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やがて笑って「失敗 ウェルカム」

失敗を避けたい

例えば、何かしようとして実行している中で「失敗した!」と思う事ってたくさんあります。皆さんはいかがですか?

私はたくさんの失敗をしてきました。ですが、もうこりごりだ!な感じで終わることはありませんでした。だから失敗の数がたくさんあります。
失敗しすぎて麻痺してしまったのでしょうか?
タフなだけ?とか?

落ち込んだままっていうのと少しだけ私が違うということには、、ひとつ理由があります。「失敗」という存在と出会うことに対して、ある時から変わってしまったということです。それは「失敗」を避けなくなったということです。

私のこれまでの体験から言うと、その「失敗」は思わぬ時にいつだって起きるし、その度にビックリするし慌てるし、その後も何度だって「あぁ…失敗だ!」「どうしよう!」って思えることにはまた出会ってしまうのです。私は今日ここに至るまでの間に、本当にたくさんの失敗を体験してきました。
何度でも、どうしても出会ってしまうこの「失敗」ってヤツのことをいくら嫌っても避けてもお別れすることが出来ず、なおさら気になる。だからまたすぐに出会ってしまう、そんな気がしていました。

また、その場だけで答えが出てしまい終わりというのではなく「失敗」という体験が後に長い時間の経過の中で、別の場面、別の環境で活かされるということにも出会いました。あれがあったおかげで、今これに気が付くことができたなって思うことがあるのです。そういう時にはホッと胸をなで下ろし「あぁ、助かったぁ」なんて思ったりします。
経験が生きてくるっていう瞬間です。

そんな「失敗」「助かったぁ」を何度も体験しているうちに、わかった事がありました。
それは「失敗」は「失敗」じゃなかったってことです。

最初は「失敗」っていう存在には無縁でありたかった。できれば出会いたくなかった存在なのですが、それほど常に気になる存在でもありました。
同時に、描いたことがそのまま形になっていくような、嬉しい出来事の中で「成功」とか「出来た!」とか「手に入れた!」ということを体験することが「うまくいくこと」なのだと思っていた自分がいたのですが、どうもそれは違ったのです。

現実を歩いていると、思わぬところで他者が関わって来て脱線させられちゃうし、自分も迷ってまっすぐは到着しないって事多々あるし、横道にそれることもあったし、そうこうしているうちにどこかに向かおうとしている自分のことを疑い出したりなんかしてぐるぐるしちゃうという、袋小路へ。
それでも答えは出ないから、ため息つきながら空を見上げたり、紙に向かって文字を書き続けてたり、ぶつぶつ独り言止まらなかったり。
そういう感じのこと、昔はたくさんやってたなぁと思います。

それでも、信じるしかないなぁって思えていた「自分の好きなことかもしれないこと」から離れずにほんの少しずつを積みねていくことから手を離したままということはありませんでした。(お休みはしました。何度もくじけて倒れていました。)
途中で大きなため息をついて休んでも、そのうち思い出しては元の道に戻ろうとしました。それは「はっきりしないけれど好きかもしれない惹かれてしまう世界」という漠然としたもので、まだカタチは見えてはいませんでした。他のことじゃなく、そちらの方へ、と気持ちは向かっていました。


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失敗にも大小あるけれど

例えば、私は10代から20代前半にたくさんの職種と転職を経験しています。高校を卒業する前に試験に合格して学費が無料となるとある学校の奨学生になったのですが、家の事情によって突然に進学できなくなり、3月になって急に社会に放り出された、ということがあります。もはや行くところは無く、学校サイドもお手上げ。
もともと私は進学クラスにいたのですが、その中でとある2人は途中からの予定通り就職でしたし、周囲の誰もが私に声をかけることができない感じになっていたということがあります。そこから私の経験してきた様々な職業との出会いがスタートすることになりますが、私はこの時にも「失敗だ」と思っていました。
その私の様々な社会経験の話はまた別の機会にさせていただくとして。


「好きなことかもしれないこと」というのは何の保証もありませんでしたが、結局はそれが気になり過ぎる、そればかり考えてる、という自分だったのです。逆にあんなに自分の中で騒いでいたのに、長い時間の中で見ると「本当にやりたかったことではない」というものもありました。

「好きなことかもしれないこと」では仕事にもならないだろうし、そんな職業あるんかい? とさえ思えたりするものでした。この社会にはそういう名前の職業が存在しているとか、それで食べていけるよなんていう話はどこにも書いてありませんでした。
だけれども、すんなりとそれから手を離すこともできず、ただただ漠然とした「好きなことかもしれないこと」である「意識と無意識とか宇宙とかに関係のあることを表現して生きていきたいなぁ」という気持ちの10代そして20代なのでした。
学生の頃からも人前で何かを喋っては「あ、なんかズレてる?」という感じになって落ち込み、日頃から「失敗だー」と思うことがよくありました。

