Kappa U

いきたしるし

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最近の記事

#高安動脈炎闘病記 20

20.しるし 二度目の入院前に、また少し遠出をした。 色々な用事の「ついで」といえばそうなのだが、久しく行けていないその場所に、ずっと行きたいと思っていた。 僕は、一緒に闘った仲間を2人亡くした。 どちらも温かく、ちょっと一癖あるお世話焼きな人だ。 キラキラと輝き、赤く光ったかと思うと見失ってしまった。 どちらも、実際に関わった時間はわずか過ぎる。 ひとりは、僕を仲間に入れてくれ、そして認めてくれ、周りに認めさせてくれた。 パワフルで妹想いの人だった。 絶対に交

    • #高安動脈炎闘病記 19

      19.リタイア 8月。 ある決心を持って北へ向かった。 あまり具体的に書くことはできないが、休職に区切りをつけ、退職し治療に専念することとした。 思い入れがないわけではない。 前職を辞めた後、辿り着いた地域おこし協力隊という仕事を通じ、地域と関わってやってきた。卒業後もそのご縁から、色んな手段で地域活性化の仕事を続けてきた。 この仕事自体はとても大好きで、これという正解があるわけでもなく、それぞれの正解・成果の形があるだけに達成感もあった。 自慢ではないが、普通では経験

      • #高安動脈炎闘病記 18

        18.マカロニ マカロニを食べる気になれない。 大学時代、イタリアンレストランでアルバイトをしていたので、たくさんのマカロニを茹でてきた。ホワイトソースと絡めたり、トマトソースと絡めたり。 もちっと柔らかな食感と可愛い見た目に食べ応えがあるパスタ。 焼けばグラタンになる。 高安動脈炎の所見のひとつに、マカロニサインという言葉がある。 頭頸部の大動脈の超音波検査(エコー)で示される、血管の壁が厚くなっている事象で、形がマカロニのようにみえるのでマカロニサインというらしい。

        • #高安動脈炎闘病記 17

          17.トタン屋根のケーキ屋さん 「時間はくすりですから」 入院中も、術後も、退院時にも先生に言われたことば。 一見、無責任なワードに聞こえるが、実際問題そうなのだ。 事実、いろんなことに焦りを感じつつもその言葉を信じて(甘えて)のんびり気ままに過ごす日々。 5月19日、隣県よりわざわざ知人がお見舞いに来てくれた。 せっかくなのでおいしいものを食べようじゃないかと、僕も電車で熊本市内へ向かい、そこで落ち合うことにした。 かつての熊本駅は、良くも悪くも地方駅の雰囲気が詰ま

        #高安動脈炎闘病記 20

          #高安動脈炎闘病記 16

          16.ちゃんぽん800円 退院したからといって、すぐに何かを始めることはできない。 ただ病院の外に出ただけの病人であることに変わりは無い。 手術を終え、心臓は新たにカチカチと時計の針のような音がするようになった。 機械弁が動いている証拠と思うと、なにか悍ましくも僕のために動いてくれているんだと思えば可愛くも聞こえてきた。 弁に名前でもつけてあげようか。 だが、たいしたセンスはないのでひとまずはいっか。 基本的には自宅療養の日々、といいつつも様々な手続きだったり、身体を動

          #高安動脈炎闘病記 16

          #高安動脈炎闘病記 15

          15.ジカジカ 退院日が決まった。 5月4日。 手術から約2週間で退院。 医療ってすごい。人の身体ってすごい。 自分のことながら、あの状態から2週間で社会に出るのかと驚いていた。 同時に、動けるようになった僕は院内でやることも特に無くなってきて、1日2回のリハビリ(エアロバイク)と散歩くらいしかやることもなく、既に病棟内で一番元気な患者になって何キロも歩き回っていた。 とはいえ、胸元に傷口はあるし骨も切っているので、それを庇うように猫背ではある。 骨が完全にくっつくにはお

          #高安動脈炎闘病記 15

          #高安動脈炎闘病記 14

          14.僕を生きて 意識が戻った僕の元に見慣れない、男性の看護師さんがやってきて、甲斐甲斐しくお世話をしてくれる。 なにか、声を掛けられているけど、なぜか返事が出ない。 術中は口から心臓裏まで管が入っている。多分その影響だろう。声を発することができない。 それどころか、頷く、首を振るといった動作もできない。本当に何もできない。 泣いてしまった。思わず泣いてしまった。 泣くことはできた。 34年前に使ってた手段だ。 ただ、幾分かエラーは起きているとはいえ、脳は34歳だ。 これ

          #高安動脈炎闘病記 14

          #高安動脈炎闘病記 13

          13.ピンボケの世界 4月21日。 観たことのない景色。 なんにもわからない。 唯一わかったのが、何も自由が効かないということだけ。 手術は無事に終わっていた。 少し遡り、4月19日。 早朝からシャワーを浴び、病室に溢れ返った荷物をロッカーに預ける。 貴重品をリストに書き、預ける前最後に銀杏BOYZの、夢で逢えたらを聴いた。 「君の胸にキスをしたら 君はどんな声だすだろう」 これから胸にメスを入れるヤツが聴く曲ではない。多分。 それでも、この曲は特別で思い入れ

