見出し画像

インガ [scene004_05]

明朝5時、まだ空が白み始めて間もない頃、俺たちは会議室に集められた。
ブリーフィング、つまり任務の簡単な事前説明のためだ。

室内に入ると、ホワイトボードを背に立つ吉川警務部長の他、アドワークス側の部隊員数名が席に着いている。その中には、前日に俺たちが救出した小隊長殿…青山フカクの姿もあった。

「お疲れさまです。では、ブリーフィングを開始したいと思います。本日は財善の皆様がご協力くださるので、まずは挨拶を…」

警務部長殿に促され、アドワークスの面々が自己紹介を始めた。名前と役割だけの簡潔なものだったが、戦場ではそれだけあれば十分だ。
4名の自己紹介が終わり、最後に青山殿の番が回ってきた。

「斥候役を務める、青山フカクです。昨日はお手を煩わせてしまい、申し訳ございませんでした」

「斥候ですか。失礼ですが吉川殿、彼は後方支援に回っていただいた方がよろしいのでは?
たった一晩で、昨日の疲れと傷が癒えるとは思えん」

青山殿の台詞を受けて、ハナヤシキ先輩が警務部長殿に意見した。
この場でそう言ったということは、配置については先輩も聞かされてなかったのだろう。

「ああ、ご心配には及びません。カウンセラーによるメンタルケアは万全ですし、なにより当社が開発したナノマシンセラピーで精神状態は常にニュートラルを維持できています。
何ならカルテを開示しましょうか?心身共に問題無いことにご納得いただけるかと」

カウンセラーが何をしたのかは知らんが、どうやらナノマシンセラピーとやらに秘密がありそうだった。
聞き慣れない言葉だったので、

「ナノマシンセラピーってのは、いったいどんな魔法ですか?後学のためにご教示いただけると嬉しいのですが」

と、手を挙げて質問してみた。すると警務部長殿は困った様な笑みを浮かべて、

「ああすみません、社内秘ゆえ詳しくは説明できないのですが…簡単に言えば、精神状態を整える合法薬物です。
もっとも、法律なんてモノが拘束力を持たなくなって久しいこの時勢、合法なんて言葉に意味はありませんが。
聞こえは悪いでしょうが、安全な代物ですよ。当社の警務部員は、皆それを服用しています。…まあ、あなた方に支援要請しなくてはならない程度には人材不足でして、セラピーで回復可能な精神的外傷なら欠勤理由にならないというのも正直なところです」

後からハルに説明してもらったことだが、要するに脳内物質の分泌量をコントロールして、業務遂行に必要な精神状態の最適化を行うシステムらしい。
俺たちもアドレナリンやらエンドルフィンやらを調合したシリンジを携行させられていたから、セラピーそのものにさほど嫌悪感はなかった。極限状態においては、時に強制的かつ機械的な精神統一も必要になる。

とはいえ、斥候役でなくても良いだろうとは思った。斥候とはつまり、本隊が踏み入る前に現場の情報を収集・整理する役回り。いわば切込隊長だ。
うちのタカハシがそうしているように、ドローンを使った遠隔調査が主ではあるものの、小隊から離れて単独行動を余儀なくされるケースも珍しくない。
何より、斥候役の収集する情報に誤りがあれば、作戦そのものが瓦解しかねん。
そんなポジションを、薬物でケアしなくてはいけない精神状態にあった人間に任せるというのは、やはり違和感のある采配だ。
実際、前日の青山殿はナノマシンの精神制御が機能せず取り乱していたしね。

「皆さん、ご心配はもっともかと思います。しかし、これは私自身が志願した役割です。
昨日の事があったからこそ、私はこの役割を全うしたい。
それに、今日の現場は私の地元なのです。土地勘がある私が斥候を務めるのは、作戦成功率を鑑みても適切だという判断になりまして」

起立して滔々と話し出した青山殿に目をやって、ぞっとした。
その語り口調や姿勢、表情…立ち居振る舞いの全てが、異様に自然だったんだ。不自然な自然、とでも言おうか。
少なくとも、突然の襲撃と拉致を経験した直後の人間とは思えなかった。
それこそが、吉川警務部長が言うナノマシンセラピーの成せる業、というやつだったのだろう。

薄気味悪い平常心を被った彼の内心は、実のところ如何なる傷も無かったことには出来ておらず、蓋を開ければあっという間に致死量の出血を見せていたかもしれない。
今となっては知る由もないが、何にせよ青山殿が作戦に参加することは覆りそうになかった。

