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年末年始のコミュニケーション『礼』と『仁』


『礼』と『仁』のココロを知る

年末年始に『礼と仁』のこころを意識した
心身の活動をしましょう。

感謝と礼

瞬時に感謝を伝え、相手をフォローする
手段のメールは大切なツールと考えます。

しかし、心からの「嬉しい」「有り難い」
「お陰様で」と言う感謝を現し伝える手段
は手軽なメールに頼り過ぎてはいけません。

僅かな気の緩みや怠慢が信用や信頼を失う
場合もあることを強く意識し心得ましょう。

感謝は、
実際にその相手に対面し言葉や態度で
現し伝えてこそ相手の心に通じ伝わり、
感謝は行動力を備え持って適時適切に
表わし伝えることが大事です。

喩え遠く離れていた場合や様々な事情で
会うことが出来ない場合でも出来る限り
時間を置かずに僅かな時間を見つけ出し
ひと言」だけでも肉声でこちらから感謝
の心を伝える電話を入れましょう。

これは、正しく感謝の心
信頼感安心感』のキャッチボールです。

様々な環境や人に生かされている現実、相手
在ってこその自分、支え合う「人の文字」です。

幸せな人になる為にも小さな些細なことにも
感謝を表わす言動を日々積み重ねることです。

人と繋がりに大切な感謝のひと言、
『ありがとう』は実に深く重い言葉であると
常日頃から強く自覚認識し置きましょう。

常々感謝を伝える大切さを自覚することは、
思い遣り」と「信頼の礎」と心に刻むことです。

よく相手が見えない電話で「有難うございます」
と言いながら頭を下げている人を見かけます。

その方は対面しない目に見えない相手でも
「心からの感謝を自然と伝えているんだなぁ」
「素敵な感性備えを持っている人だなぁ」と
頭が下がります。

この様な自然な姿形で感謝を表現伝達すること
(≒利他心)身に着けておくことは心豊かで幸せ
体感に辿り着く近道だと思います。

心の伴わない形ばかりや口先だけの感謝の表現
は感謝に心とその重みを感じられずその場限り
になってしまい伝える相手の心に届きません。


年のけじめの年末年始だからこそ改めて一年
を振返り、感謝の表現の仕方について自分と
「向き合う」ことに努めることをお薦めします。
 
次のような上目線とその逆の謙虚さ遜った
「ご苦労様」ではなく「お疲れ様
「かもしれません」でなく「思い(考え)ます
「参考にします。(参考になります)」
の文言は避けて、
読ませて頂きます。(熟読致します)」
目を通させて頂きます。」
教材として学びに使わせて頂きます。」
学ばせて頂きます。」
「してあげる。」でなく「したいと思う
と言う言い回しをするようにしましょう。

また普段、感謝を伝える場合
「面倒だからメールで済ませちゃお」
「面識がない人だし、別に自分が
 望んだことをしてくれた訳でもないから」
「忙しいし、大した相手でもないから
 感謝を伝えなくてもいいや」
「会った時に感謝を伝えればいいや」
「お礼のメールをしたからいいや」
などと言った意識を持ってしまう場合が
少なからずあるのではないでしょうか。

言葉の重さに配慮するように努めること。

言葉の重さと行為行動

人間の心には、
煩悩(情欲)と言い、人の心を迷わせ悩ませ
苦しめる原因
となる貪、瞋、癡、慢、疑、
悪見
の心があります。

例えば、
いい人と思い思って貰い「たい」好かれ「たい」
愛され「たい」認められ「たい」褒められ「たい」
の我的欲求願望と受動的な意識があります。

この総ては、期待・欲求・願望・要求・欲望
と言う感情を含む自己欲に因ると考えます。

こう言う意識(思考)を持たないよう日々心掛け、
自発的で能動的な好きになる、信じ信頼する、
愛する、認める、褒める、自他の良いところ
を自らが積極的に見付け出す、言葉や態度の
表現活動で豊かな人間関係を育めます。

積極的に
一体・連帯・安泰・態度・状態・
 応対・大切・連隊・忍耐・歓待・土台

の文言を意識するようにすると良い人間関係
を築け人間力を育む道が広がります。

そして、
論語にある【仁・義・礼・智・信】夫々の
文言の語彙を理解認識して置きましょう。

私達の住む社会は 、
人間関係の『礎』とも言える「認める」認知活動
即ち「承認・信認」を表す「感謝」のココロの
各々が表現伝達が疎かになると感じられること
を様々な処で味わい見聞きします。

