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小川颯大 ユーフォニアム&フリコルノバッソ リサイタル(2025.02.05 日暮里サニーホールコンサートサロン)
プログラム
第1部(フリコルノバッソで演奏)
ボンバルディーノのための協奏曲(G. Grandi)
無伴奏フルートパルティータBWV1013よりIII.サラバンド、IV.ブレー・アングレーズ(J.S.バッハ)
ファンタジー(J.N. Hummel)
帰れソレントへ(E.De Curtis)
フリコルノバッソのための協奏曲(A. Ponchielli)
第2部(ユーフォニアムで演奏)
チューバまたはサクソルンのためのソナチネ(J. Castérède)
サクソルニア(J. Selmer-Collery)
マドリガル(E. Granados)
ユーフォニアム協奏曲(V. Cosma)
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この楽器がこの世にあるということは、きっと何かよいところがあるはずだ
フリコルノバッソ(Flicorno Basso)は、イタリアの金管楽器フリコルノ(Flicorno、フリューゲルホルンのイタリア語)ファミリーの一つで、ユーフォニアムとほぼ同じ太さの管を持つB管のバス音域の楽器。イタリアの軍楽隊や吹奏楽団で使われてきた。
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ロータリー式フリコルノバッソ
Rampone & Cazzani 製
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Borgani 製
このように、イタリアでは全フリコルノファミリーにロータリー式とピストン式があり、
いずれかに淘汰されることがなかった。この他、ドイツ語圏のような卵型や、
トランペット型のモデルも混在してる。
小川颯大氏は東京藝術大学の大学院にて、研究課題としてこのフリコルノバッソに取り組んでいたとのこと。どんな切っ掛けでフリコルノバッソに心が惹きつけられたのかはわからないが、イタリアから楽器を取り寄せてみると、大変に吹きづらく、ピッチが悪かったものの、「この楽器がこの世にあるということは、きっと何かよいところがあるはずだ」と思って取り組んできたと、リサイタルで話していた。
全曲フリコルノバッソで演奏された第1部
1曲目の題名にあるボンバルディーノ(Bombardino)とは、これもイタリアやスペインで使われてきたユーフォニアムと同様の金管楽器の一つ。テューバの源流の一つであるウィーンのボンバルドン(Bombardon、F管またはEs管)の「小さいもの」という意味。1861年のイタリア王国建国の前に、領土の一部を所有していたオーストリア、ウィーンの管楽器製造技術と共に、ユーフォニアムと同じ長さのB管のバスフリューゲルホルン(Bassflügelhorn、管が細め)とオイフォニオン(Euphonion、管が太め)も入ってきて、それぞれフリコルノバッソ(バスフリューゲルホルンのイタリア語訳)とボンバルディーノと呼ばれるようになったと考えられる。これは、19世紀後半頃の話。
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オイフォニオン(左)とバスフリューゲルホルン(右)
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イタリアでボンバルディーノ(左)とフリコルノバッソ(右)
と呼ばれるようになったと考えられる。
(ボンバルディーノは、エディンバラ大学の所蔵品画像より引用)
20世紀になり、やがては世界大戦をもたらすことになったヨーロッパ列強の軍隊の増強は、軍楽隊の大編成化をももたらした。イタリアではユーフォニアムと同じ長さのフリコルノバッソとボンバルディーノが、さらに分化して新たに3つの楽器になった。
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上記画像の後列左から、
フリコルノテノーレ(Flicorno Tenore) 従来のフリコルノバッソよりも管が極端に細い
