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#高安動脈炎闘病記 15

15.ジカジカ


退院日が決まった。
5月4日。
手術から約2週間で退院。

医療ってすごい。人の身体ってすごい。
自分のことながら、あの状態から2週間で社会に出るのかと驚いていた。
同時に、動けるようになった僕は院内でやることも特に無くなってきて、1日2回のリハビリ(エアロバイク)と散歩くらいしかやることもなく、既に病棟内で一番元気な患者になって何キロも歩き回っていた。
とはいえ、胸元に傷口はあるし骨も切っているので、それを庇うように猫背ではある。
骨が完全にくっつくにはおよそ2ヶ月かかるそうで、その影響か今でも(怖くて)うつ伏せができない。

リハビリ室で、ICUの時にお世話してくれた男性の看護師さんとすれ違った。
声をかけ、ここまで動けるようになりましたとお礼を言うことができた。ずっと、献身的に見てくださってたのになにもお伝えができず心残りだったので、胸のつかえがとれた気分だった。

退院日の朝。
3月の入院から約一月半が経過し、季節は夏の訪れを感じさせる。季節感のない病棟の中で過ごした自分にとってはただ、外に出れるだけで幸せだった。
退院支度をしていると、また多くの方々が声をかけてくださった。先生、看護師さん、介護士さん、理学療法士さん、助手さん、、、本当にたくさんの人に支えてもらって生きて外に出ることができる。
心からの感謝を込めて、月並みだけど「ありがとうございました、お世話になりました」と頭を下げる。また遊びにきてねー!と言われたので、遊びには行くけどお世話にはならないようにします。

父が迎えにきた。
入院中に増えた荷物をカートに積み、病棟を後にする。

待ち望んだ外の世界からは、緑の匂いがした。


退院して数日して、自宅に友人がやってきた。高校を卒業して飲料メーカーで勤める彼も、親友と言っていい腐れ縁のひとり。中学校から一緒だが、母親同士はパート職場の友達で元々仲が良く、僕らを同じ塾に通わせ同じ高校同じ学科へ進めた。
高校に入り、ギター部に入ろうと思っていた僕に、「水泳部の先輩がギター弾けるけん、水泳部入ろうぜ」と声をかけ、共に水泳部に入るも出席率は僕より悪く、彼は寿司屋のバイトに勤しんだ。僕は部長になっていた。いわゆるお調子者だけど目立ちたがり屋ではなく、持ち前の天然さで全て持っていく天才型の人たらしで、顔も良い。
みんなでバッティングセンターに行った時には「福山雅治に似てるな!」と店員のおっちゃんに言われていた。
色々と近かった関係もあって、毎日毎日連絡を取り合うほどの距離感ではないが、ごくたまに2人で遊んだりもする。なのに、他の友達より知らないことも多いという、互いに兄弟に近いような、妙な照れ臭さがあるような関係。

その彼が退院祝いだ!と、炭酸水を持ってきてくれた。
家の前には停められないトラックを、少し先に停め、箱を積んだカートを押す彼の体つきは、サボりがちだった部活をしていた頃よりも逞しくみえた。表情はあの頃のまま、変わらない。

シリカが入っていて身体に良い!と、シリカの効能をよく理解せぬまま語る彼と玄関先で、いつものようにくだらない話をし、そして他の友達に送る2ショットを撮り、彼は颯爽と帰っていった。

シュワシュワと爽やかな泡が心地よく刺激的だった。

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