「聞いて欲しいだけ」が苦手です。
朝起きて、久しぶりにホットコーヒーを淹れた。
暑くなってからは水出しアイスコーヒーを常備していたけれどちょうど切らしていたし、久しぶりに予定のない週末、ちょっと一息つきたかった。
どうしよう、すごく疲れている。
残業続きで、わたしにしては珍しく、精神的にというよりは体力的につらい。
前は21時過ぎれば慌てて帰ってたのに、それが22時になって、今じゃ「日を跨いでないからセーフ」とか思ってる。しかも週に何度も。
自分の生活はいろいろと支障が出はじめているけど、まだ、猫(りく)のお世話がおろそかにはなっていないのでよしとしてる。先日も、りくの歯茎が腫れていることに気がついて、大事になる前に病院に連れて行くことが出来た。皮膚炎も今年になってからなってないし、連日暑くても今のところ健康でいてくれてる。
今のわたしにはそれが唯一の、大きな救い。
仕事が忙しすぎるからかはわからないけれど、いろんなことが「面倒だ」と感じるようになっている気がする。とくに、人付き合いにおいてそう感じる出来事が重なった。
もともとわたしは、友達が多い方ではない。
ただ、見た目人当たりがいいのと八方美人なところがあるので、時々相談事を持ちかけられたりする。
今年の春頃のこと。
職場で、お昼に休憩場所で隣り合わせただけの人とたまたま話す機会があって、同い年で独身、という共通点が発覚し、その場で連絡先を交換することになった。入職したばかりの彼女は職場(同じ会社だけどわたしとは違う部署)で悩み(人間関係)を抱えていて、話し相手が欲しかったらしく、連絡先を交換したその日から、毎日の仕事のあと、休みの日にまでLINEが届くようになって、すっかり辟易してしまった。
最初はわたしも新鮮で楽しかったのに。気がつけば返信するのが苦痛になって、「これ以上話は聞けない」と宣言して連絡を絶ってしまった。
そしてつい最近のこと。もう4年以上連絡をとっていなかった、遠方に住んでる友人から突然連絡があった。彼女も同年代で独身、他の人には話せない恋愛の話を聞いて欲しい、ってことだった。
疎遠になりかけていたのにわたしを思い出してくれたことは嬉しかったし、ちょっと特殊な恋愛相談も興味深かった。でもやっぱりしばらくすると「これ以上わたしに言えることはない」と感じてしまい、返信することができなくなった。
わたしは見た目とは裏腹に(自覚あり)、「話を聞いて欲しいだけ」の相談事に付き合うのが苦手で、相談、というからにはなんらかの「アドバイス」や「解決」に導く建設的な話をするように努力してしまう。そのときは我ながらすごく真剣に相手のことを考えている。
相手が求めるものが「聞いて欲しいだけ」だとわかるまでは。
相手が具体的なアドバイスや解決を求めていない場合、わたしとの間に温度差ができる。最初はわからないけどだんだんその差を感じるようになる。そうなるともう自分は「お役御免」だと思ってしまうのだ。
アドバイスを求められることも、話を聞いて欲しい、と思ってもらえることも、どちらも光栄だと思うし、単純に人から求められることは嬉しい。だから肩入れしすぎているのかもしれない。相談事なんて、大半が「聞いて欲しいだけ」がほとんどだとわかってるのに、対応できていないのはわたしの勝手で、相手からすれば急に突っぱねられて驚いているだけだろう。
自分に余裕があるときなら、相手の求めるほうに寄り添うことができていた。でも今のわたしは聞いて欲しいだけなら誰か別の人に、と思ってしまう。意地悪な言い方だけど、相手がわたしである必要はないんじゃないかな、って。
疲れてるせいだと思いたかったけど、たぶん違うな。もともとわたしはこういう性格だった。取り繕うことができなくなっただけで。
あぁこうやってまた、友達になれるはずだった関係を失っていく。でもまぁ、上述した2人にも申し訳なかったとは思うけど、遅かれ早かれこうなっただろうな。
……もういいや、考えるのやめた。