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「小説 名娼明月」 第29話:気にかかる筑紫(つくし)の空

 石山よりの急使は、阿津満母娘を慰めて大阪へ帰った。大阪からの書状に添えたる一秋の遺髪は、窪屋家の菩提寺に恭(うやうや)しく葬られた。朝な夕な供ゆる仏壇の線香の煙は、母娘の涙を誘うて、慰めん途(みち)もない。

 「一人で淋しく待ち暮らしたのも、一秋殿無事の報知(しらせ)を聞いて喜びたいばかりであった。無事で帰りしお秋の顔を見て喜ぶ暇もなく一秋殿の死を聞かねばならぬものであったらば、いっそう病中に死んでおればよかった!」

 と、嘆き悲しむ母を見るにつけても、お秋の嘆きはさらに深く長いのである。
 
 「天城浜辺の危難を救いくだされし父上! 川口にて別れ参らせし父上の御顔御声(おんかおおんこえ)は、いまなお、ありありと目の底耳の底にありて描くが様なれども、今や一片の位牌となられて、永(とこ)しえに帰り来たまう時もない!」

 と、嘆きは次から次と続いて果てしがない。

 四十九日の逮夜済ましたるは、行く秋の九月二日、翌夜お秋が独り縁側に立って、暮れゆく空を眺めていると、三日月が薄く懸かっている。草蔭から起こりし虫の声に、お秋は逝きし父の面影など思い浮かべ懐かしんでおれば、いつとはなしに、夫金吾のことが思い出された。

 「夫は今なお、生きて九州にあるであろうか? 必ず帰ると約せし半年は、遠の昔に過ぎて三年余なれど、一片の音信(たより)さえもないのは、何の故であろうか? よし本望いまだ遂げずとするも、我ら母娘の頼り無き身の上を思わぬ夫でもないものを。不吉な様なれど、あるいは敵矢倉監物の返り討ちに逢いたまいしにはあらざるか? もしそうだとすれば、監物は舅(しゅうと)の仇、夫の仇である。そうして自分も武士の娘、武士の妻である。どんな苦労を嘗(な)めても、監物を探し出して、一刀(ひとたち)なりとも加えではおかれぬと、思えば、ますます気がかりなのは、筑紫(つくし)の空である。
 かくして、いたずらに日ごと父の死を悼み、夫の身の上を案ずるは、ただ日が経つばかりである。それよりも、いっそうのこと、夫の跡を尋ねて、筑紫の旅に出ようか? そうしたら、夫の生死も判るであろう。
 もし万一にも殺されいたまわば、よし、魂魄となりても、この恨み晴らさなければならぬ!
 と決心は容易(たやす)くできるものの、さて気がかりなのは母の身の上である。自分が旅立った後の母上は、さぞ心細く思われることであろう。年老いたまいし母上、病後の母上、一人残して出て行くは不孝の極みなれども、百里の長途をお供することもできぬ。さりながら、夫の生死は、どうあっても見届けねばならぬ。さらば、しばしの不孝の罪は身に負おう!」

 そうして、是非夫の跡を追わねばならぬと決心すれば、もう矢も盾も堪らぬ。まもなく臥床(ふしど)に入ったが、神(しん)冴え気澄んで眠りができぬ。自分がこの決心を打明けし時の母の驚き、一人旅立ちし後のわが身と、それからそれへ想像を巡らし、微睡(まどろみ)もせぬうちに夜は明けた。

 「起き上がったけれど、自分の決心を、どうして母上に打明けようか? かくと聞きたまわば、母上の嘆き、いかにあるべき?」

 と思い患えば気分も勝(すぐ)れず食も進まぬ。病人同様になって深い吐息のみを漏らしいたるを、母の阿津満は早くも見て取った。不快ならば不快と素直に打明けるが常の娘なるに、不思議といえば不思議なる今朝の物案じ。生みの母に打明けられぬ心配とは? と阿津満はさまざまに想像を巡らしてみたが、どうしても娘の物案じの見当がつかぬ。むしろこちらから切出して娘に尋ねてみようと、阿津満が心を意に入り来たりし母の足音に驚き、

 「何ぞご用でござりますか?」

 と云って起ち上がらんとするを、阿津満は押止めた。

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