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Vol.70 波乱万丈の1ヶ月ルワンダ生活。#5
ルワンダについて、僕の持てるだけの知識を駆使して執筆した前編「ルワンダの基礎知識編」に引き続き、「実際に過ごした日記編」ではルワンダの1ヶ月を初日、第1週、第2−3週、第4週の4部構成でお届けします!
ロスバケに、水道なし…波乱のルワンダ生活スタート
キガリ空港に着いた時、まず初めの問題はロストバゲージ(通称ロスバゲ)だった。今までロスバゲを経験したことはなく、荷物がエチオピアから運ばれていないことを知った時は一瞬頭が真っ白になった。
空港の職員の人も別に優しくなく、とてももどかしかったのを覚えている(その日の夜に荷物が空港に届いたと連絡が来て、翌日スーツケースを受け取ることができた)。
※ロストバケージ:空港に預けた荷物が紛失するトラブルのこと。
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僕をインターンとして受け入れてくれるJourney house actionsの人が車で2時間かけてGashoraから迎えに来てくれた。Journy house actionsの人に助けてもらい、両替とSIMを買うことに成功。目的の土地Gashoraへ向かった。
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Gashoraに到着すると、とりあえず自分達の部屋へ行った。その時見た部屋はこんな感じ。
水道がないことを確認し、ある意味期待通り(?)の部屋であることを確認した(それでも現地の他の人とはだいぶ良い暮らしをさせてもらっているから不満を言ってはいけないのだけれども)。
スーツケースがなかったため、その時ちょうどやっていたナイトマーケットで服を一式購入した。
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ナイトマーケットから帰ってくるとルームメイトとなるウィリアムやその他のインターン生がいた。
その日の夜は自己紹介などをしたが、とにかく、慣れることができるか分からないこの環境でこれから1ヶ月を過ごさないといけないことに絶望していた。
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第1週︰とにかく1日が長く感じる日々…
この1週間は、日本から持ってきたカップ麺を食べるために、お湯を作るのに必要なケトルを買うことが最大の目的だった。
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まだその時は周りの人の素性もわからず、英語を話すことにも慣れていなかったので、誰に何を頼んでいいかも分からない生活だった。
カルチャーギャップ、様々な人との交流、まだまだ慣れない英語…
色々なことがありすぎて本当に長い時間が経過しているような気がしていた。
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そして、インターンが始まり、毎朝幼稚園に行ったり、プロジェクトを考案したりしていた。
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第2,3週︰食生活では苦労するも、旅行に卒園式に、充実した日々を過ごす
他の人との交流も増え、周りの人の素性もわかり、少しだけ英語にも慣れて、毎日少しずつ日々を楽しむことができるようになった。
朝ごはんでは、サモサとチャパティを組み合わせる「サモサチャパティ」という革命がおこったり、昼ごはんでは、街に一つだけあるレストランに時々行ったりした。
この頃、タンパク質の不足を示す「甘いものを食べたい欲」が体の中で起こっていたため、(現地の生活に慣れたいという目的とは反しているが)今考えてもこの選択は仕方がなかったと思う。
レストランは取り放題で250円という、日本人からすると破格の安さだった。
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ちょうどルワンダは大統領選挙の時期に差し掛かり、僕らインターン生は選挙の休日を使ってフイエ(ルワンダ南西部)へ旅行へ行った。結局旅行ではほぼ何もしなかったが、楽しかったことを覚えている笑。
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その後、首都のキガリへ向かうことに。キガリでは他のインターン生のおかげでホテルに無料で泊まることができた。熱いシャワーには思わず感動した笑。
キガリの夜景は今まで見た夜景の中で1番綺麗だった。丘が多く、そのために家の電気がポツポツと光って見えることにより、満天の空のようになるのが見どころであった。
