禁酒1日目│私は熱心な社会不適合者。アルコールは破滅の導き、時間の浪費、悪の結晶体であって救いの聖水なんかじゃない。
アルコールはクソなんですよ。
前提として、私は熱心な社会不適合者で、アルコールに依存した生活を送ってきていました。ひとつ飲酒と呼ぶ行為に触れようものなら、ブレーキは釈迦になって、あるだけのアルコールを摂り続けてしまう、社会不適の模範者を自称いたします。
健常者みなのいう飲酒とはちがいます。私のそれは、アルコールの濫用です。
アルコールはクソなんですよ。
なにが悪いかを語る上で気を付けなければならない点があります。
【〇〇中毒者】と揶揄されるべき人間にとって、シラフとは……あってはならない姿です。
シラフでいれば一瞬にして塵ゴミとなり、吹かれたら飛んで砂埃に混じって元の自分を見つけられなくなってしまうのです。自分を繋ぎとめる接着剤が必要なんですね。
木だって、リグニンという接着剤があって強靭たる身体を支えているわけですから、私たち人間は激しい感情の起伏を保つための何かがあっても良いのです。
たまたま、その何かが身体になんらかの悪影響を与えるとしましょう。冷静になって考えてみると、あなた私、人間が社会人間であるから悪となるものばかりでしょう。
社会に生きる上で弊害となる要素はいったん捨てましょう。なぜなら、何をとっても奴隷であることを拒む手段はすべて悪でしょうに。
あらゆる精神的な私を繋ぎ止め、私を集合体の一として保たせる接着剤たちをあげてみましょう。
シラフ=健康体、という常識を脱ぎ捨て、自身を解き放つことだけに焦点をあわせて、私とあなたは共に考えます。
アルコール、薬、自傷行為、タバコ、音楽、味覚、物体を押し込む食欲、性欲、ぽんとあがるものはこの辺でしょうか。
これらのうち、「あからさまに悪となるもの」がありますでしょう。
アルコール。
摂取した暁には、生産性を遅らせ、時として精神と肉体を分離させてしまい、自己の判断以外で勝手に肉体が動き回るようなこともあるのです。睡眠時遊行症型とかなんとか。
時には。アルコールによる荒誕不稽により、カオスから誕生した奇跡の三次元的文章構成が生産できる場合もございますが、それは私自身の手駒から乱数で引き出すギャンブルにすぎません。インプットとアウトプットを並列して行えないのは致命的であります。
薬ならなんとかなるのです。アルコールではなんとかなりはしません。覚醒なのか鎮静なのかも分からない滅茶苦茶なブツです。
アルコールの唯一の使い道としては、薬その他によって身体を限界にまで動かし切り、「ここらで一つ死んでみないと次は生きられないぞ」そんなときにウイスキーやテキーラといった香り豊かに刺激が直撃するものを、ブグブグと飲み干してやるといいんです。
右も、左も、上も下もなく、重力とか自然の理とか、自他の境界線、考えうるすべてがリセットされ、生物であることを忘れてしまうゼロを体感させてくれます。時間の感覚、疲労、心身に溜まった膿を排泄させてくれます。
アルコールは薬やドパミンによって身体がおさまらないときに、自分の心臓をキュっと〆るものです。だから、安易に手をだしてはダメなんです。
私が好きなシラフ回避の方法は、鎮静作用のある薬を舌下摂取(飲まなきゃいけないものはそのまま飲む)した後に、ポジティブな音楽にのせて耳のトンネルを突っ走るのです。重・高音域たちが織り成し、眼球と鼓膜の裏に魅せてくれる灯かりの膜をツン切ることです。