例えば、
何らかの形で他人を動かしお世話に成ったり、
ビジネスや普段の生活において 見知らぬ他人
との縁や繋がりに何らかの御尽力を頂いた人
に対し人として自利や感情を抜きにして示し、
伝えなければならない心身の活動が「感謝」で
ありそれは『礼』を以って成すことであると
受けとめています。

或いは、
ビジネスや私生活で挨拶やメールを送った時、
返事一つで発信した人の活動・活躍の仕方が
決まったりするのに返事もしない、メールも
KS(既読スルー)したり無視て何の返事もない。

その結果として自分も相手もネガティブな思い
をし関係が途切れたり、ビジネスに繋がらない。
こう言うことが平気で行われる体験をしました。

人として大切な「」=相手への思いやり、
』が源にあり生かされる『」の表現、
有難い、お陰様の「感謝の心」の表現伝達
について考えてみます。

対人関係(コミュニケーション)の「仁」

『仁』の心の体験を基づき別な角度から考える。

💕仁のココロの理解

先ず一人称である自分自身を知り認める活動
のため他人&自分と「向き合う」ために自分の
心と正対し、良し悪し、正誤に関わらず自分
が知らない自分を知る、その自分自身を素直
に受容れて、認知、理解することから始める。

先ず、自分の強み弱みと真摯に向き合うこと
がスタートラインです。
また、別の人格を持つ他人とはお互いが一人
の人間として「認め合い」互いが相手と本気で
真剣に真摯に「向き合う」ことに努める心身の
前向きな活動が大切です。
『仁』の構成文字を、
「自分と他人」
「自分ともう一人の自分」
 (=思考の選択に迷う自分)
「強い自分と弱い自分」
「人」+「二」で組立てられ、
それは自分と他の人(二人称)を表わす。
即ち、自分自身と他者、二人の人間を意味して
いると解し受止めます。

それは自分(一人称)と他の人(二人称)を表わし、
自分自身と他者、二人の人間を意味します。

💓仁は内と外『二人の自分』

「生きている自分」と「生かされている自分」
「人を愛する自分」と「愛されたい自分」
「利己」と「利他」
「認める自分」と「認められる自分」
「親切な自分」と「無関心な自分」
「与える自分」と「求める自分」(物・魅力・心)
「感謝する自分」と「感謝される自分◆

📚『礼』辞書検索

[意味]
頭を下げる礼をする、
感謝の意を表する、
(偉い人に)会う、
(偉い人から)もらう・受ける、
(草花を)抜くという意味があり、
また
行為を表す語の前に付いて謙譲の意。

💖自分の中の『自分』と『もう一人の自分』

「人間の善悪二つの心」
「強い自分」と「弱い自分」
「明元素な自分」と「暗病反な自分」
「無関心な自分」と「共感する自分」
「楽に過ごす自分」と「楽しむ自分」
自他に「優しい自分」と「厳しい自分」
以上、
『仁』について理解に努める活動は「心の礎」
(心の土台石)を築きます。

「礼」を以って「仁」を成す


礼の字源

💞「感謝」と💖「愛」の対義語

感謝と愛の対義語

共に、
認知活動である認める心=承認欲求満足の
活動の有無がその礎です。

謙虚さや遜る心の感じない言葉、
例えば、会話時に目上の方や上司との会話で、
聞く側が腕組みや足組みをして聞いていたり、
目上の方への承諾を「了解しました」と返事を
したり、目上や教えを受ける人の返事として
「参考にします」と平然と言葉で返事をしたり
喪中なのに「新年おめでとうございます」、と
言う言葉(語句)を平気で使ったりビジネス上で
の金銭の授受の有無に関わらず教えて貰うこと
だけで終わり、その後の経過を返さなかったり、
年長者へ節度の無いタメ語や行動態度をしたり、
する社会人が増えていると思われます。

この逆をネタにして活動してる日本人として
とても平気で受止められない芸能人も居ます。
受止め方に因って「伝統日本文化の破壊人」と
も考えられます。

礼を利己的に捉え人としての『礼』を尽くす
こと無くしても生きて行けると安易に考える
人ではないか❓と思います。

誠に残念ながら、
現実の生活で国や地方の行政機関での行為を
取りざたされているように 自己顕示、利己、
保身、自己都合が大手を振りまかり通る社会
になりつつあります。

