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ざっくり自己紹介☺

#わたしのなやみはおかねになります1

大安の今日初めて投稿します「わたし」。そうタイトルの#わたしのなやみはおかねになります の、「わたし」です。

「わたし」はいま、50代後半。まずは#おかねになるなやみの話をする前にざっくりした「わたし」のプロフィールを書いてみることにします

ざっくり「わたし」の20代

「わたし」の20代ですが、グラフィックデザインを勉強したのち、大手小売りチェーンでマーケティング、MD企画、ブランド開発を担当させてもらいました。若いうちに本当に色々な経験をさせていただきました。マーケットリサーチの仕方から、資料の作り方、商品開発まで。当時は世の中ではやっている面白い事を教えてくれる先輩がたくさんいました。もちろん急性胃潰瘍になったりと、悩みやストレスもたくさんありましたが、吸収することも多かった充実した期間でした。
でも、当時の「わたし」も若い子にありがちな、「私の居場所はここではない」と思ってしまい、一念発起(当時は)して渡米するんです。


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アメリカでは西海岸のUC Davisという学校に。ここは今やワイナリーを学ぶ人の聖地のような学校でしたが、当時はえらい田舎に来てしまったと、嘆いたものです。その後、東海岸に移ってNYを満喫し、帰国。かえってくると、これまた不思議な縁で、外国人モデル専門のモデル事務所に就職。外人モデルのマネージメントを担当させてもらいました。そのころはバブル絶頂期で、外国人モデルは大人気。ディスコ(当時は)や話題のレストランには必ず外国人モデルが呼ばれていました。外国人モデルのマネージメントはアメリカでなんとなく習得した片言の英語で対応。言葉の障害も多く、いろんなトラブルが発生。その上、クライアントからの数々の注文や難しい交渉事をこなしてなんとか生き延びた感じでした。ここである意味ここで、「なんでも来い」の度胸が養われたのかもしれません。

ざっくり「わたし」の30代

30代に入りすぐ「わたし」は夫の仕事の都合でアメリカ、ワシントン州のシアトルへ。当時のシアトルは今のシアトルとは全然違って、静かすぎる地方都市。まだイチローもいなかったし、スタバも日本に出ていなかったころ。その頃のシアトルで有名だったのは、グランジロックバンドのニルヴァーナやパールジャムでした。グランジルックも大流行していて、ほぼみんな古着を着ていたのでは(笑)。私には絶対似合わなかったグランジルック、早くこのブームが去ってくれと願った日々。

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シアトルは、実は有名企業が多い事でも有名。スターバックス、タリーズ、マイクロソフト、アマゾン、コストコ、エクスペディアなどなど。この辺りが急に日本進出してきたのが90年代後半以降でした。

「わたし」はシアトルではアメリカ企業で日本語教師をしていました。アメリカに行ったら仕事がないのではないかと、渡米前に日本語教師の勉強を少ししていましたので、出来た仕事です。この時にはじめて人前で話すとか、教える事を経験させてもらいました。生徒のおじさんたちはみんないい人達でしたけど、ものすごいカルチャーギャップを感じたのもこの時が初めてだったかもしれません。とにかく電車の改札口とはなんぞやから説明させてもらいました(笑)。これもなかなか結構な経験でした。

ざっくり「わたし」の40代

その後、日本の大手小売業チェーンのシアトル駐在事務所に勤務。アメリカの小売り市場のリサーチなどしていたら、本社の新規プロジェクトのメンバーに抜擢!東京の本部とシアトルを行ったり来たりの生活を10年ほど続けました。一番最初に東京の本社から電話が来て、「今週中に東京に来れる?」と言われたのが、忘れもしない911直後の週でしたよ。あの頃誰も飛行機に乗りたくないって思ってたタイミング😭

その後10年近く日本とアメリカを行ったり来たりの生活が。最後の方は8か月近く日本に滞在することも。そうこうしている間に着実に年齢を重ね。飛行機に乗っていったり来たりの生活が大変に。

結局現在はシアトルの家は貸して、主人と二人で東京で暮らしています。

思えば「わたし」はいつも悩んでました。

20代の頃は、もっともっとお洋服が買いたかったけれど、バブル、DC(知らないかなみんな)ブームで今より下手したらお洋服が高かったので、お洋服がなぜもっと安くならないのか悩んでました。そして私がほしい服はどこに行けば見つかるのかと悩んでいました。

30代の頃はシアトルにもっと、日本のお美味しい和食屋や居酒屋があればいいのにと思っていました。実際ビジネスできるんじゃないかと、今でいう、フードトラックやポップアップストアなどで開店できるんじゃないかな、と真面目に考えた時期もありました。結局資金がなくてあきらめましたけど。

東京の本部で販促やプロモーションの仕事をしていた40代の頃は、会社のメインターゲットである、私たち40代オーバーをターゲットにしたCMや広告がなぜないのか悩んでました。広告代理店の人達に相談しても「みんな若い人の意見につられるから、40代オーバーをメインに出しても効果がない」と言われましたね。

でもふと気がつくと「わたし」の悩みは全部解決しているじゃない!

こうやって書いてみて、気がついたんだけど、「わたし」が抱えていた悩みは全部解決されちゃってるんですよね。
今や若者は1000円2000円で自分の欲しい服が調達できるし、リサイクルアプリもあって、服は買うものではない、とまで言われてるし。

アメリカは日本のラーメン屋からはじまり、回転寿司、ステーキレストラン、うどん屋、居酒屋と空前の日本食ブーム。アマゾンキャンパスと化したシアトルのダウンタウンでは日本食のレストランはMUST GOになっています。


最近のCMを見れば、40代オーバーをターゲットにし、40、50、60オーバーの役者さんやモデルさんたちを起用したCMを見ない日はありません。シニアモデル募集の広告が私のFBにはバンバン入ってきています(苦笑)。

早かったな、「わたし」。探偵がはやすぎる じゃないけど、まさに早すぎたのかって。

なので「わたし」はますます確信しています。

結局のところ悩み=ニーズなんですよね。
それを素直に受け止めて、ニーズにそって解決できれば、「わたし」たちは「わたし」たちの悩みを解決してくれた人たち、会社に感謝して、盲目的にずっとついてくのです。

ちなみに今の住居はペット禁止(泣)。トップの写真は私の知り合いのわんこBrio(ブリオ)。残念ながら「わたし」たちの愛犬ではないのです。かわいいから使っただけです。でもいつかまた犬を飼いたい、これも「わたし」が抱える大きな悩み。どうして日本はこんなに犬や猫を飼うのが大変なんですか?誰かこの悩みも解決してください(お願い)。

では、次回からは早すぎる悩みをもつ「わたし」のなやみ、具体的に書いていきます。



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