ガザ地区紛争 ―イスラエルと中東戦争ふたたび?―
はじめに
すでにこの問題をめぐる優れた分析記事が出ています(特に下記の英FT紙)。ここではこのFT記事以外の観点で分析することにします。
本論
1. 背景と概要
今回の問題の根本は、アメリカの対外政策の変化にあります。アメリカは中国への対抗を外交戦略の主軸に据えるとともに、みずらの国力の相対的低下に相応して従来よりも世界への関与を弱めてきているわけですが、バイデン政権になってからはトランプ時代から一変して、欧州との協調に転じた一方で、アフガニスタンからの撤収を手始めに、面倒なイスラム圏への関与の度合いが低下してきていました。そこへウクライナ戦争が勃発して、これに1年半以上かかりきりになります。そこに勃発した今回の事態でした。
パレスチナ側の犠牲者数については、近年でも今回を上回る2千人を超えたことがありましたが、イスラエル側の犠牲者数は実に1948年の建国この方となりました。イスラエルのネタニヤフ政権はガザ地区からの急襲を招いて建国以来となる被害を出したことで、現状での危機対応の挙国一致内閣の形成はいいとして、事態の終結後に国内から失政の批難を受けることは必至であり、少しでもハマス(ガザ地区を実効支配しているスンニ派組織)側に報復することで国内向けに成果を出さざるをえません。ガザへの地上侵攻、さらにはヒズボラ(イランからレバノンに入ったシーア派組織)の支援を受けたハマスを弱体化させて、ハマス以外による統治を実現するところまでやりたいはずです。
ガザとは、福岡市ほどの面積に、福岡市を3割方上回る2百万人超のパレスチナ人が居住している隔離された都市です。イスラエルの人口自体が9百数十万人に過ぎないので、面積にすれば狭いガザですが、その人口はイスラエルにとってはけっして少ないものとはいえません(この事実は軍事的な占領を続けることにイスラエル側が堪えうるかどうかと関係します)。
図2は英文ですので多少注釈しておくと、海岸には障害物が置かれて船舶が接近できないようになっていて、陸側は深さは不明ながら地下まで金属製の壁で包囲されています。壁の前後には監視塔が設置され、出入りには限られた検問所を通る必要があって、通常であればこれを乗り越えることは不可能です。くわえてイスラエル側には同国の誇る防空システム「アイアン・ドーム」があり、その守りは名のとおり鉄壁であるとされてきました(これについては補論で補足)。
今回の攻撃は、イスラエル側にとってユダヤ教の祭日である「ヨム・キプール」(贖罪の日)に行われており*1、同様に1973 年 10 月 6 日に仕掛けられた第 4 次中東戦争の50周年となる10月7日をあえて選んでいますので、イスラエル側の虚を突くとともに周到に計画されたものであることは疑いありません。
注※1 キリスト教よりも後発の宗教であるイスラム教は、そもそも安息日の曜日をキリスト教とずらすなどの配慮をしたうえで創始されており、彼らは我々が考える以上に宗教上のカレンダーに敏感です。
この間の2020年8月のイスラエルとUAE(アラブ首長国連邦)との国交樹立合意(翌9月にはバーレーンとも合意し、年内にはスーダン・モロッコとも同様に合意)、今年3月のサウジアラビアとイランとの外交関係正常化(両国は16年以来断交状態にあった)の合意という地域の和解の機運の中で、イスラエルとサウジアラビア間の国交樹立までもが展望されていました。パレスチナにとってもその中のハマスにとっても、パレスチナ問題が置き去りにされていることに対する危機感があり、世俗的なPLO(パレスチナ解放機構)に対して原理主義的なハマスは、再び中東戦争的な対立の状況となることを望んだということができます。そうなれば上記諸国を含むアラブ諸国はイスラエルと対決するという原則的な立場に戻らざるをえず、和平プロセスは当分頓挫せざるをえません。
なおサウジアラビアとイランとの和解は、イスラエルとUAE等との和平とは異なって、これまでのような双方にチャネルをもつアメリカの仲介によるものではなく、中国の仲介によるものであったことに注意が必要です。このできごとは中国外交にとって大きな得点であり、昨年12月に就任したばかりだった秦剛外相の大きな功績となったのですが、この秦氏が本年7月になってにわかに外相を解任されて失脚したことについては、現在の中国の内政上の混乱を示すものでいずれまた稿を改めて論じたいと思います。
