有りの侭の自分と器を知る
有りの侭の自分の心を受容れる
自分の心と素直に正直に向き合おう。
インバウンドで世界中の人々が
唯一無二の様々な日本の文化を
体感しに来日されています。
都会的な日本文化と四季折々の
自然の趣きを肌で体感する文化
日本人の心である調和=和文化
その中でも人と触れ合い繋がり
を生む心の文化に興味を持つ人
が多い様に受止めます。
国民性や肌の色が異なる人間で
あっても求めることは人と人の
結び付きのように思います。
このような意識を持つ人類同士、
人と人とが争う戦争がウクライナ
やガサ地域で起きて数え切れない
貴重な命が失われている現況です。
そのような世界環境の中日本では
先ず人を想う調和(和)の心が欠如
した国政を司る政治家の不祥事が
絶えず起きています。
大袈裟かも知れませんが、今日本は
大きなターニングポイントの時期に
面しているのかも知れません。
このような世情の中、私達が取組む
べきことは個人の人間力UPです。
人間は元来、孤独で寂しがり屋
ではないかと思います。
自分の中に在る弱く脆い自分や格好
の悪い姿を出来るだけ認めたくない、
その気持ちは誰の心の中にあります。
そして、そのような気持ちは自分と
正直に向き合う為に要りません。
素直に、
今の自分自身の心と姿を認めて下さい。
同時に、
自分の当たり前にしている意識を顧み、
見直すことも必要です。
先ずは、
今の自分を知り理解する取組みである、
真摯にかつ客観的に自分の心を見つめ、
認めることから始めることです。
今現在の自分に、
出来る事と出来ないこと、強み、弱み
を紙に書い出すこともその一つです。
生きていると人は、
誰にでもあの時の自分の行動が許せない、
あの時あの人にされた事が忘れられない、
あの人の功積は認められないなどと言う、
惨めな感情を抱くこともあります。
しかし、
この感情はいつか正し、癒す必要がありも
こういった感情を引きずったままで人生が
好転することは少ないと考えます。
もし今、それを感じているのであれば
早くそのような感情を心から取り除き
スッキリしたいやる気を取り戻したい、
と感じるはずです。
心のモヤモヤはいつしか自分の意思に
反し心の大きな側面を占めます。
そして、知らず知らずの内に過去と
同様な経験を引き寄せてしまうのです。
そうならない為にも、許せない自分も、
許せない他人も、許せない現象も総て
その時の自分に必要だから起きるのだ
と受容れ理解することです。
また、
人の思惑が気になる緊張し易い、精神的
に脆くていつも中途半端で継続出来ない、
依存体質が強いことも認め受容れること、
そう考える中で落ち込むかもしれません、
自分の弱い部分を理解し確認することで、
気持ちを逸らしたくなることがあっても、
諦めずに自分自身の本来の姿を理解して、
それを認めてあげることです。
これを繰り返し行うことで自らの本質や
価値を自ら評価出来るようになります。
大切なのは自分を客観視することであり、
周りの否定的な意見を入れないことです。
負けず嫌いの気持ちが強く直き心で己を
認められない内は常に他人からどう見ら
れているか、と言った思惑や人の目を
意識して、人に対し優位に立とうとする
ことばかりを中心に考えしまいます。
そこの意識を抜け出すことでスムーズに
自分自身の総てを認め受容れられるよう
になれると体感しました。
他人と一体感を持つことでしか自分の存在
を確認できず、お買い物、食事をするのも、
必ず誰かを誘ったりし、独りでいることが
耐えられない、と言う人がいます。
そのような人は、
休日に家で独りだけで過ごすなどは考えず