フリコルノバリトーノ(Flicorno Baritono) 従来のフリコルノバッソよりも管が太い、あるいはボンバルディーノと同様の管の太さ
フリコルノバッソ(Flicorno Basso) 従来のフリコルノバッソどころか、ボンバルディーノよりも太い。小川氏が演奏したのはこれ。
である。なお、前列にあるのは、Es管のフリコルノコントラルト(Flicorno Contralto)。フリコルノテノーレはコントラルトと同じ管の太さとベルの大きさのB管で、マウスパイプのレシーバーシャンクまでコントラルトと同じ。
このため、ややこしいことに、フリコルノバッソは時代によって管の太さの著しく異なる楽器になってしまったと考えられるのである。リサイタルで小川氏が演奏したのは、テノーレ、バリトーノ、バッソに分化した後の太い管のフリコルノバッソである。19世紀後半のものよりも管が太いだけでなく、巨大なベルを備えている。この大きさは画像では判り難いが、実物を見るとかなりインパクトがある。*1
時代を考証するなら、1曲目のグランディのボンバルディーノと、5曲目のポンキエッリのフリコルノバッソは、共に19世紀後半の作品であるので、それぞれウィーンのオイフォニオンとバスフリューゲルホルンと同様の楽器が想定されていたであろうと考えられる。
それはそうだとしても、小川氏は後の時代のポピュラーなフリコルノバッソに取り組んで、この楽器の発達の源流となったイタリアの作品を演奏するという、日本では前代未聞の演奏会を開催したことに間違いはない。時代考証を含めた取り組みは、また今後氏の長い演奏家生活の中で探求し、披露していけばよいことだと思うのである。
そう感じさせたのは、ひとえにフリコルノバッソの素晴らしい特性を私たち聴衆に伝えてくれた、氏の見事な演奏によってであった。*2
フリコルノバッソとユーフォニアムの演奏を比較して
まずフリコルノバッソの輪郭のはっきりしたやや明るめの音色が、それぞれの楽曲において伸び伸びとしたフレージングで響き渡ったことに驚いた。また、速いフレーズにおける細かい音符の一つ一つが明確に聞こえ、曲のフレーズとテンポが自然に、そして説得力を持ってこちらに届いてきた。
一方のユーフォニアムは、一つ一つの音に深みを持った豊かな響きであり、こちらに直に届くというよりは、ホール自体が鈍く温かく響くような感じであった。それによるフレーズはまた、フリコルノバッソとは異なる独特の雰囲気を造り出しているように感じた。
これはユーフォニアムが金管楽器としては特殊な楽器であることを証しているようにも感じられた。一般受けするのは、ダイレクトに届いてくるように感じるフリコルノバッソの方ではないかと思われる。
無論これは優劣を決定づけるようなものではなく、同じ長さで同じような太さでありながら、楽器の個性が異なって感じられたということを説明しているに過ぎない。
小川氏の演奏でよくよく感じられたのは、どちらの楽器に関しても、その楽器には独特の響きの「腰」というものがあって、氏はそれをしっかりと捉えて、存分に活かした表現をしているということだ。
ともすれば、楽器は持ち替えてみたが、ユーフォニアムとあまり違わない、というケースも往々にしてあるものだ。それは、思いを外国語で表現しようとして外国語を使っても、直訳しただけでニュアンスが日本語のままである場合に似ている。
小川氏の演奏からは、そういうものを感じなかった。「この楽器にこのような響きの腰があるなら、このフレーズはこうしたい」と、しっかりと楽器と楽譜とに向かい合い、何度も何度も取り組んで来て、これだという表現をしたのではないか。
聴く側からすれば、これが楽しくないわけがない。奏者が工夫しているのか、楽器がそうしているのか、作曲家がそうし向けているのかを別たずに、創り出された世界を楽しめる。そして楽器を変えることでまた別の世界が創り出されているのが目の前で繰り広げられているのであるから、これは楽器について詳しい知識がない者でも、十分に楽しめるステージだと感じた。
リサイタル中に小川氏の言っていた、「この楽器がこの世にあるということは、きっと何かよいところがあるはずだ」という心がなければ、このようなことは出来なかったであろうと思うのである。
