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インガ [scene004_10]

作戦が始まるとき、それなりのイレギュラーは覚悟していた。
しかし、これは想定外にも程があった。

「どうしました?もしかして、私に用があるのではと思い、ここでお待ちしていたのですが」

クスクスと笑いながらそう言う吉川警務部長を、ハナヤシキ先輩が睨みつける。

「…ええ、手間が省けたというものですな。貴殿には聞きたいことが———」

「ああ、その話し合いには、ぜひ私の部下も同席させて頂けますか」

と、吉川が右手を挙げると同時に、室内と通路それぞれにアドワークスの警務部員が集結した。
その数、およそ10名。

しまった、完全に囲まれた。

無数の銃口がこちらを向いている。多勢に無勢とはこのことだ。俺もワタナベもアサルトライフルを構えて応戦の構えを取ったが、その状況を無傷で突破できそうには思えなかった。

交戦か、服従か?撤退か、作戦続行か?指示を仰ごうとハナヤシキ先輩を見る。

「ハナヤシキさん、ここは穏便に済ませたいですね」

吉川の言葉に、先輩はため息をついて

「ふたりとも、銃を下ろせ」

…状況を考えれば、そうするしかない。俺とワタナベは舌打ちして、構えた銃の照準を吉川から外した。

「助かります。ああ、恐ろしかった…銃を向けられるというのは、本当に気分が悪いものですね」

どの口がほざくのかと怒りが沸いたが、身動きが取れない以上、何も言い返せはしない。

「で?聞きたいことがあると仰っていましたが、私は何を話せばいいのでしょうか」

嘗めたクチとは、このときの吉川の物言いだ。それは、自身が圧倒的優位にあると確信した者の口振り。
おそらくは、俺たちを挑発する意図もあったろう。
それに乗ってやるわけにもいかないこちらは、反撃のチャンスを窺って待つしかない。

「…怖いですね」

「?」

ジトリとした目つきで、吉川が俺の顔を覗き込んでくる。

「今すぐにも、私を撃ち殺したくて仕方ない…そんな目をしていらっしゃる。蛮族に堕ちた今の都民らと同じ目だ。
この方は確か…ヒバカリさん、でしたね?」

と、ハナヤシキ先輩に視線を移す吉川。
一瞬の間があり、先輩は「そうだ」と頷いた。

「ああ、間違っていなくて良かった。恥ずかしながら、印象に残らない方の名前を覚えるのが苦手でして。
…で、ハナヤシキさん。貴方は躾のなっていない部下に、どのように礼儀を教え込む方針ですか」

「…何が言いたい」

クスクスと笑いながら、吉川がハナヤシキ先輩のガンホルダーに手を伸ばし、拳銃を取り上げた。そして、その銃身を持ってグリップの方を先輩に押し付ける。

「私は何も言っていませんよ。ただ、貴方がどのように落とし前をつけるのか、気になっていまして」

カッとなったワタナベが咄嗟に銃を構え、アドワークス警務部員達の銃口が彼を捕らえた。
同時に、ハナヤシキ先輩が右手でワタナベを制する。

「…吉川殿、穏便に済ませたいと言ったのは貴殿だ。そもそも、私の部下は何も咎めるような真似はしていない。
この強引な訪問について責任を問うなら、相手は私だけで十分だろう」

毅然とした態度でそう言い放つ先輩を見て、今度は吉川が舌打ちした。

「つまらん人だ。…で、その訪問の目的は何です?ああ、察しはついていますよ。しかし直接聞いておかないと、始末書を書くときに不便でしてね。
確保してから調書を取るというのも、手続きが増えて面倒ですし」

その台詞に、ハナヤシキ先輩が小馬鹿にするように鼻を鳴らした。

「貴殿が始末書を用意すべきは、本件についてではなかろう」

「…ああ、立場というものが判っていらっしゃらないようで。あなた方は今、我々の所有地に不法侵入した犯罪者なのですよ。
何でしたら、ここで私が射殺命令を出したとして、咎める者など誰も居ない。
…まあ、始末書の厚みが増してしまうデメリットはありますがね。
だから、口の利き方にはご注意召された方がいい」

安っぽい脅し文句ではあったが、あの状況では嫌に真実味を帯びていて、俺とワタナベに緊張が走った。
しかし、ハナヤシキ先輩は余裕たっぷりと言った様子で、

「何を戯言を。我々に手を出させて正当防衛を成立させたい、というのが本心だろうに。
貴殿こそ、口を慎んだ方がよい。尋問の際、我々に少しでも優しく接して欲しければな」

「尋問?つくづく立場を理解できないお方だ。この戦力差が見えませんかね?まさか、ここから逆転できるとでも?」

兵力を誇示するかのように両腕を広げ、高笑いする吉川。対する先輩は嘲笑の笑みを浮かべ、勝ち誇ったように振る舞う奴に向かってこう言い放った。

「その“まさか”ですよ、吉川殿。おしゃべりが過ぎたようですな、時間は十分に稼がせて頂いた」

「———え?」

と、ハナヤシキ先輩が「伏せろ」とハンドシグナルを寄越し、俺たちは瞬時に姿勢を低くする。
次の瞬間、地面に数個の缶が転がってきて、凄まじい勢いでガスを噴出し始めた。
ガスグレネードだ。

