いつだって正しい、感情の言い分
blogに加筆して掲載しています。
初めましての方、いつもご覧下さってる方、sanaのnoteに足を運んで下さり、ありがとうございます。
東京の渋谷区の新宿にほど近い場所に、プライベートサロンを構えて17年目。現在は、紹介予約制という形で運営中です。もし興味を持たれた場合にはnoteのプロイールを見てくださいますよう、随時更新しています。
このnoteでは、通常出会うことの無いようなご縁もたくさんあって。もちろんいつもお会いする方々も来て下さっていて、これまでは仕事の現場以外では隠れるようにしていたところが大きいのですが、2023年の夏以降、今現在は少しでも皆様の日常の中で、ヒントになるようなことがあればと思っております。また皆さんの人生の場面からヒントをいただいて、様々なことをまた考える日常が続きます。ご縁に感謝です。
初心者の方にも、より詳しい方にも、sanaの日常から何かをころんと、お届け出来たらいいな、と思っています。
質問を起こすことはとても大切
質問がありました。
不調の時に、どうやったらそこにラッキーがあるっていうことになるのかわからない、そう感じられない、思えない、という内容です。
これは、この以下の2つブログ記事の続きの内容とも言えるかな、と思いますので、お時間のある方はリンクをご覧下さい。
想像に無い出来事に出くわした、その時に。|cafe prizm sanaの「Prizm Life」 (note.com)
相手(自分)のことをどう判断しているか。|cafe prizm sanaの「Prizm Life」 (note.com)
そもそもそんな良くない状況や状態を「ラッキー」なんて思えるわけがないじゃないか、という、本当に普通に考えたら当たり前のことからの質問だと思われるのですが。
そうですね、そう思っている自分からすると、その通りなのです。間違ってなどいません、むしろ正しいでしょう。
では、いったい「不調はラッキー」とは、どういうことなのでしょうか? もう少し踏み込んで考えてみましょう。
たとえば占星術では…
占星術で言うと「月」は感情です。その人の快・不快がどういうものかも月に蓄積されて作られています。良い悪いということでは無く、私たちのこだわっているものや習慣、好み、安心するものというのは、出生図の中にある「月」が表わしてくれています。12のサイン(星座)がありますが、もっと細かく見ていくと360度というひとつの円の一度ずつにサビアンシンボルという象徴文があります。自分のことをより知るために役立ってくれるでしょう。今回のお話は、例えば「月」に関係しているお話です。
「ラッキーだと思えるっていったい何?」
「不調がラッキーだなんて思えない」という話に戻りますが、不調や不具合の中にチャンスを見出すというのは、たとえばそれは感情的ではないところで、説明を受けずとも察するということである、という言い方をワザとしてみます。まずはここで、感情的ではない…のだ、という点に目を向けましょう。
何らかの出来事によって不調だと感じている自分の感情的有り様のままでは無く、その状態の中にあって「これまでに無い何かを発見する私」へとひとつ進化する必要があるということなのです。
目の前にある不具合や問題を見ている自分の心の位置、考えという捉え方、出来事に自分が与えている意味の発生、それらがそれまでとは変わってしまうということを起こすことで、外界からやって来る様々なものに対する自分の受取り方が新しさをもって発生するということです。
おそらくは質問の方は、今の自分のまま、今の自分にとってラッキー!と感情的に思えてしまう状態を起こしたい、その状態を求めているという無自覚な現状があるのではないでしょうか。
どのような状況にあっても、とある何かをつかまえて、それこそがラッキーだった!と自分が言えるようになるには、これまでとは違う意味の発見が必須だということです。だからこそ、その発見のために身を乗り出してそこに何かを発見しに行く、というスタンスが必要です。ひょっとしたら、これは、そうは見えなかったけれども、こういう意味でもあるんじゃないのか、という別の新しい可能性と出会う瞬間を作り出そうとしていくことに積極的姿勢を表わすということです。
ただただこれまでと同じように、何かの出来事に対してそう感じられるというような、受動的姿勢の感情体験とは違った、積極的姿勢での体験へと漕ぎ出そう、ということです。
ある種、ある時、突破したような状態が起きた時に、私たちはそれまで見えなかったものが見えて来て、何かを発見してしまうことになります。
それでも変わらない「私」を連れて行こう、一緒に未来へ
それでも私たちの感情は依然として変わることなく「不調な時はガッカリだ」のままであって、けして喜ぶわけではありません。
「ああ、がっかりだぁ」
「ああ。もうだめだぁ」
と言い続けます。
しかし、これまでと違っているのは、感情のすべてがたったひとつの意味に向うということが無くなって、他の可能性を当たり前にすることで、感情はその可能性にも反応するようになっているということです。
出来事に付随する意味の、その可能性が増えることによって、たったひとつの意味しか持たなかったとある出来事への感情状態の私、というところからは解き放たれているということを起こすことが出来るのです。ああでもあるけど、そうでもある、さらにこういうことでもあるよね、というように複数の可能性が続々発見され、意味が複数存在することが段々と当たり前になっていきます。
だからこそ、もうそうなったら安心して言わせてあげましょう。
「ああ、もうだめだぁ」
「ああ、もうがっかりだよぉ」
本当だねぇ、ホントにもうダメだ、だねぇ、ガッカリもいいとこ、だよねぇ。あれもこれもイヤになっちゃうよ、ねぇ。まったく。(笑)
そして続きます。
「助けだったかもね」
「守られていたのかも、実は」
「この手、打つんじゃ無くて(PC)塗るのはどうよ!」
もう様々な可能性が存在していますから、皆さんは何を発見していかれるのでしょうか。自分とさらに出会っていく旅はもう始まっています。
本当は大きな存在である「私」への旅が始まる
ひとつの方向性を全てと認識して信じ込むというある意味呪縛状態に長い間いる私たちは、自分に起きているこれまでの偏り続けて来ていたという事実を自分自身に明らかにし、より自覚していこうとすることで、やがては大きな解放へと到着することになるでしょう。
出生図にある「月」は始まりです。後方には水星、金星、地球、火星、木星、土星、天王星、海王星、冥王星と続いています。世界はもっともっと広かったのです。そして未だ見知らぬ、より大きな世界が冥王星の向こうにさらに広がっています。
それらは決して自分に関係無いもの、ではなく、届くことの無いものでもなく、あれはまだ思い出すことのない忘れ去っている自分である「私」です。
星々という月~冥王星までの惑星を内包していく意識を開発していくことが日常生活の中で可能なことです。まだまだあまり知られていないかもしれませんが。
本当は今の自分が想像出来ないくらい大きな私という存在が居るのだということを、ひとつずつ思い出していくことが出来る。生命には終わりなど無く形を変えて続いていくのだと、それが占星術という道が私たちに教えてくれようとしていることでしょう。
あなただけのこの人生の物語を紐解いて歩きましょう。
昼の地球で、夜の宇宙で、丸ごと一日どうぞよい旅を。
cafeprizm sanaでした。
22本目までをアップしています。
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№22「いつだって正しい感情の言い分」アップ。
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