これは、私たちが平素やるように、ネガティヴな所に困難を感じて「でもまぁきっと何かいいところもあるだろう」と精神的にバランスを取ろうとしているということではなかろう。「この世に生まれてくるものは、人が必要としたものだ。この世で使われてきたものは、人が必要としてきたものだ」という小川氏なりの世界観、人生観に基づいているものではないか。だからこそ「きっと何かよいところがあるはずだ」と思って、困難にめげずに探求が続けられたのだろう。恐らくそれは、氏が他人に対しても抱いている信条なのではないだろうか。
氏の姿勢を示す、心に残る言葉であった。
日本の奏者が世界に発信する未来
一昨年2023年にアメリカのアリゾナで開催された国際テューバ・ユーフォニアム協会創立50周年記念の世界大会におけるコンテストで、ユーフォニアムのファイナリストは全員が日本人であった。レコーディング部門は日本人が優勝した。作曲部門も日本人のファイナリストがいた。審査員にも日本人がいた。日本人の指導者が功績を表彰された。日本人がコンサートを開催した。
これは、日本人は世界のユーフォニアムの最先端を進んでおり、これからの未来を切り開いていくのに欠かせない存在となっていることを示しているのだと思う。
それぞれの国や地域の楽器について、各国各地の奏者がローカリティーを活かした演奏活動と研究活動を進めて、それを世界的に披露し合える場や機会を作ること、相互理解に基づいた今後の展開を望むには、それが最も近道のようにも思う。フランスのサクソルンバスによるアンサンブル Opus333 や、ドイツのテノールホルン、バリトン奏者アレクサンダー・ブルツ氏(Alexander Wurz)によるブラスムジークなど、ローカルな楽器で素晴らしい活躍をしている奏者達がいるものの、世界各地の奏者を一つに集約するカンファレンスは、言葉の問題や、文化・人種の問題、それを束ねる機関がないなどということもあって、なかなか開催が困難なものであろう。
それであれば、世界を束ねる組織の成立を期待するのではなく、日本人が日本や世界の各地に赴いて、世界を表現していってはどうだろうか。元々西洋音楽を文化の根としては持っておらず、明治以降の百五十年ほどの間に西洋各地の音楽を吸収して、ここまでにしてきた日本人こそ、各国各地のローカリティーに毒せられることなくそれを採り入れ、むしろ冷静な目と持ち前の勤勉さによってバイフォーカルなアプローチを世界に向けて発信出来る素質を持っているとは言えないだろうか。そして僭越ながら、その実力や影響力からしても、今がそれに取りかかる絶好の機会なのではないかと思うのである。
今回の小川颯大氏の演奏を、ぜひ世界各国各地の人々にも聴いていただきたい。それは他の国々の先人達が取りかかれなかった、日本人による新しい大きな仕事だと思うのである。
そんなことまで思わせる小川颯大氏のリサイタルを聴くことが出来て、生きていてよかったと嬉しく思った次第であった。
付言 *1
テノーレ、バリトーノ、バッソに分化したフリコルノのベルは、楽器本体に比べて不釣り合いなほど大きい。これはバリトーノ、バッソ、バッソ・グラーヴェ(FまたはEs管)、コントラバッソ(B管)で見られる、フリコルノの特徴である。しかし、何故にこんなに大きいのか。それには必ず理由があるはずだと、予てから疑問であった。リサイタルにて小川氏がフリコルノバッソを演奏する姿を見て、その理由を直感するところがあった。やはり「百聞は一見に如かず」である。恐らく間違いないと直感しているが、その裏付けを取らなくては、断言は出来ない。
付言 *2
小川氏は、第1部でフリコルノバッソ自体の説明を失念し、恐縮していた。第2部で説明していたが、氏のあの演奏であれば、言葉でクドクド説明しなくても聴衆は感じ入るところがあったであろうし、後から説明を聴いて、なるほどと思ったことであろうと思う。それも、成立や用法などがちゃんと頭に入っていた上で説明を忘れていただけである。その説明からして、心得ているところから観客に伝えるべき大事なところだけを選んで、平易になされていることを感じたので、十分リバウンドは取れていたのではないかと思う。
そういうことを知ろうともしない者が、聞きかじりや付け焼き刃、勝手な憶測で観客に間違いを流布してしまうことの方が大問題なのだ。それは楽器を上手に演奏出来るプロだからこそ、大問題となるのである。