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日本の文化「おもてなし」の再認識


日本のおもてなしの心「和敬清寂」に学ぶ

    ⇔インバウンドの設え(シツラエ)=準備

おもてなしの心「和敬清寂」

🌎インバウンド再開の準備

コロナ感染症の広まりも落ち着き、患者数も減少しつつあり、
やっとインバウンド再開の準備をする時期が近づいて来ました。

日本独自の伝統文化「おもてなし」は古くから
私達が、お客様や大切な人、仲間をお迎えする
心と態度、言動と言ったことを指しています。
それは日本人独特の持つ決め細やかな思い遣り心と
生活と伝統文化が融合して作り出されたものです。

現代社会は、個人主義の生活の環境が広まり、
人が人を大切にする社会では無くなっている
のではないか、と感じられ思われるような
「人間の心」が喪失したと思われる、辛く悲しい
事件や無差別殺人事件が相次いで数多く起きています。
そして、コロナ感染症や先年の大震災に見舞われてしまいました。

東日本大震災後もコロナ禍の現在に於いて、
日本人の心は人間関係が希薄になり、
崩壊しかけている格差、核化社会になった、
先年の震災で自らの危険や身体の状態を顧みずに
懸命に働く自治体や被災現場で活動する人たちが
日本の各地域社会に大勢居るのにも関わらず、
日本全体が一つとなりコロナ感染症の患者さんや
被災地の心の傷を負った人達をサポートし、
支援しなければならない最大の窮地なのに
企業や個人、様々な組織等が自らの保身や
自分の生活だけ、自社だけ良ければ良いと言った、
自らの安心安全を優先する状況が垣間見られます。

この様な日本社会の一大事の時だからこそ、
日本の伝統文化である「おもてなしの心」の教えを顧み、
改めて認識すべきではないかと考えます。

日本のおもてなしの心」は、
社会生活、家庭、学校・職場・組織において、
「人が人を大切にする心」を気付かせ、
個々人の心に蘇らせてくれると考えます。
それは、現在のような様々な苦難の時だからこそ
誰もが気付かなければならない「日本と日本人の心」です。

日本人の「おもてなしの心」の基盤には、
誰に対しても自然に親切にする意識があります。
この意識は、日本人の特性とも言える「人の目」を
気にする気質から生じることかも知れません。

また、日本人はとても几帳面で相手を思い遣る優しい心で、
触れ合う人に不快感を与えない程度の距離を保ちつつ、
良い人間関係を作ることを常に心情にしている国民性があります。
このようなことが、世界に唯一無二の日本の文化である
おもてなしの礎」になっていると考えます。

💖一期一会の心

同時に、
一期一会の心である、その時、その場において、
そこに会した人々が、二度と巡り会うことの
無いであろう出会いの機会として、
一瞬一瞬大切にし、出会った相手を敬い、
思い遣りの心をもって触合い、接することも
おもてなし」に欠かせない大切な心身の活動です。

一期一会

一方、自然災害の被災地でも多く見られるように、
おもてなし」は、互いが触合う相手と思い遣りの心を接し、
互いの心を通わせ合う関係は、復興の『礎』
なるであろうとも捉え、考えることが出来ます。

🙏和敬清寂の解説

おもてなしの教え中で、特に「和敬清寂」の言葉は、
これからコロナ禍後や自然災害の復興に向けて、
後遺症が起きたりや自然災害に被災された方々に
必要な「心」の指針であるとも受止められます。
※この「和敬清寂」の言葉は茶道の心(精神)を
 一言で表現した茶人千利休の言葉です。

茶道では、亭人と言われるもてなす側とお客様は対等であり、
亭主は自らの心を清浄にし相対する人や客との隔たりを取払い、
相手を敬い無心で向き合う心が「おもてなしの心」です。

この「おもてなしの心」を持ち、お客様や大切な人に
敬意(リスペクト)と思い遣りの心を持ち「コト」=具体的な体験、
行動、態度や物(環境)=「モノ」で表現し、伝える意です。 

日本独自の文化「おもてなし」は、
上記した「モノとコト」を以って、もてなされる側である
お客様や大切な人に対し、その客人に最大限に提供出来ること、
どのような場所で、どのような形でどのタイミングで
自然な姿で提供できるのかを目配り、気配り、心遣い
と共に深く思慮し、温かな心と誠心誠意のある態度で行う意です。

この様な日本の「おもてなし」は、
客人や大切な人への気遣いや気配り、心遣いと配慮
意識で築かれてきた全世界に誇れる日本独自の文化です。

これは、心の通い合う真の人間関係を
作って行く時にも大切な要素と言えます。

茶道では前の二文字【和敬】は茶事に於ける
主人と客人の相互の心得や心構えを意味し、
後の【清寂】は茶器、茶室、茶庭即ち、
設えや演出、環境に関る心得を表しています。

私見ですが、この後の【静寂】の心は、
特に亭主(茶を点てる人)の心構えにも当て嵌まり、
大切に点てた一服を頂く側(客)の心得にも
とても大事なことではないかと思います。

和敬清寂

「和」お互いに心を開いて心を通わせ親しくする意で、
その先には平和な心と環境があることを表しています。
和は、私見ですが「話」と解し、会話をすること、
「環」と解し「環」は「輪」に変化し輪から人と人と
の強い結び付きである絆が生まれると解します。
※和=和合、調和、和楽を意味する。
   和楽はお互いに楽しもうという心とも解せます。

「敬」お互いに、お互いを敬い(リスペクト)合う意味を持ちます。
年長者も目上の人や家族、友逹みんなが夫々を
尊重しリスペクトし合うことで、人間関係を円満にし、
大切にすることが出来ると言うことであると解します。
※敬=他を敬い、愛する心。愛しむ心。慈しむ心。

「清」目に見えるものに限らず、
心も一点の濁りがない清らかな状態のこと。
澱みや曇りのない目で人や事と相対することで
本当の姿や物事の本質が見えてくること。
※清=清潔、清廉、清楚の義。
   周りも自らも濁りが無く澄み切った清らかであるように、との教え。


「寂」
どのような時や状況にも動じない不動心を表す。
どんな時にも、変わらない平常心を持つことで、
ゆとり(余裕)を持ち、相対することが出来る。
※寂=寂び、寂静、閑寂の意。
   要らないものを捨て去ることで生まれる。

この「和敬清寂」の言葉は、夫々の意味を知ると
簡単に思えるものばかりで組み立てられています。

しかし、多くの茶人達がこの四文字の言葉を理解し、
実践する為に茶事の道(茶道)を休みなく歩み続けています。

和敬清寂、夫々の言葉は、この茶道を通じ、
人と人とが触合い生きて行く社会生活の中で
どの様な生き様で生き、どの様な人間関係を
創って行けば良いのか、そしてどの様な意識で
自らが与えられた「人としての役割」を果たせば良いのか、
と言った自然も含めた万象の生きる目的や考え方、
心などの幅広い知識や感性が必要であることを説いています。

現在は、様々な要素が重なり最大の日本の窮地であるからこそ、
日本の心である「おもてなし」を改めて見直す時期であると思います。


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