2. 事態のゆくえ
さてハマス側の狙いは見事に当たり(当たりすぎて)、かつての中東戦争的な広がりは見られないにしても、少なくともイスラエルとパレスチナ側との関係は悪化し、周辺のアラブ諸国もイスラエルとの和平プロセスを進められる状況ではなくなりました。先述のようにイスラエルとサウジアラビアは国交正常化の目前まで漕ぎ着けていましたが、アラブの大義の立場から、アラブ世界の盟主をもって任じるサウジアラビアは動けなくなりました。
今後の事態の行き着くところは、イスラエルがどこまで反撃するかにかかっています。同国は一定の報復をする権利を留保しているにしても、封鎖的に包囲しているガザ地区への電力・水道・食糧等の供給を断ち続けて、日本風にいえば兵糧攻めを行い、医療に支障が出たり餓死者が続出するような事態になった場合、さらにはその上でガザ地区に地上侵攻を行って報復の殺戮に乗り出すと人道の立場から一転して国際的な批難を浴びかねません。ハマス側にイスラエル人だけでなく欧米人も含めた人質を百人以上取られており、その電撃的な解放でもできないかぎりは、この取り扱いも難しい判断となります(15日追記: イラン外相は14日にガザ侵攻があった場合の介入を示唆して牽制しており、事態は中東戦争式のイスラエル対全アラブの構図ではないにしても、イスラエル対シーア派諸国・勢力間の武闘に発展しえます)。
ネタニヤフ首相(右派政党リクード党首)に関しては、自身が汚職疑惑を巡り公判中で、その有罪判決を回避するために極右政党と連立を組むことで昨年末に、政権に返り咲いた経緯があります。その過程で進めた、司法制度改革(最高裁の権限を制約するもの)が民主主義を危うくするとして、今年3月以降国内で数十万人単位という大規模な反政府デモが何カ月間も繰り返されてきましたし、同国の後ろ盾である米国のバイデン政権からも批判が出て、両国関係は悪化していました。
現在は軍事的な失点回復に突き進むしかないにしても、ハマスを駆り立ててガザ地区から政治的に排除するような形での決着が図れないかぎりは(それは市街戦を意味して成否は見通せません)*2、ネタニヤフ氏が戦後に国内的な評価をプラス側に転じることはできないでしょう。
※注2. 先述のFT紙記事によれば、イスラエル軍のガザへの再駐留をめぐって、英国の国際政治学者ローレンス・フリードマンは「(イスラエル軍には)ガザをコントロールできるだけの軍事力も持久力もない。200万人が暮らす土地であることは変わらず、他にどこにも行き場がないこの人々が憤りを抱えたままとどまり続けることになる」としています。
3. 関係国への影響
本論ではイスラエルの内政への影響を主軸に述べてきましたが、ここではそれ以外の関係国に対する影響について述べます。今回の展開により、誰が得をして誰が損をするのでしょうか。
〔イランの関与〕
最大の焦点は今回の事態へのイランの関与です。レバノンのヒズボラの背後にイランがいることは明らかですし、同国はこの間にハマスに対してロケット砲の砲弾などの軍事的な支援を続けてきましたが、今回の事態への直接的な関与の立証は困難です。以前のアメリカならば、イランが関与した証拠が見つかったと称して軍事的にイランの政権の転覆を図る展開もありえましたが、今はウクライナ問題で手一杯でそれどころではありません。
〔ウクライナ戦争への影響〕
一方 ウクライナにとっては、アメリカがイスラエルにかかりきりになって軍事支援が細り、自国の状況に対する世界各国の関心も薄れることで有り難くない事態となりました。周知のように、それでなくても欧米ではウクライナ支援疲れが進行していました。米国では下院の混乱から、ウクライナへの追加軍事支援の予算措置ができない中で、米軍の手持ちの兵器・装備を同国に融通してきましたが、米軍の今回の中東問題への関与によりこの流れもさらに細ります。今年も昨年同様に11月までに大きな軍事的成果が欲しいウクライナにとっては、中期的な継戦能力に関わる事態となっています。
逆にロシアにとってはアメリカの関心が分散し、国際的な世論もウクライナ離れすることから、今回の展開は好ましい事態といえます。いうまでもなく、ともにアメリカと対立するロシアとイランの両国は親しい関係にあり、ロシアはウクライナ戦争でイランからドローンを大量に調達するなど、イランの存在を頼りにしてきました。
〔深読みの分析〕