手当たり次第に友人達に連絡をしその結果
として誰に相手にも相手にされないとまる
で自分ひとりが、世の中から取り残されて
しまった様な不安と焦りに苛まれます。
そして、
そのような人は人当たりがよくとても社交的
に見えるのですが他人と対立することを避け
心に様々な塵や埃が溜まっています。
他人に文句が言いたくても、中々それが言えず
作り笑顔や曖昧さで自分をごまかしてしまう人
が多いとも体験しました。
人に何かを頼まれれば、嫌なことだとしても
他人の思惑が気になって断れない、
感受性豊かで、他人の感情を素早く読み取り、
自分を押し殺し相手に合わせてしまう。
そのような人は、
心が擦り切れるほど他人に気遣ってでも、
独りぼっちを避けようとしているのです。
それだけに、自分を尊重してくれない人は、
激しい怒りや憤りを感じてしまい、結果と
してその人を避けるようになります。
また、友人にメールを送り、レスが貰えない
と腹が立つ。こういった人はプライドが高く
「自分を認めてくれているか❓」
「他人が自分を見捨てようとしていないか❓」
を常に意識し、警戒して心のどこかで怯えて
いる場合が多いように思います。
他人との関わりを大切にし多くの人と触合う
と言うことは人として大切なことでその行為
自体が付き合いを楽しむ訳ではなく利己的な
「独りぼっちになるのが怖い」と言う強迫的
な考えに心が動かされているとすればやはり
これは大きな問題です。
「総ての人から好かれたい」
「他人から常に良い人だと思って貰え、
好かれなければならない」と思っている人は、
誰とも深く付き合うことは出来ないようです。
また
「人と一緒にいなければ不安で仕方がない」
と言う人は、自分と向き合う心の活動から
逃避している場合が多いようです。
例えば、自分は、
・本当に幸せなのだろうか?
・有意義な人生を送っているだろうか?
・人として、自分に与えられた
役目・役割を果たしているだろうか?
・人の役に立ち周りの人に信頼されているだろうか?
・目標や信念を持って生活しているだろうか?
そう自分に問いかけ、適切な答えが見つからず、
焦り落ち込んでしまい、その無力感劣等感など
を埋め合わせるために必死で周り人から認めて
欲しいとと思い、動いたりもがき苦しみます。
逆に、
他人との関わりを一切絶って自分の殻の中に
閉じ篭もる人も多少なり居ます。
やはり
そういう人も同様で心の中で他人を総て敵と
見なし「傷つけられるのが怖い」と言う強迫的
な考えに縛られてしまっているのです。
常に人と一緒にいなければ不安で仕方がない
と言う人は、
「他人とも自分自身とも真剣に
向き合うことを避けている」
という点に於いて、他人を拒絶している人と
根本的に同じであると言えます。
また、
他人に依存してばかりいる人も、他人を全く
拒絶してしまう行為も正常な人間関係の活動
とはといも言えません。
他人と触れ合う時間も大切ですし静かに自分
に向かう時間も同じ位に大切です。
人は、他人と触れ合うことで、人に生かされ
支えられている有難味が理解出来孤独な自分
自身と向き合うことで自らの気持ちや現況を
整理できるものです。
人間の心は、言わば「糠床」のようなもので、
状態を観察し「頃合いを見てかき混ぜること」
時間をかけて熟成させることが必要です。
どこまで他人を頼り、
どこまで自分の力で生きるべきなのか?
どこまで他人に譲り、
どこまで自己を主張すべきか?
こう言うことは、
その人の性格によっても違うでしょうし、
時と場合に依っても異なります。
問題は、それが
正しく積極的な意欲に基づくものなのか?
或いは、
強迫的な不安や不信に依るものなのか?