「…承知した。吉川殿、話の腰を折ってすまなかった。我々も、自己紹介をさせていただこう」

ハナヤシキ先輩が諦めたようにそう言って、俺たちも名前と役割のみの簡単な自己紹介を済ませた。不在だったワタナベのことは、ハナヤシキ先輩が簡単に説明した。

「さて、双方の顔合わせが済んだところで、本日の作戦概要について共有いたします。
まずは目的ですが、中野エリアのライフライン奪還。電気とガスについては確保できているものの、水道局の営業所が暴徒により占拠されてダウンしています。
営業所の制圧および水道の復旧が、我々の目標となります。
中野エリアには当社の従業員も多数居を構えていますが、暴徒による破壊行動とライフラインの停止により生活がままならなくなっている…。
この作戦を皮切りに、中野区の生活復興を開始させましょう」

という吉川警務部長の前置きから、ブリーフィングは本題に入っていった。

水道局営業所へのルート、所内における細かな奪還作戦、各担当の配置と動き。
共有される作戦そのものに、大きな違和感は無い。それでも、やはり腑に落ちた感覚も無かった。

「———以上が、作戦概要のすり合わせとなります。ご質問がある方はいらっしゃいますか?」

警務部長殿の締め括りに、アドワークス側の数名が「ありません」と呟くように言った。こちら側にも、手を挙げる者はいない。
疑問が無いわけではない。聞いても心の靄が晴れる気がしなかったんだ。

しかしあの場において、俺たちは外様に他ならず、依頼された任務を全うすることに集中すべき。それも確かなこと。

少なくとも、違和感の正体を突き止めるのは仕事を終えてからで良い。そう、自分を納得させるしかない。
俺とタカハシはハナヤシキ先輩に目をやり、あの人が小さく頷いたのを確認して、そう思うことにした。

ブリーフィングが終わってから、俺たちはアドワークスの小隊と一緒にビルを出て、作戦で定められたルート通りに水道局営業所を目指した。
アドワークスの小隊と俺たちとでは、別々のルートを行くことになったがな。営業所への突入経路を分散させていたのと、大所帯で行動しては敵方に動きを悟られるリスクがあったからだ。
その道中、タカハシが気になっていたことを先輩に訊ねた。

「ヤシキさん、ワタべぇはいつ戻ってきますか?」

「ふむ、具体的なタイミングは本部からの連絡待ちだな。
子供らを豊田に招く手筈は整ったが、流石に一晩で移送隊の編成と出立までは終わらなかったのでね。ワタナベは、移送隊への引き渡しまで見届けてからの帰還となる。
奴には手間をかけるが、我々は我々でアドワークスの支援を全うせねばならん。
なに、遅くとも明日には帰ってくるだろう。それまでは些か寂しい気もするが、仕方あるまい」

あの人にしては茶目っ気のある言い方をしたので、俺たちは思わず吹き出した。
もちろん意図的な茶目っ気さ。俺たちがもやついてるのがわかって、話し易い空気を作ってくれたんだ。

「ついでに質問させてくれよ。ヤシキさん、あんたはアドワークスの連中を信用しているか?
俺とヒバカリはNOだぜ。目線合わせのブリーフィングであんな話をされて、まだ俺たちは任務だからと割り切らなきゃいけないのかい」

タカハシの言う通り、俺も納得感というやつを手に入れられていなかった。警務部長殿の発言内容が、前日に邂逅した少年らの主張と食い違って聞こえたからだ。

ヤマト少年によれば、中野の生活を破壊したのは他でもないアドワークス。彼がそう表現するからには、中野エリアの制圧そのものは既に完了していると思っていた。

しかし実際には、ライフラインすらまともに機能させられておらず、要所を暴徒に奪われていると来た。

何か裏がある。

それが邪推の域を出ているかどうかは判別できていなかったが、とにかく俺たちはアドワークスに対して不信感を募らせていた。

「そうだな、本心を話そう。私も吉川殿の説明には納得していない。
昨日の件も含めて、彼らの言い分には通っているべき筋を感じない。
だが、任務に対しては真摯に取り組むべきであると考えている。これも本心だ」

