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Vol.66 ジンバブエから帰った僕が、直感でアフリカに行く理由。#1

「今、なぜアフリカに行ってるのだろう?」
2024年6月27日の成田空港のエチオピア航空の機体の中で僕は自分に問いかけていた。

僕は2024年の6月27日〜8月14日までエチオピア→エジプト→ルワンダ→ウガンダ→モロッコ→スペインという旅をしていた。この旅の主な目的はルワンダでの1ヶ月間のインターン(ボランティアのようなもの)で、全部で49日間かかった長い旅だった。1人で旅をしたわけではなく、ウガンダまでは友達1人と合わせて2人で、モロッコからは日本から来た友達2人と合流して4人で旅をした。

上記のようなことを自問していたのは、その夏にアフリカに行こうとしたのが直感的であったからに他ならない。その「直感」でアフリカに行くことを決めたのは3ヶ月前に遡る。

ジンバブエ研修で。


そのタイミングとは、MPJ youthという団体のジンバブエ研修から帰ってきた時のことだ。MPJ Youthとは「日本で一番アフリカに近い学生団体」として、アフリカを学び発信する学生団体だ。
メンバーも多様で、東京大学や東京外国語大学、慶應義塾大学などから文理問わず様々な専攻を持つ100名以上の学生が活動している。僕はそのサークルの一員としてサークルが主催するジンバブエ研修に参加する機会を得た。
僕の専攻はまだ決まってはないが、「地球惑星」とする予定であり、全くアフリカと関係ない。このサークルに所属した理由は極めて単純なもので「いつか国際協力をしたかったから」、ジンバブエ研修に参加した理由も「安全にアフリカに行けそうだったから」であった。

しかし、ジンバブエ研修から帰ってきた時の僕はただただ「悔し」かった。必ずもう一度リベンジしたいと思った。

なぜなら、着いて二日目に食中毒的なものをもらってしまい病院に運ばれ、3日で活動できるほどには回復したものの、思うように活動はできなかった。それ以外にも、事前の学習は相当足りていなかったと思うし、初めてのアフリカ大陸に萎縮してなのか、柄にもなくとても消極的であった。

ジンバブエ研修ではホテルに泊まることが多かったが、実際に住んでみて現地の人達と寝食を共にしないことには、その国のことが10分の1もわからないのではないかとも思った。

食中毒の原因となったメニュー「Chef’s Choice」

運の良いことに一年生の頃から単位をしっかり取っていたおかげで、夏休みを6月から始めることができた。ジンバブエ研修で一緒に旅をしてくれる友達もできたし、それまで所属していた部活は嬉しいことに仲間から背中を押されながら辞めた。高校の時の同級生から過去に参加したルワンダのインターンについて教えてもらい、連絡を取ると、実際に参加できることになった。

それでも行きの飛行機に乗った時、自問自答していた。これから巡り会うであろう「未知」がとても怖かったから。こんなに心地良い日本を50日間も離れることが辛かったから。

しかし今では、自分の決断は全く後悔していないし、勇気を出していってみて良かったと感じている。旅の中ではたくさんの人々や経験に巡り合った。エジプトの考古学博物館の目の前の詐欺師、ルワンダで同部屋となったハイスペックイケメンのウィリアムや「カガワ」「ホンダ」と連呼してくるバイクタクシーなど。
そう思えるようになった、旅の中で出会った出来事や人々、経験について、この場を借りて特に学生としての自分ならではの視点から書いていきたい。


僕はこれから、このアフリカ情報誌「PROCHE(プロッシュ)」noteに、49日間のアフリカ旅のようすを綴ったコラム「僕の49日間アフリカ周遊記」を連載します!


ライター プロフィール

Shotaro Washimi(鷲見将太郎)


東京大学理科二類所属。
現在はオーストラリアのシドニーにあるニューサウスウェールズ大学に交換留学中。中高では野球部に所属していて、大学から武道の一つ、躰道を始める。オーストラリアに来てからもオーストラリア躰道協会にて躰道を続けている。その癖からか(?)写真の中で躰道の構えをしている可能性があります笑


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