深読みすれば、ロシアがイランを焚き付けてヒズボラさらにはハマスを動かしたという分析も可能ですし、イラン独自の判断により、自国がこれまで培ってきたガザ地区における武器の行使に踏み切って中東情勢の流れを変えようと図ったという見方もできます。イスラエル周辺に生じる混乱は先述の理由からロシアを助けることになり、イランにとっても地域の情勢を自国にとって有利に変えることができます。
この種の分析は、やり過ぎると単なる陰謀論に陥りますので、あくまで可能性として述べるに留めます。
〔バイデン政権と米大統領選への影響〕
バイデン政権にとっては、ただでさえ支持率が低迷し、共和党の有力大統領候補がこぞってウクライナ戦争への関与を批判している状況の中で、中東情勢が悪化することになれば、今後の大統領選挙で外交政策の失策を突かれて失速することは必至です。米政権の置かれている状況はネタニヤフ政権と同様で、当面はイスラエル支援で突き進むしかありません。
ユダヤ系米人は共和党陣営よりもむしろ、民主党陣営に対して巨額の献金をしてきており、イスラエルの存立の問題を米政権はないがしろにすることはできません。
4. 強権国家の問題
今回の一連の事態の背後には、やはり世界的な強権政権化の潮流があります(下記拙著pp.155-158, p.226参照)。
「極右」の定義を移民排斥とするならば、極右と連立している右派のネタニヤフ政権もまた極右政権です。イスラエルの場合には、戦後に人為的にパレスチナの地に建国された特殊なケースですが、そこで排除されるべき自国民ではない他者とは、先住者であるパレスチナ人となるからです。
イスラエル側も司法を歪めようとまでしている強権的政権、対するハマスやヒズボラを支援するシリアは、大統領職が二代にわたって長期に世襲されている王朝的な強権国家、シーア派のつながりでその背後にいるイランも原理主義の強権国家ということで、両者の対立には教義の異なる強権国家同士の対立という側面があるのです。
補論 近隣国に対する防空システムの限界をめぐって
この点についてはイスラエルに限った話ではありませんが、この機会に少しまとめて述べておきます。
北朝鮮の変則軌道でのミサイル発射実験にもみるように、近年になって既存のイージスシステムの脆弱性が議論されるようになっています。極超音速ミサイルに関してもロシアはこの種のミサイルを実用化していますし、中国も開発しています。第二次世界大戦の開戦前にすでに戦艦の時代は終わっており、航空母艦の時代に入っていたにも関わらず、帝国海軍が予算の付きやすい大艦巨砲の大戦艦の建造にこだわったのと同様、弾道軌道の標的を前提としている既存のイージス艦はたぶんに無力化しており、ミサイル防衛は張り子の虎と化しているわけですが、これに巨額の国費を投じてきた防衛省や海自はそのことを言明することはできません。
今回のアイアン・ドームの打ち漏らしにしても、比較的近距離で飽和攻撃を受けた場合に、防空システムの効力には限界があることを露呈したものです。この問題は一般化して論じることができます。米中間に関していえば、アメリカは軍事力の世界的な展開を図っていますが、中国の軍事力は地域的なもので、自国防衛に限定すれば中距離の弾道ミサイルで接近する米空母に対して飽和攻撃をかけられるだけの数を揃えることができます(中国の実質的な領土は一般的な世界地図に描かれているだけにとどまらず、一方的に領有権を主張している南シナ海のサンゴ礁をつなげて造成した人工島にも、当然この種のミサイルは配備されているでしょう)。
ハマスがガザ地区に配備していた膨大なロケット砲とその砲弾にしても、イラン系の技術に基づくローテクのもので製造コストは安価です。おそらくはレバノン南部ないしはイラン本国で生産された部品を地下シールドのないエジプト国境側(図2参照)から地下トンネル等を通じてガザまで持ち込んで、ノックダウン方式で現地で組み立てたものでしょう。この軍事技術のトレンドにしても、前々著に記した中級品兵器(上掲拙著p.170参照)の議論に当てはまるもので、新興国が兵器にとどまらない中級の財の開発が可能な水準まで発展したことの結果として、今日では小国(この場合ガザ地区のハマス政権)や経済・軍事的に劣位にある国(米中間でいえば中国側)にとってむしろ有利な状況が出現していることによるものです。
なお冒頭の画像の出所は、以下(ロイター)です。
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