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今、自分の「当たり前」と向き合う時
人の道-当たり前の生き方
今迄日本の社会を牽引して来た人達も、
自分の常識=「当たり前」を時代に合わせ
根底から見直す時期が来た、と思います。
近年起きている多種多様な自然災害、
人としてあるまじき利己的で刹那的な
行為・態度・言動や犯罪の多発など、
それはIТや個人主義が広まりを見せる
環境と共に日本の素晴らしさを軽視し、
ビジュアル重視になっている社会への
天から日本人への警鐘では❓と思います。
上に立つ人の中にはパワーハラスメント
となる言行態度を平気でする人もいます。
自他の「当たり前」には、コンプライアンス、
道徳、倫理、モラル、マナー、常識(躾)
などが当て嵌まります。
同時にそれは子供から大人まで差があり、
中でもコンプライアンスは地位や立場や
置かれている環境によって幅があります。
この違いを理解した上で、実際に日々の
生活に生かすことが大事なことと思います。
「当たり前」のこととして、
人と和し繋がりを持つためになくては
ならない義務・責任・ルール・マナー
モラル・礼儀作法と年齢や立場相当の
コンプライアンスなど関することは、
個人の備え持つ主観や常識で
「当たり前、知っている、判っている」
と思っているだけで終わらせないよう
自らの言行や態度に表し、活動して
行くことではないか、と考えます。
同時にそれは
個々人の主観の違い立場や実体験の多少、
社会生活環境により大きな差があります。
故に、自分自身持つ主観的な当たり前の
「ものさし」だけで測り判断するのではなく
相手の心やその状況、活動に照らして
「人として正しい」(=正道・人の道・人の理)
と言うことに照らし合わせながら
平らな心で冷静に考えなければなりません。
「礼を尽くし、相手を立て筋を通す」
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豊かな人間関係の「原点」は人としての
当たり前のこと(常識)を忘れないこと。
「礼を尽くす」
人は一人では絶対生きて行けない。
そのために日々触合う相手を想い、
強く意識する心が仁で、その文字は
人は二人と書くと解します。
「仁」は目に見えないバーチャルな観念、
それが形として現れるのが「礼」です。
「礼」は、礼儀や作法、相手への敬意表現
などの気持ちを表現しきることです。
「尽くす」は、「筆舌に尽くし難い」と
同様に残さず表現することです。
「相手を立てる」
◉自分が正しいと思っても相手の立場が
悪くならないよう配慮して行動する。
◉自分が正しいという主張を過度に
行うことを避け相手の正しい部分を
見つけ出し認め褒める。
その為に相手を立てることが大切で、
『あなたの気持ちが分かる(共感します)』
のひと言が大切です。
◉目上の人を立てるとは、リスペクト心
下の者が自然に目上の相手に対して、
尊敬の念を心を込めていう言葉であり
自分から発信することではありません。
自分を立てて欲しければそれなりの
日々の努力と自省が必要です。
また、目下の者が目上の人に向い
「あの人は本物だ」と言う言葉使いは
その相手を立てることにはなりません。
「筋を通す」
筋は、自らが正しいと信じる「心の軸」。
それは、人間の精神の指標を指し、
その人が持つ判断基準です。
「筋を通す」とは
“道理に叶う様にする。”
“物事の首尾を一貫させる。”
と言うことです。
『命』の文字
人間は「一度は叩かれる」と書きます。
長い人生で叩かれ試される試練・苦難は、
一度、二度ではなく、何度もあるのです。
命を大切にすると言うことは、他人から
叩かれることを覚悟しなければなりません。
人間は、多種多様な感情があるからこそ、
喜びや楽しみを共に分かち合いながら、
与えられた人生を豊かに出来ると思います。