「何故だ?俺にはあんたに従う覚悟ならあるが、当のあんたが納得できない仕事にゃ真剣になれねーぜ」

「この任務が、都民に必要だからだ」

水道局営業所に向かう足を止めないまま、先輩が断言する。

「ヤマト少年とアドワークス、どちらの言い分が正しいか———あるいは両者とも間違っているのか。いずれにせよ、暴徒化した都民の行いでこのエリアにおけるライフラインが停止している事実は変わらん。
そして、経緯がどうあれアドワークスは中野・新宿エリアの自治権を獲得するだろう。遅かれ早かれ、な。
であれば、ここに住まう人々の生活をできるだけ早く安定させるには、アドワークスの統治に必要な材料を揃えてしまう方がよい。
都民暴動を収めるという結果に向けての最短は、我々がここで彼らに助力することなのだよ」

前日の夜、ハナヤシキ先輩は「対局を見れば解法が見える」と言った。
気持ちの良くない過程であっても、それが望ましい結果に繋がっているなら、その道を進むべきなのだ。
先輩が言ったのは、要するにそういう話だった。

それから、俺とタカハシが不満を漏らすことはなかった。
アドワークスの言葉ではなく、任務を信じることにしたからだ。

やがて目標地点…水道局中野営業所に辿り着いた俺たちは、事前に取り決めたポイントに身を潜めてアドワークスの小隊長———青山殿とは違う人間だがな———に連絡した。
すでに彼らもポイントに到着していて、作戦は計画通り進行していた。

「タカハシ」

ハナヤシキ先輩の合図で、タカハシが偵察用ドローンを放つ。

警務用にカスタマイズされた高級品とはいえ、至近距離ではそれなりに羽音が目立つ代物。こいつで建物の中を覗き見すれば、否が応にも暴徒に気づかれてしまう。
そんなわけで、ドローンでの斥候は上空からの赤外線スコープを使った遠写にとどめるしかなかった。

罠の類を確認することは出来なかったが、敷地内のどこに何名の敵が居るのかは把握できた。不確定要素を多分に残す情報だが、完全な出たとこ勝負を仕掛ける羽目になるよりは良い。

その情報をモブでアドワークス側に共有し、戦術レベルの細かな打ち合わせをしてから、俺たちは予定通り作戦を開始した。

「コンタクト!…クリア、ムーブ!」

目端の効くタカハシが先行して、巡回する暴徒の目を掻い潜りながら建物内に侵入する。寄せ集めの暴徒に赤外線センサーなどのハイテク機器は調達できなかったらしく、発見されないためには会敵を避けるだけで良かった。

裏手から入った俺たちは、所内の一室でアドワークス小隊と合流し、編成を改めることにした。

「ハナヤシキさん、そちら側には青山をお貸しします。手筈通り、我々が退路の確保を進めますので、管制室の確保を頼みます」

青山殿がうちの隊に同行するのは予定外だったが、ワタナベが抜けて戦力減となっていた俺たちとしては、断る理由も無かった。
もちろん、本当のチームメイトと同じレベルの連携は望むべくもない。しかし…言い方は悪いが、居ないよりは随分とマシだ。

「皆さん、あらためて昨日はありがとうございました。よろしくお願いします」

「気にしなさんな。仕事が終わってから1杯ごちそうしてくれたら、それでチャラさ。そんときゃ、ワタナベも一緒にな。
さあ、サクっと済ませちまおうぜ」

と、タカハシが青山殿の肩を叩いた。
ああいうとき、あいつの軽口はありがたかったよ。アイスブレイクをしてる余裕はなかったが、その一言で多少なりとも仕事がしやすくなった。

「皆さん、私が先行します。実は、私はアドワークスに入る前にここの警備を務めてまして。建物の構造は熟知しています」

「ふむ、頼もしい限りですな。宜しく頼みます」

青山殿の申し出に先輩が頷き、俺たちはアドワークス側と別れて行動に移った。

建物の構造を熟知しているという言葉通り、彼はスムーズに俺たちを管制室まで導いてくれて、事は順調に進められた。

「新川、管制室に到着した。モブをコントロールパネルに接続する。後は頼んだぞ」

『アイサー、少々お待ちを。…よし、アドワークスのシステムと接続できました。これでいつでも遠隔制御できるようになりましたよ』

ハルの早業に先輩が頷き、俺たちは即座に営業所からの脱出を始めることにした。もちろん、青山殿の先導でな。

しかし管制室から一歩踏み出したとき、アドワークスの小隊長から緊急通信が入ったんだ。

———ズールー1、応答願う!こちらアルファ1、現在ロビー前…まずいことになった!

青山殿の顔が、青ざめた。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?