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この小旅行から帰る頃にはインターン先の卒園式が近づいていた。
ちょうど卒園式ための建物を建設していたので、床の洗浄やくわで土地を耕す、レンガにペンキを塗るなど、一時代前のような建設を体験することができた。
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第4週︰最も考えさせられた出来事が起こる。
この時、すでにルワンダをHometownと感じてきていた笑。
そして、遂に卒園式。卒園式は外で行われた。卒園式と言いつつも、日本で行われるようなものではやく、ファッションショーや民族舞踊?みたいなことを行っていた。
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このルワンダで過ごした1ヶ月の中で一番の大きな経験は、この卒園式に参加したすべての人々にご飯を無料で配ることだった。
これは入念な打ち合わせから始まった。はじめはご飯を配るだけなのに、なぜこんなに入念な打ち合わせをしなければいけないのか、わからなかった。
まずはジュース配り。
1人1本が基本ではあったが、一部の人たちはもらったジュースを隠してもう1本もらおうとしていた。そんなことを考えもつかなかった自分が、あまりにも平和ボケしていたことに気づいた瞬間であった。
そして、ご飯を配るのは本当に大変だった。
列を作るように言っても、何人も何人も列に割り込んできたり、ご飯をもらった後ももう一度並ぶのを繰り返していたり…。
「なんでなんだろう」とカメルーンから来たインターン生の友達に聞くと、
「ここは貧困率が高く、明日食べる物があるかもわからないからできる限り食べておきたい。そして日本と比べて遥かに規範がないからみんながズルする。カメルーンも全く同じで、これがアフリカだよ」と教えてくれた。
僕は初めはこの状況にただただ驚いていた。その人達の置かれた状況、つまり日々食べるものがあるかどうか分からない状況を見ると、僕は何もしてはいけないのでは無いかと。しかし、Journey house actionsの人などが棒まで使って威嚇するようすを見ると、僕も心を鬼にして、これからのアフリカのために厳しくしなければならないのでは無いかと。
でも、アフリカのためとはいえ、そこの人々を棒を使って威嚇するのは僕のやりたい方法では全くないし、他の人がやっているのを見て自分がやるというのは、よく心理学の囚人と看守役の実験であるようなものに近いよな…
しかし、威嚇はせずにどうにかしてしっかり並ばせようとしても、それまでのインターンから知ってる青年たちが悪びれながらズルしようとしてるのを見ると自分は何もできなかった。これは公平ではない…
正直一番考えさせられた出来事だった。
帰るときは僕らインターン生は余ったジュースを何本も持ち帰った。立場は違うけどやってることは意外とそこまで変わらない。
また考えさせられた。
これから同じようなことが起こった時、自分はどうすればよいのか、まだ僕は答えが出せていない。
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帰国前にルワンダ&ウガンダ小旅行へ
ルワンダから帰る前に、最後の休みを使ってウガンダと、ルワンダの首都キガリへの小旅行を決行した。
キガリではJapandaという日本食レストランや、1994年に起きたルワンダ虐殺を取り扱った歴史博物館、Genocide memorial in Kigaliに、客引きがすごいキミロンコ市場など、さまざまな場所をまわった。
ウガンダでは夜行バスでキガリとウガンダの首都カンパラを往復し、屋台のロレックスや規模がでかいことで有名なナカセロマーケットを楽しんだ。
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※ロレックス…ウガンダのソウルフード。
薄い円形のチャパティの上に、みじん切りした玉ねぎやトマトなどを混ぜた平らなオムレツをのせ、くるくるっと巻いて食べる。
あれだけ最初は絶望していたルワンダの1ヶ月であったが、別れは辛かった。不思議なことに、あれだけ初めは帰りたかったのに、帰るときにはもう少しだけここにいたいと感じていた。
ここまで読んでいただき、ありがとうございました!
最後のnoteでは、旅で感じたことをまとめたいと思います。お楽しみに!
これまでのnote
第1弾
第2弾
第3弾
第4弾
ライター プロフィール
Shotaro Washimi(鷲見将太郎)
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東京大学理科二類所属。
現在はオーストラリアのシドニーにあるニューサウスウェールズ大学に交換留学中。中高では野球部に所属していて、大学から武道の一つ、躰道を始める。オーストラリアに来てからもオーストラリア躰道協会にて躰道を続けている。その癖からか(?)写真の中で躰道の構えをしている可能性があります笑