暴力は悪いこと
今回は性加害に関する話です。こうした話題を目にしたくない、という方はブラウザバックをするなどしてください。
性加害を自分がしないことはもちろんなんだけど、やっぱり自分ではない人がしないようにもしたい。
私はシスヘテ男性なのですが、ヘテロ男性から女性に対する性加害がどうしても気になる。
上にある記事は性被害にあった方の支援を進めている、それはこういう手段があるからだ、という内容なのですが、こういう記事を見ると性暴力そのものを抑えることはできないのか、という気持ちになりますね。
ネットを漁っていたらこういう記事が。
なるほど。暴力的であることは自覚しているけど、加害的ではない、という認識。正直、分かる。
暴力的であることが必ずしも悪いことではないというルールに乗っているんですよね。強さとかかっこよさとか、もっと広く社会的な「男らしさ」の文脈。
なんとなく見渡したときに、そういう暴力性によって称揚されているものがあったりする。自分よりも上にいるように感じられる存在が、暴力的であって得をしている。それで自分も暴力的に振る舞うことに呵責が無くなっていく。
そのピラミッドをひっくり返したりぐちゃぐちゃに壊したりして、暴力性の価値を落とさないと、その加害性の自覚にも繋がらない、ということなんでしょうか。
例えば暴力的な振る舞いをする権力者が罰されていくような、そんな状況とか。
一人でも性加害をする人が減ってほしいから、なんとか状況を変えていきたいのですが。