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知ることで変わってしまう

「とあることに対しての考え方が変わってしまう」ということは、それは「とあることに対しての捉え方が変わる」ということです。
「とあることに対しての捉え方が変わる」ということは、それは「とあることに対しての感情が変わる、受け取り方が変わる」ということです。

私はたくさんの失敗と出会っていく中で「失敗は失敗」という考え方から「失敗ウェルカム状態」へと変わっていきました。さらにその「失敗ウェルカム状態」での体験は何一つ無駄になったものは無いということに気が付きます。失敗していたはずのその10年以上後にそれが自分を助けてくれるものになっているという経験を何度もしたのです。

ノルマのある2週間ごとの締め切りの大の苦手の広告営業や、青空の下での遺跡での土器掘り調査や、制服を着て朝一から札束を数える仕事や、夜の通販の苦情処理、まだまだいろいろありますが、どれもこれもため息ついて仕事していたことがあります。このままどうなるの私の人生?って。どうやったら自分が惹かれる方へと舵をきることができるのだろう?ってずうっと考えていました。

けれどそれらの「違う違う」って思っていた全てが、今日自分がしている仕事に全部活かされ、助けられています。どれか一つ欠けていても困っていただろうなと思うのです。長いスパンでみると「失敗」なんかじゃなくそれは願って望んでいた場所で必要だった「経験」だったってことなのです。これは後になってわかることです。到着した後にそう思うこと、です。

それは途中経過であって結果ではなかったし、経験のひとつひとつは私の人生に「ものがたりを起こしている」のだと言い換えることができます。
さらに、私たちがどうしても「そうしたい!」と決めたなら「そのために必要な知識や経験、スキル」を本人もわからないままに先に手に入れに行くことになる場合もあるのだ、ということもできます。これってすごいことです。
今自分がやっていることは20年後に必要な何かで、その20年後に自分からは「助かったよ」「ありがとう」って思われているかもしれないなんて。


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「魔法」と出会う

「考え方を変える」というのは「意味の付け方がまるで変わってしまう」ということです。それまで信じていたことが変わってしまったということです。とあることに対しての捉え方が変わってしまうと、思うということ自体が変わってしまうので、それまでの「失敗は失敗」と考えたり思ったりしていた自分はいつの間にかいなくなっていました。これは当時の私にはあまりに劇的なことで、それは本当にこの世で「魔法」というものを発見してしまった!という瞬間でした。個人的実感です。

それは「魔法」と呼ばれているものの本当の姿の一部のように思えてなりませんでした。やっぱり好きだと思えるものを追いかけ続けて行こう!とあらためて思ったのです。右も左もわからないままに、それだけは決めていました。そう思える自分のままに進んでいったなら、目の前がどんなに思いのものとは違うように見えたとしても、それはやがて何かはやってくるということなのではないか? と思ったのです。

その後何年も経過して、私は人生の先輩であり大変な変人でもある方と出会うことになります。そこから私の様々な体験のバラバラだったいろいろがゆっくりとひとつにまとまっていくことが始まっていくのでした。

そうして今日、自分が嫌なことはしていないという毎日を私は過ごしています。


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すべては繋がっている

「失敗は成功の基(もと)」っていう言い方がありますが、後々になって意味を知りました。失敗は成功のため必要不可欠な存在なのです。

「失敗は失敗なんだ」っていう判断ではなく「失敗は失敗に思える経験から始まる」のではあるけれど「その経験はすべてがその後に作ることになる自分の建物の材料」となるのだ、ということだったのです。それは社会での常識的な形にこだわることさえ関係ない場合もあります。自分だけがわかる到着点です。「ああ、このためだったんだな」っていう。

例えば日常のことで見つけるなら、この「note」に使っている記事中の写真も、もう10年、15年も前に何気なく撮影していたものが整理できずに置いてあったフォルダの中に残っていて、それが今になってnoteでのちょうどよい関連した記事の中で役に立ってくれているということもあります。
過去と未来がこうやって繋がっているんだなと、ひとりで「スゴーイ」なんて喜んでいたりしています。

私たちは、自分のことを時に責めたくなったり、落ち込み続けたりすることもありますが、この先には「それを活かすことのできるいつかの未来」が待っているんだよということをお伝えしたいと思います。
それは自分だけの大切な意味との出会いなのかもしれないのです。

結論は出さないままで、行きませんか。
もうすでに出ているように見えている「結果」さえ、次のものがたりに向かっての「種まき」ということもあるでしょう。

旅はまだまだ、これからです。


写真と文 sanae mizuno
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