同時に投げ込まれたガスマスクを先輩が回収し、俺とワタナベに押し付ける。
正しく装着する暇は無かったが、顔面に押し付けるだけで効果はあった。

突然の煙幕に視界を奪われたアドワークスの警務部員達は、咳き込みながら混乱を起こしている。
そんなパニックの中、「おぐっ!」という吉川らしき呻き声が聞こえた。

「ムーブ!」

ハナヤシキ先輩の鋭い指示が飛ぶ。俺とワタナベは顔面のマスクを抑えながら、悶え苦しむアドワークス警務部員達を蹴り飛ばして包囲を突破した。

「こちらです!早く!」

廊下の奥で、応援に駆けつけた味方が手招きしている。セキュリティシステムを陥落した後に合流するはずだったメンバーだ。

どうやら、先輩の言った「時間稼ぎ」とは、彼らが12階に到着するまでの時間のことだったらしい。

「ファイア!」

援軍と合流するや否や、先輩が攻撃指示を出す。
そして財善側の一斉射撃が、混乱から立ち直れていないアドワークスの警務部員達を蹂躙した。

「目標は確保した。撤退するぞ!」

そう言う先輩に目をやると、その肩にはぐったりとした吉川が担がれていた。
混乱に乗じて、奴の腹に拳を叩き込み気絶させたらしい。

場合じゃないとは思うが、瞬時の判断でそんな真似が出来ることに、新人だった俺は目を丸くした。

「証拠の方は!?」

呆気に取られている俺を他所に、ワタナベが確認すべきことを訊いた。

「この男の口を破らせれば済む話だ。必要とあらば、新川に探らせる。とにかく今は、ホットゾーン(敵地)を抜けることが優先だ」

その答えに、俺たちは非常階段に飛び込んで階下に向けて駆け出した。

途中、ビル内に残っていたアドワークスの兵が小銃を構えて飛び出してきたが、その度にこちらの銃弾が道を切り開く。

「ヒバカリ、モブで敵の数を確認しろ」

そう言われてモブを開いたが、そこに敵影はひとつも無く、俺たちのピンマークも表示されていなかった。

「隊長、様子が変だ!マップデータが全く更新されない!」

「なに?新川、どうなっている!」

『それが変なんだ…さっきからモスが全然データを寄越さない!誰かに踏み潰されたのか…?』

一瞬、嫌な予感が脳裏をよぎる。しかし、違和感の正体と原因を探っている場合じゃなかった。

「全隊、あらゆる障害を排除して進め!」

ハナヤシキ先輩の一声で、俺は自らの生存本能に身を委ねた。

危機察知能力と引き金にかけた指を直結させ、目の前に敵が現れると同時に引き絞る。
途中の階を過ぎるとき、防火扉を開けて真横から飛び出してきた警務部員には、迷うことなくコンバットナイフを突き立てた。

…そうだ。このとき、俺は生まれて初めて人を殺したんだ。

罪悪感は…無かった。それどころじゃあ、なかった。

ひたすら、生き残るための行動に徹した。

あの場に正解なんてものは無かったが、自らの行いの是非を問うのは後にしよう。
そう決めて、俺は銃殺と刺殺を繰り返した。

気付くと、俺たちは1階の防災センターに戻っていた。
不意に足元を見ると、潜入時に脅した警務部員達が泡を吹いて倒れている。
どうやら、残してきた2名が俺たちの応援に駆けつける際、咄嗟に締め落としたらしい。

「正面に移送車を待たせています。行きましょう」

応援に来たひとりがそう言って、俺たちは正面玄関からビルを脱出した。

全員が乗り込むのを待って、先輩が「出せ!」と叫ぶ。
同時に、運転手がアクセルをベタ踏みして、移送車が急発進した。

生き残った警務部員がビルから出てきたのか、車の後部に鉛玉が当たる金属音がする。
しかし、それもすぐに鳴り止んで、俺たちはアドワークスの敷地を無事に抜けることができた。

だが———

「隊長、やっぱりおかしい。タカハシと連絡がつきません…ヤマト君とも」

焦った声で、ワタナベが言った。
そう、懸念事項が残っている。マップに索敵データが反映されなかった問題、その原因追及がまだだったんだ。

「なに?」

吉川を結束バンドで拘束しながら、先輩がワタナベを見返す。
立ち上がってワタナベに近づき、その手許を覗き込んでモブの画面を見ながら、

「一般回線を使ってみたか」

「はい、どんな方法で何度通信しても応答がありません。たぶん、マップにデータが表示されなかったのは機械トラブルじゃない…あいつに何かあったんだ」

と、社内に気味の悪い笑い声が響いた。
声の主は、片隅で拘束されている吉川だ。意識が戻ったらしい。

「まったく、とんでもない真似をする人達だ。うう…痛い、痛いじゃないか…クソッ。腹をこんなに強く殴るなんて…うぐぅ、吐き気がする…野蛮な人達だ」

ハナヤシキ先輩が振り返り、

「吉川殿、手荒な真似をしたが…謝るつもりはない。貴殿には、これから我が社で聴取を受けてもらう。
今回の支援要請、御社が何を企んでいたのか洗いざらい———」

先輩の言葉を遮るように、吉川がまた笑い声をあげる。

「“我が社で聴取”ですか。出来ますかね?そんなこと」

「…どういう意味だ」

挑発的な姿勢を崩さない吉川に、先輩が訝しむような顔つきになった。
と、そのとき———

「隊長!タカハシが……タカハシのバイタルサインが、消えた…!」

ワタナベが、絶望的な叫びをあげた。

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