シスを振り返る
基本的にこれまで「私」の話を中心にしてきた。
私はシスヘテ男性だ。シスヘテ男性の語りをしてきた。その視点から見た女性の話も少ししてきた。
最近、それ以外の性についての話をすることがなかなかできなくて悩んでいたのだけど、相談したら「やっぱり自分に帰ってくるんだよね」という結論になった。
私はシスヘテ男性である。シスヘテ男性の立場から見た話にどうしてもなる。透明化されやすいシスヘテ男性という存在を語ることが、遠回りにでも様々な性の位相にも繋がるのだろう。
私がシス男性であることを振り返ってみようと思う。
シス男性であるという自認は、これまでに性別違和を感じたことのない男性であるという認識から来ている。そこをもう少し掘り下げてみる。自分は子供の頃どんな身体経験、性別経験をしてたかな。
まず保育園や幼稚園時代を思い出す。保育園時代はそこまで性別を意識していた記憶はない。まあ公共の場でのトイレは「普通に」男子トイレに行ってたんじゃないかな。幼稚園はどうだっただろう。確か制服は男女で分かれていた。普通に男児の服を着た。仲良かった子はそんなに多くはなかったけど、男の子も女の子も1人2人いたかな。多分男の子とは遊具で、女の子とはおしゃべりで仲良くしていたような気がする。
この頃までは赤が大好きだった。ランドセルで赤を選びたかったがそこまで主張をすることもなく黒を買った。自分は男の子だと再確認したのかな。
小学校は1年生の時は性別関係ない出席番号だったことを覚えている。いつから分かれたっけなあ。でも周りの男子で「モテ」るやつがいることを認識していたし、出席番号が分かれることになっても自分を男子グループには入れていたみたい。登下校のグループも同級生くらいは男女同じくらいの人数がいたはずだし、小学校時代を通して仲良くしていた人は男女ともにそこそこいた。ただだんだんとオタクっぽいというか、サブストリームな面子と仲良くしていく中で分かれていったからそこにいる女子とは仲良くなったけど基本的には絡みがあったのは男子ばっかりだった。
少しずつ「男女」を意識していた。それはどちらかといえば、自分はそういうの関係なく仲良くなれるなら良い(恋愛感情や恋愛への憧れがないわけではない)けど、相手の女子が気にするから、周りの男子が気にするから女子とは接しないというスタンスだったと思う。自分は「下級」な男子だったもんで。だから性別を越えた「オタク」的な繋がりくらいでしか女子と接しなかった。
もう少し身体の話をしよう。トイレお風呂で困ったことはない。ただ、母親に連れてかれていつも入ってたスーパー銭湯的な場所で初めて父親と男のほうに入ったときには男の体がいっぱいあるのが嫌だったような。自分の違和ではないけど。
プールは好きじゃなかった。太ってるし、そもそも自分の体を見られるのがそんなに好きじゃない。なんであの男子パンツあんなちっさいのだ。だからといって女子用の水着を着たいとは思わなかった。同じような理由で身体測定も嫌いだった。脱がなきゃダメかい。分かるけど。
性成長が進むことに喜びはそんなになかったと思う。毛が生えてきたときはまあまあ「うわあ」みたいな気持ちになった気がする。そんなに男の体好きじゃなかったんかな。太ってたからかな。
世間的に「男の子だ」と認識されることは良いんだけど、「男の子らしい」感じど真ん中ではなかったかな。スポーツを見るのは好きだったけど、するのは下手だったからそんなに好きじゃない。ヒーローものは見なかった。電車とか乗り物興味なかった。好きなものは好きで押し通す図々しさはあったよね。
小学生くらいまでを振り返るだけでも、案外色々思い出せるもんだな。そんなに好きじゃない過去だから捏造しているかもしれないけど。
昔っから自分は体がそんなに好きじゃなくて、男性的に性的成長したこともそんなに好きではないみたい。社会的な性別としても自分にとっては少し邪魔だったみたい。
だからといって自分はシス男性であるという認識が大きく揺らぐ訳じゃないけども、思いの外シス男性も堅牢じゃないんだなあ、と。
シスジェンダーの方は是非振り返りしてみては。