殺人の動機 超短編
今野検事はタバコの煙を深く吸い込み喫煙所を埋め尽くす程に大きく煙を吐き出した。
今野検事は明日に迫っている勾留期限に焦燥感を感じていた。被疑者 喜多川晴夫(36)は連続殺人犯として先日検察に送致されて来た。
現行犯逮捕という事もあり起訴する事自体は概ね決定しているのだが喜多川の殺人の動機だけがどうもはっきりしないのだ。
警察からの調書によれば喜多川の犯行は終電の時刻頃に駅から出てくる女性の跡をつけ、人通りが少なくなった所で殺害すると言うものだった。被害者の数は実に5人にも及んだ。6人目の女性を襲おうとしたところを巡回中の警察官に取り押さえられ現行犯逮捕されたのだった。
警察での取り調べでは全ての犯行を素直に認めたらしい。
今野検事は最後の煙を乱暴に吹き捨て、その煙のもやもやと共に取調室へ向かった。
どうせ死刑は間違いないのだからイタズラに捜査を長引かせても仕方がない、かと言ってこのまま起訴すると責任を放棄してしまったような気がする。何としてでも今日中に動機を解明してみせる。そう意気込み今野検事は取調室の扉を開いた。
今野検事は連続殺人の動機というのは怨恨・痴情・性癖、利欲問題、自殺願望。それらに当てはまらなければ我々の範疇を超えたサイコパスだと、よく同僚の検事や事務官にもそういった話をしていた。
「君が女性ばかりを殺害したのには何か理由があったのか?」
「単純に女性の方が力が弱いと思ったから」
「被害者達に特別な好意があったとかいう事は無いのか?」
「強いて言えば小柄な所ですね」
喜多川は被害女性に対して一切性的暴力などは行っていなかった。したがって痴情絡みや性癖などの動機は省かれる。
被害者たちとの接点も見当たらないので怨恨の線も省かれる。更に被害者から金品を奪う様な事も行っていなかったので利欲目的なども
省かれる。
「何か最近なにか絶望する様な出来事があったんじゃ無いのか?」
「絶望か。確かにありました」
「教えてくれるか?」
「大切なものを失くしたんですよ。いや失くしたと言うか、場所は分かっているんです。でも今の僕のままじゃ決して取りには行けない」
「つまり、大切なものを失った君はどうせなら出来るだけ多くの人を巻き込んで死刑にでもなってやろうみたいな事か」
「いや、でもある意味ではそうか。自殺ではダメなので」
「自殺、つまり死刑が動機ではないのか?」
「僕は生まれ変わりたかったんですよ、自殺だと生まれ変われない」
「生まれ変わりたかった?意味がよく分からない」
「輪廻転生ですよ。自殺すると輪廻の輪から外されてしまうんです」
「どう言う事だ?全く意味が分からない」
「輪廻転生の教えでは、善い行いをすれば来世も人間に生まれ変わる。反対に悪い行いを重ねれば人間以外の畜生に生まれ変わる」
「つまり君は畜生に生まれ変わりたいから悪い行い、殺人を犯した?」
「出来るだけ小さな生き物が良かった。犬でも猫でもなんなら虫でも、大勢殺せばその分小さい生き物に生まれ変われるはずでしょ」
「大切なものを取りに行くために?」
「今の僕では大き過ぎて取りにいけない」
「毎日毎日訳の分からないことばかり言うな。全く埒があかない」
「僕は今野検事とずっと一緒に居たいんですよ。この時間が永遠に続いて欲しいくらいですよ」
「ふざけるな」
これまでの取調べは大体いつもこんな感じだ。
やはりただのサイコパスなのか?いや、それだけでは無い気がする。
待てよ。つまり喜多川の話を要約するとこういう事か。
まず大切な物をとある場所に落とした。それを手に入れたい(利欲目的)狭い場所過ぎて取りに行けないから小さな生き物に生まれ変わるために多くの人を殺害(自殺願望)どうせなら恨みのある小柄な女性ばかりを狙う(怨恨)好みの検事相手に取り調べを長引かせる(性癖・痴情)これなら全てに
当てはまる訳か。
「馬鹿な」今野検事は思わず言葉を漏らした。
「どうかしました?」
「いや。とにかく今日で拘留期限は終わりだ。このままだとお前をサイコパスの連続殺人鬼として起訴する事になる。本当に他に何か話したい事は無いのか?」
「今日で終わりですか。寂しいですね」
「そうだな」今野検事は事務官の方にもがっかりした表情を向けた。
「分かりました。話しましょう。今野検事。この世で一番の快楽って何か分かりますか?」
「ん?なんだ。殺人とでも言いたいのか?」
「そうです。別に殺す事自体には快感を得られない。それはサイコパスです。僕はそうじゃ無い。禁止されている事を破るのが快感なのです」
「禁止されている事」今野検事は言葉を頭の中で巡らせる。
「世の中で禁止されている事は多い。それらは快楽を伴う物だとお気付きですか?」
「どうだろう」
「そうじゃないと思わせる事が大事なのです。快楽は禁止事項の中に閉じ込めておく。ある程度抑圧してから小出しに解放させる。それが為政者のやり方です。宗教だってそうでしょう」
「ふむ。まぁ興味深いな」
「小さいところでは遅刻、割り込み、万引き、喧嘩、いじめ、不倫。もっと言えば薬物、強盗やレイプ、戦争。それら全てには快楽が伴う事はお分かりでしょう?気持ち良いから禁止するのです。禁止しないと歯止めが効かない。快感とは禁止されればされる程に相乗効果で膨れ上がる」
「なるほど。それがお前の殺人の動機か」
「そうです。ですが、僕はまだ最大の快感を残しています」そう言うや否やで喜多川は机の上にあったペンを奪い取った。
しまった。ペンを置き忘れてしまっていた。
「喜多川落ち着け。とりあえず落ち着け。これ以上殺しても何も快楽は得られないぞ」今野検事は冷静を装い言った。
「いえ、これは、この世で最も禁止されている殺人ですよ。きっと今野検事も気に入ると思います」そう言うと勢いよく喜多川は自身の喉にペンを突き立てた。
血飛沫の中での喜多川の表情は光悦に満ちているように見えた。
事務官は事態に慌てふためき、倒れた喜多川の体をひたすらに揺さぶる。
騒ぎに警備員が何名か駆け付けて来て場は騒然とした。
なるほど。最大の罪は自殺か。
それにしても連続殺人犯の取り調べ中に被疑者が自殺。私にとっては相当な禁止事項だな。喜多川の奴やってくれるじゃ無いか。
今野検事は僅かに体を震わせた。