🎌日本人らしさの実践
日本人の心の礎=「和」「義」「礼」「道」「理」
「和」「義」「礼」「道」「理=筋」の心を理解する
今の日本の社会は「もてなし」の「モノ」と「コト」
を組合せた様々なビジネスや集会が主流に
なりつつあることは日本の文化おもてなし
の拡散のためにとても良いことだと思います。
このような活動家やビジネスマンの中に、
日本人らしい「和」と「義」よりも自己都合(損得)、
自己顕示の活動が多く見られるのはI.T..時代だから、
唯、それだけでは済まされないと考えます。
例えば、
マナー(礼儀作法)やおもてなしなどに
対人関係やもてなし・接客サービスついて、
多くの人たちを教育・指導する職位、
或いは教師・講師の立場でありながら
心の基礎となることの本質を理解出来ず、
又はその大切さ必要性を感じていないのか❓
今までのキャリアや実績、自らの見識で
足りると考えてか、生活のための手段、
面前の自利利己や損得で活動している人、
自分の発した言葉の重さ、責任を自覚せず
回りからの目や思惑ばかり優先し思考する人、
自己開示もせず人と円滑な関係ばかり
(善い人・好い人)を意識して活動する人、
と言う人間の欲・煩悩が見え隠れする人が
現実として少なからず居ることは否めません。
こう言った人たちが良いとか悪いとか、
ダメだと言っているのではなく少なくとも
人の心を導く人であれば世界中が賞賛する国
日本に生まれたことの強い自覚と認識する。
即ち、
自分達は【日本に生まれた日本人である】
という意識(心)(≒日本の武士道の義、
仁の道徳観念礼の礼節,人の道の道理)
と言うことは日本人として最低限の知識
として弁えおくべきではないでしょうか❓
人を導き、育む人も
「和」「義」「礼」「道」「筋道=理」日本人である
先の大戦など犠牲になった様々な英霊や
多くの祖先の恩恵によって今現在こうして
生きていられると言う意識を再認識する
社会環境であるのではないか?と思います。
私は、面前の私利私欲、煩悩に負け
刹那な行動に走ってしまった体験をし
人として情けない時期もありました。
一方で他者の強い力に負けてしまい、
落ち込み、騙され、裏切られたこともあります。
今更、自分のしてしまったことを
後悔するよりもその様々な体験から
得られた気付き、学びがこれから
日本を牽引する皆様に少しでも役立てば
と考えてこうしてnoteに書いています。
現代社会は、
古より日本人の心とされる
「和を以って尊しと成す」
の精神とその活動で人と人との「和」
(=調和)や繋がりを強める活動をして
行かなければならない社会となりました。
現代に生きる私達にとって
“和や義”とは、どんな行動でしょうか?
貴方にとっての“和や義”とは、
どんな行動、どんな生き方なのでしょう?
「義」と言えば、戦国武将の
「上杉謙信・直江兼続」と言う
武士の姿が心に思い浮かびます。
上杉謙信公は、家臣の直江兼続に
『天下を取ることなどは小事に過ぎず、
それよりも「義」を貫いて生きることの方が大事』
と話しことは多くの人に知られています。
過去、日本では弱者(貧者)を平気で切り捨て
「勝ち組」だとか「負け組」だとか
回りの人々が騒ぎ立てた過去の時代もありました。
時に、人は人に支えられている
「人」の文字の心を忘れ他人に対し
根拠のない自己判断であいつは
「凄い」・「ダメな奴だ」、「勝った・負けた」、
などの批判批評を平気で言葉として発し、
自分だけが満足し幸せで良いなんて言う
利己的な個の意識には違和感を覚えます。
勝ち負けに関わらず、人を思いやる心で
自分が正しいことをして堂々と胸を張り
今を生きて行く、それこそが本当の勝者、
心が豊かで幸福せ者であると思います。
このような生き方をしてこそ、
人は生きている幸せを感じ取ることが
出来るのではないか?と個人的には信じます。
さて、現代社会は、弱者が人々や社会から
追い詰められ自ら命を絶つ人も出ています。
このような社会環境だからこそ、
個々人の日本の心(Nippon人力)である
「和」「義」「礼」「道」「理=筋」の再認識、
世界が認めている日本ならではの国民性、
即ち日本人らしい体現が必要と思います。
厳しい少子高齢化社会に入った今日、
「和を以って尊しと成す」
