日本の文化「侘び寂び」
「侘び寂び」を紐解く
日本独自の文化「侘び寂び」と言う
日本人独自の持つ感性=心の文化は、
世界中のどの言語でも正確に翻訳が
出来ないとても曖昧な存在?であるの
かもしれないと考えられます。
「侘び」は、
「侘ぶ」と云う動詞の名詞形で、
「わびしい、悲しい、悲観する、気落ちする」
という意味があります。
一方「寂び」は、
「寂ぶ」と云う動詞の名詞形で、
この言葉は
「錆びて行く、廃れていく、古くなる、色あせる」
という意味があります。
これはともに、日本人独自の文化である
不完全美と言った芸術やモノを否定的に
感情表現する場合に多く使われています。
日本人は古くから、
物事の物、悲しい様子の中に宿る美しさ
を見出したのではないか?と考えられます。
それは、
悲観するようなもの寂しい風景であったり、
錆びて色褪せているような様子であったり、
そこには「独自の何とも言えない美しさ」
が存在すると感じるのは日本人特有の感性です。
例えば、
四季のある日本国内で秋になれば、
山々や林に生い茂っている木の葉が赤色
や黄色に染まり、その何とも言えない
自然界の美しさを際立たせます。
多くの人々はこの景色を求め山の散策に
出かけたり、寺や神社にお参り行ったし、
独特の雰囲気を味わうことも出来ます。
また、
散りゆく桜、落ち葉、こけに覆われた
岩など自然界でも、生き生きとした活気
の在る自然の状態より、むしろ命の終わる
さまに、何とも言えない情緒を見つけ出す
と言うところに興味を抱く一面もあります。
日本独自の伝統宗教や様々な伝統行事は、
見た目の豪華さではなく、精神性や静寂を
好む傾向があり、これもまた「侘び寂び」
の心(情緒)を人々に感じさせてくれます。
ネガティブな不完全美や儚いものなどを
慈しみ愛する心、この心が日本人特有
の「儚い美しさ」を捉える和の心の感性
を形成していると考えられます。
茶道では「侘び寂び」の言葉が多く使われ、
この心は生活の中に深く息づいています。
この「侘び寂び」の根底にあるのは
「不完全を美しいと思う心」と思われます。
日本の茶道は古くからあり室町時代迄
(1336~1573年)は豪華な茶会が主でした。
その室町時代までは、
芸術は豪華で美しい姿が好まれました。
時代が流れと共に、
茶道でも豪華なものを排除し質素倹約
が良いとされるように変化し行きます。
このような質素なお茶会は、
千利休が広めた「侘び茶」と呼ばれます。
その際に利用される茶室や茶具は、
質素で、豪華さとは無縁だったそうです。
茶道では、花を生ける時、
豪華に飾りつけることはしません。
それは、
何本もの花を生け花として用いると、
自然の中に何気なく咲いている状態を
表すためあくまでも1~2本の花の個性
を生かし有りの侭の状態を出来るだけ
素直に表現しようとします。
日本の茶道は、前記の侘び寂びを原点とし、
現代まで人々に受け継がれて来ました。
この日本ならではの不完全美とも言える
「侘び寂びの心」言い換えるならば、
さり気なさ・何気なさと言った自然さ
を大切にする日本人ならではの文化が、
外見や装飾を重んじる現代の環境では、
多くの日本人の心から徐々に忘れられ
つつあるのは独自の文化を持つ和の国民
として残念であると思います。
このような日本ならではの文化
「侘び寂び」は日本独自のおもてなしに
欠かせない唯一無二の大切な日本の心です。
「侘び寂び」のような日本の伝統的な
美意識(概念)と「カワイイ」「萌え」「映え」
のような現代的な美意識は時代は違つても
同じ日本人が物事に対して感じる不完全美
の概念の一部と言っても良いでしょう。
こう言ったことが表れているの一つが
世界中から愛され親しまれている日本
独自のアニメであると受け留めています。