「小説 名娼明月」 第32話:母娘の悪運(前)
匹夫の酒は必ず間違いを生む。お伴を終わるまでは一滴も口にいたしませぬと主人に対してなせし禁酒の誓いを、要助から待遇(ふるま)われし酒によりて破りし和平次は、正体もなく酔うた。そうして要助から尋ねられるにまかせて、何もかもべらべらと喋ってしまった。
「そうだのう、まず俺の見るところでは、両掛の底に入れてあるのが黄金で三百枚は大丈夫。それから奥様の胴巻にも小粒で三十両は間違いなかろう。その両掛は、俺の寝る次の間の押入に入れて、しっかと錠を卸してあれば、たとえ俺が今夜中帰らんでも泥棒に取られる気遣いは毛頭ない。
時に奥方様が心配してござろうから、そろそろ帰ることにしよう」
と和平次が馳走の礼を述べて、よろよろと立ちかかるを、要助は、
「もうちょっと飲んで、一緒に出よう」
と云って、和平次を押して坐らせ、
「時に和平次よ。俺はここへ今日来たばかりで、いまだ定まった宿もない。明日お前が奥方様にお詫びをしてくれるものならば、どうであろう、今から一緒にお前が宿に俺を連れて行って、明日の朝までお前の横に寝さしてくれることはできまいか?
と頼めば、上々機嫌の和平次は、気にかかる何もなく、
「うん、たやすい用だ。それじゃあ今から俺に附いてこい」
と云って、先に立ってゆく。外に出れば、二十日ばかりの月影が冷々と二人に射して、和平次の足は右に左に千鳥る。
阿津満母娘は、しばらくは和平次の帰ってくるのを待ってみたが、どうしたものか帰って来ぬ。心配は心配であるが、大事の金や荷物は押入にしまって錠を卸してあるから大丈夫である、と思っているうちに、旅の疲れに眠気が催(さ)して、いつしか夢の中の人となった。
ここに帰ってきたのが、和平次と要助である。二人枕を並べると、和平次は、醉いのために、すぐに鼾(いびき)声をたてた。