このことを少なくするには下のステージで
思考行動する癖を付けるであると思われます。

◆一人称~三人称の「Stage」&「Eye」

そして、思い遣りはどのステージで
どう捉えることを言うのでしょうか❓

人称別ステージーイメージ図

自心も他人に対しても、嘘偽りのない自ら
の本当の姿を知るために自分を一番理解し
愛せるのは自分と自覚し「自分と向き合う」
活動をする際の視点例を記してます。

皆さんは、人(=仲間)や物、物事・事象=
自社(自店舖・商品)をどのステージの目線
で見たり感じたりどのステージに立ち捉え、
どのステージ立って思考(想像)して夫々を
どのように認識しどのような言葉や態度や
行為に表現しますか?

そして、
思い遣りはどのステージでどう捉えること
を言うのでしょうか❓

※以下『仁と礼』について
 学びメモと論語から転載します。

新渡戸稲造氏は、その著『武士道』で、
「礼は寛容にして慈悲ありは妬まず、
 礼は誇らず、驕らず、非礼を行わず、
 己の利を求めず、憤らず人の悪を思わず」
江戸中期の儒学者太宰春台氏は、
「仁は目で見え難いが義は行動となり礼は形
となって表れ目に見える。  
従って、礼を厳しく躾ければ、
その過程でなぜそうすべきか解り、悪い心を
持った人間でもその行儀作法と共に心も自ず
から正しくなっていく」
とそれぞれ著書のなかで記しております。

「礼」「仁」により育まれた気持ちの形。
「仁」のみであってはいけませんし「仁」
無くして『礼』はあり得ないと言えます。

即ち、
」は「」を具体的な行動として表します。
元々は宗教儀礼のタブーや伝統的な習慣・
制度を意味し、後に、人間社会の上下関係
で守るべきことを意味する。

また、武道の基本とされる
礼に始まり礼に終わる』も数多く知られ
孔子の論語の中にある以下の語に「礼」の心
が窺い知ることが出来ます。

『礼を学ばざれば、以って立つことなし。』
[季子第十六]
『礼を知らざれば、以って立つことなし。』
[尭曰第二十]

※【原文の意味・解釈]】 
孔子は長男の伯魚に庭先で「礼」を学ぶこと
を強く勧めた。  
人は「礼」を知らないと人格形成が出来ず、
人間関係が上手くいかないからだ。  

伯魚の告白によれば、
直接の父である孔子から教えを受けたのは、  
庭先で会って「詩(学問)の勉強」と「礼の勉強」
を薦められた。
この二つだけだったと言っている。  

この「庭先での教え」は家庭で親が子に
教える「躾」と言えます。  
また、孔子は「礼儀作法」を重んじました。  
「礼」を知らない「無礼者」になるなと。  
「礼」とは「礼儀作法」のこと。  

今流に言うと
「礼儀」は「マナー」と「モラル(倫理・道徳)」、  
「作法」は「ルール」「規律・規則」と言えます。

※礼(れい)とは、
 さまざまな行事の中で規定されている
 動作や言行、服装や道具などの総称。  
 春秋戦国時代、儒家によって観念的な意味が
 付与され、人間関係を円滑にすすめ社会秩序
 を維持するための 道徳的な規範をも意味する
 ようになった。  
 礼に始まり礼に終わる 武道の基本。   
 この言葉の初出1907年7月『武徳誌』  
 に内藤高治が発表した論文「剣道初歩」。  

*熟語 -礼記・礼拝・礼儀・礼装・礼服
 字源⁼禮の古い時代から用いられている略体「礼」より。
」は「示」+音符「豊」の会意形声文字。
」は「豆」に形よく供え物を並べた様。
 形よく整えられた祭礼を意味。

意義
1.形よく整えられた行儀作法。儒教の徳目のひとつ。
2.形よく整えられた儀式。 婚礼、祭礼
3.社会習慣、慣習。
4.相手を尊重する取り扱いや挨拶。
礼遇、敬礼「礼」の漢字の成り立ち・由来 形声文字です。

※漢字の成り立ち事典より
「礼」を学びました。
先ず前に学んだ「しめすへん」です。
神様へのお供えをのせた台を形とり出来た文字。
「豊」の文字と合わせて収穫の感謝を表した
「禮」の文字がありました。
「礼」は神への感謝の気持ちで「禮」は
五穀豊穣への感謝を示す文字とし使われました。

今は「禮」は略され「礼」の漢字で統一されました。
※私見ですがそれは豊かな心と解します。


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