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【死の淵より】-覚醒①-

夢と現の狭間で見たあの映像の最中

とても苦しんでいました。

体内の酸素が欠乏していて脳に届いておらず

また、単純に息苦しい

という感覚の中で見た景色は

ある部屋の中のベッドで寝ているぼく。

それを少し離れたアクリル板の外から

見守る両親と、岩倉智子さんの姿が見えたので

ぼくは笑って、手を振りました。

そのぼくを見て、安堵の表情を浮かべる一同。

母と智子さんは、ハンカチのようなもので、涙を拭っているようにも見えました。

その後、意識を取り戻したぼくが抱いた最初の感覚は

ボンヤリとしたまま(朦朧というのかもしれませんが)

あれ? 今、いつ?

続いて

白い天井と、正面にある直方体の白い柱が目に入り

どこ?

という。テレビドラマや漫画で見るようなベタな感覚でした。

数秒経って、機械の通知音のようなものが鳴り

男の人(医者)に「はる氏さーん!」

と、声を掛けられ

だれ?

と、思っていたら

「目、覚めましたー?」

と、聞かれたので

「覚めたー」

と、答えるや

あれ、声が出ない…ということを自覚しました。

感じたことは2つ。

1つは、喉が異常に枯渇しているということ。

1つは、喉に異物があるという感覚。

更にその医者は続けます

「今、いつかわかりますかー?」

わかるはずがない。

一番最初に、その違和感を抱いたのだから。

「わからへん」

と。ここでも声は出ませんでしたが

かろうじて、何を言ってるかは伝わったのか、その医者は続けました。

「今は2023年の10月4日です。」

瞬間的に、脳をよぎったのは

ほんまか?

ということでした。

ぼくの感覚としては

ずいぶん長い間、眠ってしまった。
あるいはそれを「死」と表現してもいいかもしれません。

それから経過した年月は10年や20年、或いはもっと(100年とか)なのかもしれなくて

ぼくが意識を戻したときに錯乱状態にならないように意識不明になった時点での事実を

ずっと引き継いでくれたのかもしれない。

あるいは

まだぼくは眠っていて(もしくは死んだのちに)

いわゆるパラレルワールドのような場所に移動して地球と何ひとつ変わらぬ惑星で細胞の3000兆個を超える全てが同じ、ぼくじゃない人に魂が乗り替わっているのかもしれない。

つまり、かなり哲学的な例えになりますが、

その時点でぼくが知ってるはずの地球に居て
西暦2023年の10月4日だという証明は、何をもってしてもできないという不安を、本気で抱きました。

少なくとも

ぼくの聞き慣れた方言で話してくれていることは確かでしたが。

何よりも

「え、10月?」

ということに驚きました。
口に出してもいました。

その医者は続けます。
「そうです。はる氏さんは10月2日に倒れて、緊急搬送されたんですよ。」

「あぁ、彰と遊んだのあれ10月2日かぁ。」と、返すと

医者は
「え?」と、言い

少し怪訝な表情で

ぼくの中の最新の記憶を聞きました。

ぼくの当時の最新の記憶は

9月30日に彰に誘われた繁華街で

珍しく彼が
「腹が減ったから晩めし食いたいわ」

と、言ったのを受けて

ご飯屋さんを探す彼が歩く後ろ姿でした。

しかし

医者によると

ぼくは10月3日に自宅アパートで倒れているところを岩倉さんに発見され、意識不明の重篤状態で緊急搬送された。

ということでした。

あぁ、てんかん発作か。
と、瞬時に察しました。

「岩倉さん知ってますー?」
と、医者に聞かれ

岩倉…岩倉…と、反芻して

智子さん!
(苗字に聞き馴染みが無かった)

と、なり

「知ってる」
と、答えてから

前述の説明を受けました。

しかしなぜ智子さんが?

と、疑問に思っていると
「ご両親に連絡しますか?」

と、聞かれたので
「したいけど、電話どこ?」

と、返すと
「岩倉さんが持って来てくれてますよ」

という流れで

両親にも、智子さんにも

とてつもなく心配や迷惑をかけて

申し訳ない気持ちで

どうしたらいいかわかりませんでした。

②へ続く→

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