          #高安動脈炎闘病記 13

          #高安動脈炎闘病記 12

          12.それでも明日はやってくる そうこうしていると、手術の前日になっていた。 よくわかっていなかった手術のことも、発生する確率のあるリスクの問題も、とりあえず3択なら当てられるくらいの知識は入れたはずだ。 手術を終えると、集中治療室に移ることとなる。開胸手術となるため、術中は多くの出血を伴い、輸血をし、人工心肺で生命を維持させる。なんのことはない、大手術だ。流石に僕でもわかる。その後の回復は常にチェックをされるのだ。 リハビリ担当の理学療法士さんがやってきた。 いよいよ

          #高安動脈炎闘病記 12

          #高安動脈炎闘病記 11

          11.生きた花 こんな自分の元にも、いろんな人がお見舞いに来てくれた。 職場からは上司がやってきて、寄せ書きとお守り、そして納豆を。 定期的に家族も来てくれた。 4月の頭に無事長女が産まれた弟も、大変な中納豆を持ってきてくれた。こっそり馬刺しも。 納豆が食べれなくなる、と言うことは桜納豆も当然NGだ。 個人的には、馬刺しの一番美味しい食べ方だと思う。異論は受け付けます。好みなので。 まあ、もう退院した後なので、時効ということにして欲しい。どうせもう食べれないから。 継続

          #高安動脈炎闘病記 11

          #高安動脈炎闘病記 10

          10.Never Give Up!! 4月10日。 主治医より手術についての説明があった。 両親も病院に揃い、話を聞いた。 まず、どのような手術になるのか。 一つは、当初の通り大動脈基部置換術。大動脈の弁置換を行い、逆流を無くし心臓を正常に駆動させる。 イメージで言われるのが、心臓の弁はベンツのマークのような形をしていて、全身に血液を送った後しっかり閉じることで正常に循環を行う。 しかし、自分の弁は隙間があり、全身に行き渡る血液が心臓に逆流を起こし、大きな負荷が掛かってい

          #高安動脈炎闘病記 10

          #高安動脈炎闘病記 9

          9.マイナスへの挑戦 ある程度目安の状態まで進んだら手術、という旅が始まった。 今集中してやることは、とにかく身体のむくみをとることだ。 入院時の体重は91kg。よくもまあここまで太ったなと日頃の不摂生をカタチだけ後悔しつつ、薬と減塩食で水を抜くこととなった。 1.利尿剤の投与 1日2回の点滴でマンニットール、1日3回の注射でフロセミド、さらに朝食後の錠剤で利尿剤を服用。 この点滴と注射がすごい。とにかくすごい。 特に注射は打った5分後にはトイレに行きたくなる。そこから2

          #高安動脈炎闘病記 9

          #高安動脈炎闘病記 8

          8.ハクイノセンシ 僕がいる病棟では、数多くの人が働いている。 その中でも一番関わる職種は、看護師さん。 もちろん、それぞれがそれぞれの持ち場でプロフェッショナルを果たし、協働をもって毎日多くの患者たちを救っている。 その最前線にいるのが、看護師たちだ。 そんなこと、当たり前じゃないか カレーライスは美味しい、ということくらい そのことは誰だって知っている。 ただ、実際に身をもって体感するとその当たり前の概念が分からなくなる。 入院したその日も、異変に最初気付いたのは

          #高安動脈炎闘病記 8

          落書きのテンカウント

          今日は肝臓の検査。 正直、思いあたる節がないこともない。 不摂生に起因するものであれば、いくらでも心当たりがあるからだ。 細かい食事制限が必要になるならば、いっそのこと料理の勉強がしたいと思った。自分の身体にあった、美味しいご飯を作れるようになりたい。同時にまだ、学びたい意欲が自分にあることに少し驚いた。 いつものように6時に目を覚ました。 結局今日もそこそこな睡眠時間。いや、昨日よりは寝てる。今日は朝欠食だから、体重測って顔を洗ったら薬を先に飲まないと...と考えていると

          落書きのテンカウント

          芯のないペンシル

          気付けば34歳になった。 思い描いていた姿はそこには無く、ただ惰性で日々を過ごしている。 それなりに言われたまま生きてきた。 よくわからない理由で、小学生の時に習っていた剣道では主将。中学では生徒会副会長。 高校に入り、クラス委員長に販売実習の店長。水泳部の部長も務め3冠王になった事もある。 大学に進んでもゼミの幹事を務め、そのまま会社員に。 辞めたかった会社をうまく辞めきれず、言われたままの配置転換を経てだらだらと6年続けた。 無論、それなりに一生懸命やってきた。 一生懸

          芯のないペンシル

          #高安動脈炎闘病記 7

          7.初耳学 「高安動脈炎?」 初めて聞く病気の名前だ。病気の名前ってことだけはすぐにわかった。 ただ残念ながら高安と言われると茨城県出身田子の浦部屋所属の高安関しか浮かばない。 失礼だが、毛むくじゃらで愛らしい見た目から高安関のことを本当は熊だと思っている。 そんなことを考えていると、先生がなにかの書類を手渡してきた。 「国指定難病、珍しい病気です。」 ほーん、難病ね。 既にクローン病の診断を受けていたこともあり、しかも今のところこっちは薬を飲むことでほぼ影響は出ていない

          #高安動脈炎闘病記 7