と言うことだと受け留めます。
孤独は淋しいし、一人ぼっちに成りたくない。
しかし、他人と関り余計に気遣うのも本当は
嫌だし、傷つくのも怖い。
このような気持ちや強迫観念に縛られている人
の多くは「出来るだけ楽をしダメージを避ける」
と言うことだけにしか考えが及んでいません。
喩え、ダメージを受けずに済んだとしても、
それはプラスではなく、ゼロに過ぎません。
自らのマイナスを避けることに終始するだけ
の人生に喜びや幸福感は得られません。
喩え
他人と意見やが思いが衝突することがあり、
本気で真剣に自ら本音をぶつけ合ってこそ、
人は互いに理解し合えるのです。
そして、孤独と向き合い己を認めてこそ、
確りとした自分自身が持てるのです。
時に大きなプラスを手に入れるために敢えて
小さなマイナスを受け入れることも必要です。
他人の意見は参考にするのは良いことですが、
その意見に振り回されてはいけません。
人は、
特定の人以外、周りの人々からも愛され続ける
ことは不可能であると思います。
そして総ての人から愛されている人はいません。
他人から好かれて認められること自体は確かに
素晴らしいことですが人生や心の「糧や励み」に
なっても決して「目的」ではならないのです。
独りでいる時、孤独の不安に襲われたなら、
自分の心にこのように言い聞かせて下さい。
私は独りではない。目を閉じれば、
親し友人や家族の顔が思い浮かぶじゃないか!
何か行動に移す時に他人の思惑や目を意識し、
いつも顔色を窺ってしまう人は(若い頃の私)😢
以下にように自分に問いかけて下さい。
自分は、若し誰かに見られていなくても、
全く同じ行動や態度をとるだろうか?
独りでいる時は他人と一緒に居るように、
人といる時は独りで居るように行動すれば、
上手く精神のバランスが取れると思います。
認知承認と言う人の心と活動ために、
「自分自身と向き合う時間」を作ることは、
明日の素晴らしいあなたを創り出します。
このような自らの『心』への【思い遣りの思考】
は、大切であり必要なことではないでしょうか。
※以上過去の体験に照らして記しました。
どんな自分と向き合うの?
(注)赤字の項目は特に意識すべき項目です。
自分と向き合うために自分の器を知る
人は誰でもその人なりの器(器量)があり、
その器を最も愛している自分がいます。
また、自心と向き合わず自らの器を知る
努力をしないもう一人の自分も居ます。
自分と向合う(=自分の器を理解)活動は、
これから先の自分はもちろん愛他利他の
活動にも繋がります。
面倒でも自分の器を知ることで様々な心
が見えて来たことを実感しました。
上図にあるゴールデンサークルと
二つのWでと捉えると明確になります。
スキル・テクニック至上主義の是非
現役時、多方面から、イベントやセミナー
への招待状やお誘いを沢山頂きました。
そのような中で、
第一印象(メラービアンの法則)、モテ仕草、
ビジネステクニックやスキルなどに関する
対外的講座の人気が多いように思われます。
コロナ前ですが公私共に経営者や指導的な
立場の方々にお逢いする機会もありました。
以下は、そのような体験で感じたことです。
人間、一人ひとりの顔=個性≒感性と、
夫々に大小の異なった器があります。
個々人の個性・資質、夫々の器に適した
テクニックやパフォーマンス、仕草・所作
スキルを学ぶことが何よりも大切です。
一流と言われ、成長する人には皆謙虚さを
備え何事も自らの学びとして受け止める故、
「参考」とは表さず学び(=姿勢)と表現します。
誰に対しても、同一の指導方法やマニュアル
通りではその人の器に合致したものは決して
身に付きません。
テクニックと言われる形は、
三原(原義・原則・原理)の元に教えられて、
独自の所作として身に付けられます。
「人形作って魂入れず」の如く、形だけを
教えたのでは、直ぐに、本人の中身(器)に
合っていないことがバレ、失望に繋がり
その結果、その人への不信感となり折角
作った人間関係も崩れてしまいます。
何事も、
無理して作り、身に着けているものは触合う
相手に直ぐにバレ、壊れてしまいます。
例えば、
「挨拶はこうしてするのです」と教えるより
「挨拶は、押し開き迫ると言う
原義があるから、こうすると良いのです」
原義、原則を踏まえて教えた方が
いつまでも目的が明確になり心に残ります。
同時に、その人の個性(器)に見合った
指導育成の方法(プロセス)が求められます。
原義・原則を認識させた上で、
形や所作はその人の資質(器)に合わせて
教えてこそ始めて生かされるものです。
下図は自分に、出来ること、必要なこと、
などの課題を見つけるためにも使えます。
※このリストは、
体験と人生での学びから記しました。