己の『値打ち』は自分で!
自分の評価は他人が決める
と古から言われ続けて来ていますが、
個人中心の社会環境になりつつある
現在の日本では、それに別の捉え方
を加える必要があります。
それは
<己の『値打ち』は自分が決める>
です。
自分の価値への取組み姿勢
人間は文字通り、
人と人の間に存在し生活しています。
人の間に生きているから、当然ながら、
人の思惑や評価も勿論大切です。
でも、他人がなんと言おうとも自分の
存在価値=値打ちは己が決めることです。
逆にいえば、
「それを失えば、自分は価値がない」
ということになってしまいます。
無条件に、
「自分は、人々に生かされ、
こうして人と人の間で生きている
だけの価値がある人間」
とさ受止めることは誰にでも可能です。
人間(特に日本人)は、
他人の目や思惑があるから自分も人にも
恥ずかしくない生き方をしなければと、
プラスに考えられれば良いのです。
自分に自信のない人は、
周りの人の評価・声に一喜一憂し、
人の声や思惑に神経をすり減らしながら、
いつも他人にどう見られ、思われているか
ばかりを気にし過ぎ、他人からの声や評価
が自分の価値の総てであると一人よがりし
思い込んでしまいがちです。
特に感受性の高い人は物事を
ポジティブに思考、言行することです。
人間であれば、
誰でも多少なりとも欠点や足りないこと
があっても当たり前です。
おのおののその欠点の種類が違うだけです。
人は、長所・短所(良し悪しの部分)も含め
異なった個性を持つ一つの人格を備えています。
でも、問題なのは
「欠点があって当然である」ことよりも、
自らの
「欠点を認めないこと・受容れないこと」
なのです。
【自分の欠点を認めようとしない人】
この意識や言行の例を取り上げてみます。
(1)当然ながら、他人の欠点も許せません。
(2)不機嫌うに見られ、近寄りがたい人
と言った印象を与えがちです。
(3)自らの欠点を隠すことに
精一杯で成長がありません。
(4)自分を卑下する人は、本当は愛されたい、
認められたいと願望が人一倍強いのです。
(5)自分が他人から否定されることを
怖れすぎる余り先に自己否定することで、
牽制してしまっているのです。
(6)自信がない人と自ら言う人は、
控えめに見えて実は自分のことだけ
しか考えられない、傲慢な人です。
(7)「他人が変わらなければ
自分も変われない」
と思っているから成長が止まって
しまっているのです。
(8)人は皆、互いに許し許され合い
生きているのです。
人は自分を否定しようとすると、
却って自己嫌悪が強まり
益々自信をなくす悪循環に陥る
可能性があります。
(9)素直に自らの欠点を自覚認識し、
「他人は自分が思うほど気にかけていない」
と気楽に捉え考えることです。
(10)自分の欠点と考える心の囚われを
はっきりと自覚し、その意識から
解放させればよいのです。
(11)何事も自己中心に思考し、
自分を正当化しています。
(12)内外共に恰好を付けたがります。
(13)自分の心を偽り、言訳をします。
(14)自他への嘘を平気でつきます。
(15)自己保身意識が有り、
自分を過大評価しがちです。
このような自分の欠点や足りないこと
を素直に認め、受容れ、自分に自信を
持てば持つほど他人を思い遣る優しい
気持ちが心の中に生まれ何事に対しても
謙虚な気持ちで取組む姿勢が備わります。
「自分自身を愛し大切だから」と思っている
からこそ、他人も同様に「その自分が大切だ」
と捉えること、自他のそういう気持ちを認め、
触れ合う、それが健全な人間関係です。
人間は、
足りない点や欠点があるからこそ
人間らしい、と角度を変えて捉えてみること
も大切な心身の活動です。
人が互いを思い遣る心を持ち、欠点を
補い合う心は豊かな対人関係を育みます。
人間は欠点や足りないところがあるから
こそ人生は面白く楽しく日々の生活出来、
心身ともに成長できるのです。
「人は良いところが一つあれば、
その三倍欠点がある」
若い頃、ある著名人に教えられた言葉です。