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自己肯定感を高めるものはなにか

おはようございます。令和7年2月23日です。
二十四節気の雨水の次候、霞始靆(かすみはじめてたなびく)になりました。


朝日新聞Podcastの親モヤ会で、自己肯定感に関するやり取りがあり、確かに自己肯定感と承認欲求は違うので、もしかしたら褒めるという行為と自己肯定感は必ずしも結びつかないかもしれないなどと思ったりした。

その他、ちょっと考えたことなど。

プロセスの評価と自己肯定感

結果というのは右にも左にも転んでしまうものだし、これを自己肯定感に結びつけるのは案外難しい。
良い結果であれ、悪い結果であれ、結果の評価というのはどちらかというと「反省」的な視点で捉えてしまいがちだからだ。次に結びつけようとすればなおさらである。

そう考えると、プロセスを評価するというのは、自己肯定感に紐づけやすい感じがする。何であれ「行動」したこと自体を認めることだからだ。
もちろん、いやいややるのでは意味がない。前向きに行動できることそのものが、自己肯定感につながるものなので、そのあたりの動機づけが重要ということかもしれない。


団体競技におけるやり遂げ感

自分もチームスポーツ(というか運動全般)は苦手な方なので、「みんなでやり遂げる」という感覚はあまりない。ただ、ここでの「みんな」という感覚は、個人として其々の役割を果たした事によって生まれる感覚ではないかと思う。

そういった意味では、個人の趣向や適材適所というのが組み合わさって初めて生まれるもので、そうした考慮をしない画一的一律参加の集団競技において、そうした感覚が芽生えるとは考えにくい。(もちろんたまたま適性がマッチして芽生える人もいるだろうが。)

子供の育成過程における経験にそれを加味するのであれば、ただ集団競技であれば良い、みんなで一つのことをやれば良い、とはならないような気がする。
(このあたり「スポーツ」というのはそうした適材性が見落とされがちというか、これが「楽器演奏」だったりすると、そうした向き不向き議論が普通に生じる気がする。)


オーケストラ、あるいはアンサンブルというのは、ある意味プロセスだけに価値があるようなものなので(コンクールなどは除く)、趣味趣向にマッチさえすれば、自己肯定感は得られやすいかもしれない。

もちろん技術的な課題や集団内のコミュニケーション不和などは、時に自己否定につながってしまうかもしれないが、アンサンブルの楽しさはそれとは別のものとして捉えても良いような気がする。


…最後は無理やり結びつけてみた。
本日は以上です。

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