【昔ばなし⑦】ASDわたしの看護学生時代②
再び新1年生を迎えたわたしのクラスメイトは、派手な人が多かった
学校に何しに来ているのだろうかと思うくらい派手で目立ちたがり屋が多かった
髪の色は茶色、金髪の人もいた
香水の匂い、アクセサリー。。。
スマホも授業中に音が鳴ったりしていた
こりゃだめだ
この時点でわたしはこのクラスメイトとは合わないな、と感じた
向こうもそれを感じとってかあまりお互い関わらずに過ごした
しかし、また演習が曲者であった
演習で嫌でもクラスメイトと交わるので、やり難くて仕方なかった
演習のグループLINEからわたしひとり外れることなんてしょっちゅうだった
一階の廊下の踊り場に置かれている目安箱と言う名の告げ口箱は常に紙がいっぱいで入り切らない程になっていた
それでも前のクラスメイトの2年生はよく声をかけてくれた
それがあったからなんとか前期は乗り越られたかもしれない
そして、またもや演習中にも性格が出てくる
我が強い生徒が多かったので自己主張してくる厄介者が必ずひとりはいた
わたしはやり辛くてしょうがなかった
先生に平気で反論する生徒もいた
中にはおとなしい生徒もいたが、彼女らはずっとひとりだった
トイレ以外は席から立たないのである
真ん中がいない、両極端なクラスメイトに阻まれた気がして、この頃からパニックになったり、過呼吸になったりと症状が現れ始めた
演習中にも急に泣いたりした
恐らく今いる環境が合わずストレスの限界が来てしまったのだろう
わたしはNGワードを最後に残し、准看護学校を自主退学した
今思うと、中学高校もろくに通っていなかったわたしがよく1年半もほぼ毎日休まずに通えたなと思う
それ程深くて濃い看護学生時代だった
しかし、この経験は無駄では無かった
新しい『道しるべ』へと発展する
続きは次回