わたしにとっての「お笑い」
うちの父は、バラエティ番組やテレビドラマというものを総じて嫌っていた。
あんなもの馬鹿らしい、観てたら馬鹿になる、そういう考えの人。
テレビといえばNHKのニュース。大河ドラマ。日曜美術館。そのほか、親に「認められた」いくつかの番組。
小中学生って学校で話すことの何割かはテレビ番組のことだから、友達の会話についていけない寂しさを感じることも。
みんなが騒いでる芸能人のことがよく分からない疎外感もあった。
ま、そのおかげで、周りに理解されなくても自分の趣味を突っ走る!みたいな「コア」が出来上がったので、悪いことばかりではないと思う。
(わたしは社会人になってもドラマを観る習慣がついてなくて、だからVIVANやふてほどにハマったとき、周囲の人と「最新話観た!?」なんてやりとりが出来るのが新鮮に楽しかった。笑)
前置きが長くなったけど、そんなわけで、お笑い芸人についてもあまり知ってこなかった。
(あ、なぜかエンタの神様は父に認められていた。笑 たぶん父は、芸能人たちのバラエティ番組での振る舞いが嫌いで、純粋なコメディは嫌いじゃなかったようだ)
きっかけはコロナ禍。
緊急事態宣言中、外出もできず暇を持て余していたとき。色んなエンタテイナーがYouTubeを利用して発信してくれていた。タカラヅカや、歌舞伎界も。
そこで、お笑い芸人さんたちのチャンネルも見始める。
純粋なネタや、流行り曲のパロディ、ゲーム実況など。
なんとなく、それまでの私には、お笑い=派手な立ち居振る舞いで騒ぐもの みたいな偏見があった。
でも、お笑いも時代に合わせて変わっているもので。所謂「人を傷つけない笑い」の流れも生まれていたし。
そこで観たイロイロは、予想と違っていて。
四千頭身のメタ漫才的なもの、すゑひろがりずの和風漫才、ハナコのくすっと笑えるコント。
あ、お笑いって、日常の見方をちょっと変えるものなんだな?
そんな風に思った。
(とくにコロナ禍だったから)変えることのできない日常でも、少しの可笑しさ、ちょっとしたボタンの掛け違い、些細な違和感…それらを掛け合わせたら、とびっきり笑える物語が生まれる。どきどきするような緊張感あるシーンが、爆笑の前触れだったりする。
今、わりとどっぷりお笑いにハマっていて、月に何本かライブを観に行っている。
ステージの彼ら彼女らが生み出す「ちょっとした世界の掛け違い」が好きだ。
普通に暮らしていたら起こらないような、奇妙な展開。
何もない劇場に、生まれては消えていくたくさんの世界。
先日観たライブでは、カタギではない人間がスタバの面接を受けに行く…という漫才があった。
それから、「恋するフォーチュンクッキー」の歌詞が途中からあざらしについて歌い出すものになっているのもあった。
避難訓練に異常に本気で参加する学生のコントも面白かった。
人間の想像力って果てしないなと思う。いくつ物語を創っても、創り終わることはないのだと。
そして、それを誰かに見せたい!笑わせたい!みたいな心って、すごく人間らしいと感じる。
いつまででも創られるこの物語を観ていたいし、ただの社会人であるわたしだって、日常にちょっとしたユーモアを持って暮らしていきたい。
昔、どこのコミュニティでも「真面目」と評されていたわたしがそう思うんだから、お笑いの力ってすごい。
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