の日本人の心の原点とも言える、
私達は「義と和」の精神を備え、
真摯に自分と向き合いつつ、
互いに切磋琢磨し、調和を図り、
他人をサポートし、心豊かな人を育て、
未来に希望の光を灯せるように
生きなければならないと思います。
一人でも多くの日本人が「和」と「義」、
個々人夫々が「人の道」の心を弁え、
「礼」を尽くし、他人を思い(想い)、
先ず、他人を思い遣れる心身の活動が出来、
権力や利害関係に左右されず生き抜き、
各々が人として正しいと信じることを
迷わず突き進んだ「謙信「や「兼続」の様な
堂々とした人としての生き方が出来る
心豊かで唯一無二の日本の社会に成れば、
近未来が明るくなるのでは、と思います。
和・礼・義・道の解説
※「和」についてはこちらを御覧下さい。☟
「礼」
己を謙遜し、相手を尊び敬い
自らの行いを丁寧にすることを礼と言います。
「礼」を其の場、其の時に即し、
状況に応じて適時適切な自らの行動が
出来るよう弁える事を「節」と言います。
この「礼節」があってこそ、
初めて一人前の社会人と言えます。
また、「礼」を表す際、
忘れてはならないことに「義」≒義理があります。
「義」
義理・恩義・道義・大義・義務
などと言われ正しい行いを守ることで、
人間の欲望の「利」と対立する概念で、
「礼」とは「礼儀作法」のこと、
今流に言うと「礼儀」は他者を思い遣る
所作と言える「マナー・エチケット」であり、
「作法(仕草)」は「ルール」とであると解します。
📚辞書検索
【義理】(出典goo辞書)
(1)物事の正しい道筋。
人間の踏み行うべき正しい道。道理。
(2)対人関係や社会関係の中で、
守るべき道理として意識されたもの。道義。
(3)他人との交際上やむを得ずしなければならないこと。
(4)意味。わけ。
(5)直接血縁関係のない者の間にある、
血縁同様の関係。
(以上出典より転載終わり)
わが国では古より
『義理と人情とやせ我慢』
という諺があります。
この義理と言うのは、
実社会における規範性、法規制、
規律性の要素が強いものであります。
一般には日本の社会において、
社交上、礼儀を以て旨とする
行動規範を指し表したものです。
冠婚葬祭などの場に於いては
義理を欠く事の無い様、各地域に
合わせた礼節に基づく義理の行為が
執り行われる事が多いとされます。
一方、本心はやりたくないけれども、
仕方なく行わざるを得ない事を意味します。
義理チョコの言葉はこうしたニュアンスが
強く表れている言葉であると考えます。
🙏人の「道」
人が命を授かり生まれ、そして生きるには
この世で果たすべきそれ相応の役目があり
そのために、個々人の歩む「人の道」が有り、
生まれた時から与えられてます。←宿命
人は地位や境遇を自分本来の道と
心得て適切な行動をし順境や逆境、
いかなる境遇にあっても命の大切さを知り、
その主座を保つことであると受止めます。
地位や名誉が得られないことを
思い煩うのでなく、その地位に立つに
足りる実力を備えているか否かを見極め
気にかけると共に素直に省みるべきであり、
自分の力が及ばす他人に認められないこと
を嘆かずに人として人に認められることに
日々努め夫々の人格や能力=個性(感性)を
養わいながら生きて行かなければなりません。
周りに才能に秀で魅力に溢れている人が
居ようと居まいと己と比べることなく
真摯に受け止め、落込むことなく、
自らが信じた道を一歩ずつ歩んで
行くしかないと体験からも受止ます。
そして、
他人になんと言われようが正しいと
信じた道を愚直に進むしかありません。
喩え、いかなる状況にあろうとも、
自分に見合う心の軸(信念)を持ち
腹を確りと据え、自分に与えられた
「今現在」の道を一生懸命(一所懸命)に
前を向き生き抜いて行くしかありません。
自分に合わせて生き抜いて行く上で
大切な4本の柱(下図)とそれを繋ぐ
梁の力を確りと理化し把握することです。
梁とは、対人関係構築に必要とされる
信頼、安心感、誠実さ、義務、マナー、
優しさ、会話力、モラル、利他の心など
と言うコミュニケーション力を言います。
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