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【昭和】懐かしの「全日本プロレス」

有料記事の欄に「スタン・ハンセン」の文字。
懐かしー。
小学生の姉と私は、当時大人気だった、ジャイアント馬場率いる「全日本プロレス」にはまった。試合は毎週テレビで放映もされていたので、二人でテレビの前に座り込んで大いに盛り上がった。我々の推しはアメリカはテキサス出身のテリー・ファンク。「テキサスの荒馬」というニックネームで親しまれた選手。彼は個人での活躍はもとより、実兄のドリー・ファンクJr.とのタッグでも大いに観客を沸かせた。

その頃の全日本プロレスには、ジャイアント馬場、ジャンボ鶴田、天龍源一郎といった日本人レスラーと、私が恋したテリー・ファンクをはじめとする海外レスラーも大勢参加し、日本中がプロレス旋風に湧き上がっていた。

海外選手はファンク兄弟や入場テーマ曲の『スカイハイ』が会場に響き渡る中颯爽と現れる、メキシコ出身の仮面レスラー、ミル・マスカラスも高い人気を誇った。彼等のようなベビーフェイス(善玉レスラー)とは対照的に、憎らしいほどの荒々しさで会場を沸かせたヒール(悪玉レスラー)の海外選手も大いに試合を盛り上げた。

当時のヒールで特に印象に残っているのは、

-スタン・ハンセン
-ブルーザー・ブロディ―
-タイガー・ジェット・シン

以上の3人。

ハンセンはテキサス州出身のレスラーらしく、カウボーイの出で立ちでリングに現れた。彼の必殺技「ウェスタンラリアット」がさく裂するのを、楽しみにするファンも多かったことだろう。ヒールでありながら、ハンセンは多くのファンの心を掴み、日本で最も成功した外国人レスラーの1人と称されている。

チェーンを片手に目をぎらつかせ、雄たけびを上げながら入場してくるというのが、ブロディ―のスタイルだった。不気味さを感じながらも、ファンは大いに盛り上がった。彼の入場曲『移民の歌』は、そんな彼の登場を印象付けるのに一役買っていたことは間違いない。

アメリカとメキシコ出身の海外選手が主流だった全日本プロレスで、インド出身のシンは、異色だったと言えよう。「狂える虎」、「インドの狂虎」などと称されたシンは、ターバンを頭に巻いてフェンシングのサーベルを片手に登場する姿が一斉を風靡した。場外乱闘で凶器を持ち出して相手を傷めつけるシンの姿に、憤りを覚えたプロレスファンも少なくないだろう。

地元で行われた興行に何度も足を運んだことが、今となっては本当に懐かしい。一度、馬場がリング下で試合を観戦していた際に、ファンが群がり、私もその中に潜り込んだ。まだ小さかったのでどんどんどんどん前に押しやられて、とうとう馬場の真ん前に躍り出てしまった。すると馬場がゆっくり立ち上がって、私を手で優しく押した。優しく押されたはずなのに、私は勢いよく後ろに押しやられた。すると周りにいた人たちが「いいな~。」と言い出した。「馬場チョップをお見舞いされた子」と思われたらしい。あの時はわけがわからなかったが、今となっては、特別な思い出だ。


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