頑張ればできそうなことが負担感の原因という考え
「明らかにこれはできない」ということなら諦めがつくけれど(「50メートルを5秒で走れ」と言われても「無理」と分かりますね)
「頑張れば出来るようになるかもしれない」
「頑張りたい」
中・長期的視点でそのように考えるのは良いことですが、
短期的に考えると負担感は増すように思います。
「頑張りたい」と思っている段階で、そもそも「今はできない」ことを示しているからです。
「今はできない」という事実を見落とし、「頑張れば出来るかも」という曖昧な状況で頑張るのは心身ともに負担で当たり前なのですね。ポジティブで前向きなものであっても、負担がかかっているのは事実です。ネガティブなものなら尚更負担大ですね。
それを理解した上で頑張るか、頑張らないかは、現状の負担具合を考慮して、頑張るにしても一人でやろうとしないで人や物に頼りながら(相談した上で)やっていくということを考えた方が長続きするのではという風に考えました。
そして、「今は」まだできないことがあるのは仕方ない。
今私に出来ることをやる、それで充分
ということに気付くことでまたやっていくのもよいのではないでしょうか。
お仕事においても
育児
においても何事にも。
見極め、というのは難しいですが、「がんばれば出来る…かも」というような自分の感情・欲求が事実を教えてくれるようです。
出来るようになりたいことは中・長期的な視点で待つと、燃え尽きずに済みそうだと考えましたが、いかがでしょうか。
ないことをあることにせず、ないままで、
あるものを活かしてやっていく。
そんな風に自然体で生きたいものですね。