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一つなのに

 一人で生きていくことはできないと思う。これまでも、一人になってしまったことは一度もなかった。
 生きていくためには、ただ息をするだけではいけなくて、人生を歩んでいくためには、ただ時間に流されるだけではいけない。命を維持するためにすべきことがあって、流れる時間に合わせてしておいた方がいいことがある。それは、体にいいご飯を食べることやよく寝ること、勉強をしたり何かに挑戦をしたりすること。そういうことをきちんとすると、体が軽くなったり、心が満たされたり、安心したりできる。これらのことがどれだけ大事なことなのかはあまり分からないけど、明日や少し先の未来があるというていで生きている限りは必要なのかもしれない、と想像している。
 生きていくために必要ないくつかのことを成そうとするたび、私はそれらをたった一人で完結させることができないということに気がつく。何をするにもどこかに私以外の誰かの存在がある。命を維持したり、人生を歩んでいくことを一人でこなすのは難しい。助けてくれる人がいて、気にかけてくれている人がいて、私は生きている。これからもきっと、一人きりで生きていくことはできないと思う。

 一人で生きていくことができない。それなのに、わたしという存在はこの世界にたった一つしかない。わたしと同じ人間は世界には存在しなくて、あなたと同じ人間も世界には存在しない。わたしも、あなたも、たった一つだ。
 とても不思議なことだと思う。わたしの命が世界に存在したその瞬間から私は一人ではなかった。私がわたしという存在を認識するよりも前から、わたしという存在を知ってくれる人がわたしの外がわにいた。それからずっと、外がわにいる誰かがわたしが存在することを見つけてくれていて、だからわたしはここにいることができる。一つなのに一人ではない。とても不思議なことだと思う。

 この不思議な矛盾を抱えたまま、どう生きるのが正しいのだろう。これまで私を一人にしないでいてくれた、あまりにもたくさんの人がいる中で、その中でも特に近くに、いくつかの特別な存在がある。
 特別に近くにいるあなたという存在は、私を助けるだけでなく、わたしという存在を把握するだけでなく、つまり外側のわたしを認識するだけでなく、わたしの内側に触れようとする。あるいは私も、何人かのあなたの内側に手を伸ばしてしまうことがあった。
 あなたという存在の内側までもっと知りたいと願うとき、私はどのようなやり方をするだろう。ただ同じ場所で同じ時間を過ごすだけでは足りなくて、一方的に行動を観察して分析をするだけでは不確かで、そうすると、わたしは話をする。わたしはわたしの言葉を使ってわたしのことを説明し、あなたもあなたの言葉を使ってあなたのことを説明する。すると、あなたの外側が少し溶けて内側が見える気がする。あなたからみたわたしの外側も少し溶けるはずだから、外側と外側で別々だったわたしたちが少し混ざり合う気がする。
 だけど、"気がする"だけで、ただ話すだけでは、外側を溶かすことも混ざり合わせることもできない。なぜなら言葉はただの形だからだ。目に見えないものを目に見えるものに変換をしないと、わたしの外側にいるあなたとやり取りをすることができない。だから言葉を使う。言葉という形を使う。けれども、言葉はあくまでも、目に見えないものをあなたに届けるための代用品だから、あなたの内側とわたしの内側が本当にひとつに混ざり合うことはない。だから、私はあなたと近づくほどに、内側に触れようとするたびに、わたしとあなたがそれぞれ別々で一つずつなのだと強く実感することになる。わたしはあなたではないし、あなたもわたしではない。わたしはあなたになれないし、あなたもわたしになれない。

 わたしはたった一つなのに、一人では生きていけない。このちぐはぐとした矛盾は、時々私をもどかしい気持ちにさせる。
 一人きりでは成し得ないことが山ほどあるし、ただ、ひとりぼっちでいるのは、寂しくてこわくて虚しい。だから私は、あなたに近づき、助けられ(時に私も誰かの助けになっているのかもしれない…)、話をし、共に時間を過ごす。どこまで近づいても別々のあなたとわたしが完全に混ざり合うことはないと分かっていながら、もう一歩、あなたに近づこうとする。
 諦めていないのかもしれない。期待をしているのかもしれない。私が認識をしているあなたという存在の形のその奥に何かがある。どこまで近づいても、決して手には届かない何かがある。どれだけ時間をかけたって、深く対話をしたって、それでも、あなたはどこまでも分からなくて、難しい。分からないあなたは神秘的だ。分かってもらえないわたしもまた、神秘的だ。
 

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