「小説 名娼明月」 第53話:夢に天女現わる
金吾はしばらく足を博多の地に留めて監物を捜し廻ってみたが、それでも手係りがない。その年の十一月の末から旅の疲れが出て病の床に臥し、枕の上がらぬこと三十余日。十二月の末からようやく起き上がりはしたが、躯の衰弱疲労が甚だしいため旅に出ることができず、空しく火鉢の側に坐って、時の流るるのを恨んでいるうちに、新陽また巡って、天正四年の春を迎えた。
◇◇◇◇
小倉で母を葬り、良人金吾を尋ねて巡礼の旅に出たお秋は、我が尋ぬる人ここに病んでありとも知らず、博多を後に通り過ぎ、いまの筑紫郡三笠から筑後の方へ向かった。途(みち)で太宰府のほとりなる観音寺が古い霊所であるということを聞いて詣りたくなり、入相(いりあい)の鐘の音淋しく響き渡るころ、お秋は一人、観音寺の山門を入った。
門を入れば廻廊が左右に巡っている。廻廊の中の朱殿彩楼(しゅでんさいろう)には、残照の薄光が映えて、この上もなく荘厳に見える。
まもなく日は全く暮れた。物音一つせぬ静まりかえった境内の奥の方には、燈明(みあかし)の光、幽(かす)かにちらついて、お秋の心を澄み渡るばかり静かに清くなした。お秋の身にとりて、このくらい、しみじみと仏恩を感じたことはなかった。
お秋はこの夜、通夜をする覚悟である。
まず仏前に拝跪(はいき)して、廻廊の一つに這い上がり、
「あわれ、我が尋ねる良人(おっと)に逢わせたまえ」
と、一心に祈念を籠めて、微睡(まんじり)ともせぬ。
夜は次第に更けてゆく。星影の研ぎ上げたように澄んで瞬くのが廻廊から仰がれる。凍るばかりの山気が痛いように身に迫る。板敷の廻廊に着の身着のままのお秋が、どうして眠れよう。
「明朝(あす)はさぞ厚い氷が見られるであろう」
と思って寒さをじっと耐(こら)えていると、しきりに良人の身の上が思い出される。
「我が良人は、今なお生きておられるであろうか? 首尾よく父の敵(かたき)は討たれたであろうか? すでに敵を討って古郷に帰られたのならば、自分の旅は無益(むだ)である。ではなくて、どこかの旅で病みついておられるであろうか?」
と、乱れかかる胸を押し鎮めて、観音経を声低く誦(ず)していると、気はまた以前のごとく澄んで、何の翳(かげ)も曇りもない。夜は沈々と更け渡って、鶏の声が近傍の家から聞こえてくる。
この時、不思議にも、金色の光が四辺(あたり)を照らして、昼よりも明るい。お秋は驚いた。この深夜の、しかも灯火(ともしび)一つないところに、この眩(まばゆ)きばかりの光は何であろう。狐狸の所為(しわざ)か、また火事かと思い、惑って立ち上がらんとする時、お秋の身辺に、花のような紫の雲が湧いて、夢のようにお秋の身を包んでしまった。実に不思議とも何とも言いようがない。
お秋は、ただ惘然として眺めていると、微妙な楽声が、その雲の中から湧いてくる。喨々(りょうりょう)として、実に天の楽(がく)である。
驚きのあまり、お秋は、前を見、後を見返り、右に向き、左に向き直りしていると、いずこからともなく神々しい澄んだ声で、何か云った者がある。驚いてお秋が、その声のする方に振り返り見れば、嬋姸(せんけん)たる一人の天女が、綾羅(りょうら)の裳(もすそ)を長く曳いて、左手(ゆんで)の方に現れたのであった。
お秋はハッと驚き、頭(こうべ)を垂れて、その前に身を伏すれば、まさしく天女の声である。
「そなたを薄命不憫と思わぬにあらねど、総て前世の因果なれば、いまさら如何ともせん術(すべ)がない。
そなたが今より、西の方に向かったらば、尋ぬる人が消息を得(う)るであろうなれど、ついに探(たず)ぬる甲斐はないであろう。その上、そなたの艱難苦労は、これから一層増すであろうけれども、必ず自然に逆ってはならぬ。かくて信心深く仏を念じて怠らぬなれば、未来の幸いが多いであろう。ゆめゆめ疑ってはならぬ。
これをそなたの身の守りとして授ける」
と言って、何物かを投げたと見る間に、姿は掻き消すように見えなくなった。
お秋は不思議に思い、堪えず覚えず外を覗かんと立上がる機(はず)みに、ばったり倒れて、夢は覚めた。