「『ヘテロ』」である」ということ

私は自分のことを「シスヘテ男性」と宣言しているわけですが、常々思っているのは、そういう属性の宣言には大した根拠がないということです。

特に私が根拠がないと思っているのは「ヘテ」の部分、ヘテロセクシュアル(やヘテロロマンティック)の部分。私が自らを「異性愛者」と見なしているのは、結局のところ「私はこれまでに同性に対して性的欲求を抱いたことがなく、恋愛感情を抱いたことがないと思われる」からという過去の累積からの判断が説明のできる部分なんですよね。とりあえず、自分を「ヘテロ」と見なしておく、という。

まあ、それ以上に私が自分を「シスヘテ男性」とした大きな理由は、「なんか、そうだと思うから」なんですよね。えもいわれぬ確信めいた何か。ひょっとしたら、そう見なしたおいたほうが楽だからそうしておいたのかもしれないけど。


基本的に「ヘテロセクシュアル」は基準だからこそ、徹底的に問われることはないわけですよね。なぜヘテロでないのかは問われるけど。

で、だから自分に対して自分がヘテロであることを問うと、何一つはっきりとしない。逸脱によってカテゴライズされるわけじゃないから、むしろ確実なものが何もない。

ホモソーシャルにおけるホモフォビアが自らがホモセクシュアルでないことを問い続けるというのは、ヘテロであることを証明することが難しいことを意味しているんでしょうね。

私がこれから「女性」以外に対して性的な感情や恋愛感情を抱く可能性は全く排除されていないわけだけど、一方でヘテロであることに根はないし。


自分なりに自分がヘテロだと認識した理由を「なんか、そうだと思ったから」と言ったけども、今になってもう少しそれを付け足すとすれば、自分が「マジョリティのサイドにいるなあ」と感じたから、と言えるかなと思っています。

「マジョリティである」ということは「透明でいられること」とか、「考えないでいられること」という表現に、すごく納得したというか、自分がそれだな、と思えたんですよね。

そういう感覚が、今の自分の、自分へのジェンダー観、自分をマジョリティに置く感覚に繋がっているような気がします。

私以外のシスヘテ男性は、どう考えているんでしょう。一度聞いてみたいような、でも怖いような。



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