の遅れを利用した)光速に近い速度で移動するといったものだ。他にもワープ移動やワームホール、未解明の現象といったものを手法とすることもある。
100年前、天文学者達が初めて天の川銀河の規模を測る単位を定義した時、その大きさに誰しも言葉を失った。天体写真に映るいわゆる“渦巻き星雲“が実のところ”異なる銀河“──銀河自体の大きさは天の川銀河とあまり変わらないが、遥か遠くに存在している──であるということが当初大きな議論を生んだ。SF作品の大半が我々の銀河における物語である一方、過去100年の間、天文学者の間では宇宙がどれほど大きいのかという議論で持ちきりだった。いちばん近くに存在する銀河で約200万光年離れているのだが、我々が観測できる中で最も遠くに存在する銀河から発せられる光は、宇宙が誕生して以来ずっと、約130億年という月日かけて地球へと届いているのだ。
1920年代、ビッグバンにより宇宙が誕生してからずっと膨張し続けていることがわかった。更には約20年前、我々が認識できない何らかの力の働きにより膨張する速度が上がっていることが判明した。その力は簡易的に”ダークエネルギー“と名付けられた。ダークエネルギーは宇宙全体における距離尺度のみならず時間尺度にも影響している。どうすればこの概念を物語の設定に落とし込めるのだろうか。
これだけではない。膨張している宇宙空間に存在する銀河を観測することができないのである。なぜなら宇宙が誕生してから現在までの時間をもってしても地球に光が届くには充分だと言えないからだ。観測可能な範囲を越えた先には一体なにが広がっているのだろう。もっとも単純な宇宙理論では宇宙は全体を見ればその性質は均一であるとされている。宇宙が誕生したきっかけであるビッグバンは数ある(もしくは無限に起こりうる)爆発のひとつでしかなく、その結果“マルチバース“は完全に我々の理解の範疇を越えた広がりをもつとする考えもある。
アメリカの天文学者ニード・ドグラース・タイソンはかつてこう話した。「宇宙にはあなたにとって理解できるものである義務はない」
同様に、宇宙にまつわる謎がSF作家にとって語り易いものである義務はないのだ。宇宙はそのほとんどが空っぽの空間であり、銀河における恒星と恒星の距離、宇宙における銀河と銀河の距離は人間の尺度では理解の及ばぬほど広大である。宇宙の実際の大きさを残しつつ、どうにか物語を人間の努力や感情について焦点をあてるというのはどんなSF作家もたじろぐほど困難な課題なのだ。オラフ・ステープルドンは著書『スター・メイカー』(1937)にてこの課題に取り組んだ。作中では恒星や星雲、そして宇宙には意識が宿っているとされていた。宇宙と比べて我々など微々たる存在なのだと感じる一方で、我々の住む宇宙がいかに広大なのか、それでもある程度は認識することができている。つまりまだ希望が残っているのた。何故なら、コロンビア大学の地球外生物学者ケイレブ・シャーフが以前話していたように「有限の世界において、宇宙的観点は贅沢品ではない、必需品である」
この考えを世界に広めるということが天文学者及びSF作家が真に直面している課題なのだ。
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